「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



26 アンギナンドの軌跡 
 クロニアに連れられて海を離れて森の奥へと入っていく。  本能なのか、目に見えて異変のようなものは感じられないのに、足がクロニアの後を追うことに抵抗 を示す。重いのだ。たった一歩のために腿をあげることが苦痛でならなくなる。振り返ってどんちゃん 騒ぎをする船の上を振り返る。妹のあとを追うだけなのだ。なにを恐れることがあるのだ。そう自分で も思うのに、なぜか船の上の船員たちが作り上げているバカ騒ぎの世界の方が暖かく感じられて後ろ髪 を惹かれる。 「兄さん」  振り返っていたアンギナンドにクロニアが声をかける。  それに応じて妹の顔を見たアンギナンドに、クロニアがその心の内を見透かしたように、哀しげに小 さく笑う。唇は言葉を紡がない。だがクロニアの目が、つないだ手の温度が尋ねてくる。本当に一緒に このまま進んでも後悔はないのかと。  それに頷くと、もう一度クロニアが口元にだけ笑みを浮かべる。  再び歩き出し、ドロンと体に纏わりつくような重苦しい空気の中を懸命に足を動かしていく。異なる 次元の世界へと侵入するものを拒む壁を越えていく。  やがて森は消失して開けた場所に出る。  海辺と同じように爽やかな自然に溢れた穏か時の流れる場所だった。辺りには鳥たちのさえずりが響 き、見上げた天には白い雲が望遠のレンズで撮った空のように円を描きながら流れている。 「ここは?」  見上げた空の異質さに目を回しそうになってアンギナンドが問えば、クロニアが空を見上げて答える。 「彼と神殿に向うための階段の場所」  クロニアは言いながら右手を顔の横に掲げる。するとその手の平の上に渦巻く空気の流れが生じ、小 さな竜巻を起す。そしてそれが収まったとき、そこに紅い光を零す小さなクラウンが載っていた。 「それが………」 「灼熱の太陽」  滴り落ちる紅い水が沸いているかのように、クロニアの手の上からポタリポタリと落ちる紅い光。そ れが地面の中へと吸収されて消えていく。  あまりに現実離れした光景だった。だが美しすぎるその光に、全身を照らされながら見入ってしまう。 気がつけば地面がその光を吸収しているように、自分の体皮膚もその紅い光が飲み込んでいる。 「クロニア」  呆然と自分の腕に消える光を見つめていたアンギナンドは、自分以外に妹を呼ぶ声があることに気付 いて顔を上げた。  そこにいたのは、妹たちと同じように全身を白い衣で覆った少年だった。  美しい少年だった。真っ白な髪を背中に長く垂らし、同じように白銀の長いまつげで覆われた思慮深 そうな青い瞳を伏せ気味にしてそこに立っていた。 「エターニア。兄が来たの」  クロニアに言われて初めて気がついたように、青い目がアンギナンドへと向う。  今までに見てきたどんな蒼い海よりも深い蒼を宿した瞳だった。 「ようこそ、神の島へ。そして世界から遊離したぼくたちの領域へ」  少年が笑みを見せてアンギナンドへと手を差し出す。  美しい笑みだったが、それはあまりに感情を捨て、ただの音という挨拶の言葉をのせた冷えた笑みだ った。  胸の内でその手を取る事への抵抗があったが、ぎこちなく手を差し出せば積極的に少年によって握ら れる。それは言葉や外見に反して、人間らしい温かさと柔らかさをもった手だった。 「クロニアをここから連れ出すために来られたのですか?」  非難の色はないが、単刀直入に問い掛けられた言葉にアンギナンドは言葉を失って少年を見つめ返す。 彼がここでクロニアたちよりも上位のものであることは明らかだった。クロニアを秘宝を守る乙女に選 んだものたちの配下であるはずなのだ。  アンギナンドが答えるべき言葉を探っていると、エターニアが穏かに口に笑みを乗せて見せる。 「我々と戦った末に、クロニアを奪うことを考えておられたのですか? 妹を人質にとった悪から、自 分の命をかけて救い出す場面を想像しておられた」  嘲笑も怒りも感じられない言葉で流れる清流のような声が告げる。  