「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



16 チェスナットコーチ 
 まっすぐに続く真っ暗な地下の道を、ジョリーが手にした松明がゆらゆらと揺れる炎で照らしだす。  ジョリーの右手は松明を、左手はしっかりとチェスナットの手を握っていた。  二人の耳に聞こえるのは、炎が大気の中で揺れる音と自分たちの上げる足音。そして心の内でつづく 自分との対話の声だけだった。  あの圧倒的な迫力と威厳とを撒き散らしていた壁画を見てからというもの、二人は言葉を失ってただ 足を前に進めることだけをしてきた。  頭の中にあるのは、あれが海賊王アンギナントの描いたものだとするなら、この先にあるのは一体な んなんだという疑問と恐怖だった。  アンギナントはあの壁画を一体いつ描いたというのか。  ジョリーはパニックを起して乱舞する思いを落ち着かせながら考えた。  どう考えても、あれはアンギナンドが想像で描いたのだとは思えなかった。実際に体感した者にしか 描けない迫力と説得力をもっていた。ということは、あれは幻の灼熱の太陽を手にした後に描かれたこ とになる。だとしたら、最後の航海として知られる灼熱の太陽を求める旅の後、海賊王はここに来たこ とになる。そして、少なくとも絵を描き上げるまでの期間を、この教会と繋がったこの地下で過ごした ことになるのだ。  なぜ教会なんだ?  人の命を奪う海賊を、なぜ教会が庇う?   ジョリーとチェスナットが並んで歩くのがやっとの細い地下通路に、二人の足音が反響する。ピチャ ンと音を立てて低い天井から水が滴り落ちる。 「ねぇ、ジョリー」  不意に声をかけてきたチェスナットに、ジョリーが隣りのチェスナットを見る。  真剣に前にある闇を見据えている横顔が、ギュッと唇を噛みしめていた。 「わたしたくさん本を読んでいて思ったことがあるの」  ジョリーと同じように沈黙の間に考えをめぐらせていたのだろうチェスナットが、ジョリーと繋いで いた手を強く握った。 「海賊王アンギナンドは、いったいどこで生まれたのか? 本には誰も知らないってあった。海賊船の 中で生まれたのなら、父母の両方が分からないとしても、海賊の誰かの子どもだって分かるでしょう?  でもいつの間にか現れ頭角を現した海賊がアンギナンドだってあった。海賊の中でも知られず、他国 のどこにも出生の記録がない。これってどういうことだと思う?」  すでに答えを掴んでいる様子のチェスナットの目が、ジョリーを見据える。  わからないことを示して首を振るジョリーに、チェスナットが言う。 「海賊王が孤児だったってことよ」 「孤児?」 「そう。そして孤児といえば、どこに引き取られるの?」 「………教会。……それがここだってこと?」  チェスナットが頷く。 「そうでなきゃ説明がつかない。なぜ教会の地下に海賊王がいた痕跡があるの?」  あの海賊王が、自分たちと同じこの地で子ども時代を過ごし、後に世界中に恐れられる海賊王へと成 長していったということなのだろうか?  だがチェスナットの言葉が、ジョリーの中で渦巻いていた疑問の嵐をすっきりと晴らしてくれる。  暗雲に覆われて見えなかった世界の向こうに、太陽の煌めく光明が見えた気持ちになる。  ジョリーが自分の中の疑問と符合していくことを確かめて頷く。  そしてふと頬に感じた風に顔を上げた。 「どうしたの?」  顔色のかわったジョリーにチェスナットが言う。  ジョリーはチェスナットと繋いでいた手を離し、指を舐めると頭の上に翳した。  その指先にひんやりとした風が後方へと流れていることを感じとる。 「風がくる」  前方を見据えたジョリーに、チェスナットも闇の向こうを見据えて体を硬くする。 「……行ってみよう」  ジョリーがチェスナットの手を握り、ゆっくりと足元を踏みしめて歩き出した。  狭い通路の先で突然現れた大きな空間には、光が溢れていた。  青く光る水をたたえた地底湖が目の前にあった。  青い光が天井部分に開いた穴から差し込む光と相まって、空間全てを青緑色に染め上げていた。  天井から流れて出て大きな階段のような層を作りあげているのは、純白の鍾乳石。その半円を描く階 段が水の中へと続いていた。 「キレイ」  幻想的な美しい空間の出現にチェスナットがため息を漏らす。  今まで歩いてきたのが閉塞したかび臭い暗闇だっただけに、チェスナットの感動する気持ちはジョリ ーにもよくわかった。  手に持っていた松明の火を吹き消し、ジョリーが地底湖の水に近づく。  水の側に跪き、その中に手を差し入れる。 「冷たい」  指からその下の骨にまで染み渡るような冷たさに、微笑みが浮ぶ。 「飲めるかな?」 「うん。たぶん、すごくキレイな水だと思う」  言いながら手で掬い上げた水を口に含んだジョリーが、硬質な透き通った味にチェスナットに頷いて みせる。 「おいしい」 「本当?」  チェスナットもジョリーに習って水を掬い上げると口へと運ぶ。  湿気の高い地下通路は、ひんやりとして暑さは感じなかったが、その湿度の高さと緊張感のために背 中も顔にも汗が浮んでいた。  それだけに地下から湧き上がった水は、なによりもおいしく体に染み込む。  ジョリーに至っては顔まで洗い始めている。  それを見てチェスナットが言う。 「ジョリーって顔を水