それにもアンギナンドは答える言葉をもたず、ただ目の前の少年の真意を探るようにして見つめてい た。 「我々を殺すことは不可能。なぜなら触れることすら、あなた方にはできなのだから。こちらそれを許 さない限り」  再び少年がアンギナンドに向って手の平を伸ばす。その手にアンギナンドが手を伸ばす。  だが先ほどは触れて感じることのできた少年の手を、今度は見えない柔らかい壁に遮られて触れられ ない。ためしに腰に刺していたナイフを抜いて振り下ろしてみるが、やはり柔らかく受け止めた透明な 空気の層が、鋭いナイフの刃を包み込んでしまう。  これでは殺しようはない。それを受け入れて頷いたアンギナンドが、少年の穏かな笑みを浮かべた顔 を見つめた。 「クロニアは渡さないと?」  自分の背にクロニアを隠して言うアンギナンドに、エターニアは首を横に振る。 「あなたも会ったでしょう。その胸に持っている戦乙女の涙を持った男と少女に。誰も彼女たち秘宝の 守護者がこの島を出ることを禁じてはいない。閉じ込めているわけではない。ただ、すでに彼女たちが 現実の世界では適さない体になっているという事実があるのですがね。だから、もしあなたもクロニア を自分の世界に連れ戻そうと思っているのなら、彼女の命がどうなるのかを一考していただきたいとだ け言っておきましょう。だからといって、連れ出すことを止めようと、わたしが策を弄することはあり ません」  アンギナンドの背中で、クロニアが兄の警戒心を静めるようにそのシャツの裾を握る。 「兄さん。彼は敵じゃない。彼もわたしに賛成してくれている。彼もこの世界に捕らわれ続けて永遠の 時に絡めとられた人間だから。だからわたしも彼も同じ願いを持っているの」  背後のクロニアを振り返って見つめれば、信じて欲しいと必死な目で訴えかけてくるのが見える。  再び少年エターニアに目を向ければ、決定はすべてあなたの意志におまかせしますと、アンギナンド の答えを待つ瞳がそこにあった。 「秘宝を破壊したいと、そういうことか」  それにエターニアが頷く。 「秘宝を破壊することは可能です。守護者四人とわたしの意志がそろえば。でも、今は戦乙女の涙の守 護者がいない。だからあなたには新たな戦乙女の涙の守護者を連れてきていただきたい」 「新たな守護者を?」  妹を救うために、自分が自ら妹と同じように捕らわれの身となる生贄を供えなければならないという のか。  苦渋の決断に眉間に深い皺がよる。  それをクロニアとエターニアが何も言わずに見つめていた。 「で、秘宝を破壊したとして、そのあと、クロニアやあんた、それに世界はどうなる?」  決断を先延ばしにして問えば、少年が閉じた目で首を横に振る。 「わかりません。そんなことは未だかつて一度として起こったことのないことですから。ただ世界は確 実に変わる。それが完全なる崩壊であるのか、それとも新たなる世界の始まりであるのかは、誰にもわ からない。神以外は」  それでもクロニアや目の前の少年を捕らわれから救うことはできる。  自分を犠牲にして世界を救う。なんとも崇高で結構な行いだ。だが、それに気付かない人類のために、 いつまで彼らは苦しめばいいのか? その犠牲に甘えた世界は、だからこそさらなる救いようのない世 界へと足を突っ込んでいるのではないのか?  その答えは自分のような正道を外れた、ばかな人間に分かりようもなかった。  だが世界が彼らによって救われてきたのなら、今度は自分たちが彼らを救わなくてはならない。それ が道理というものだろう。  それに命を賭けて挑んでみるのも、俺の人生最大の一興。  アンギナンドはクロニアの手を握り、少年を正面から見つめる。 「で、俺はなにをすればいい?」  アンギナンドの獰猛な笑みに、少年は目を細めて微笑んだ。         
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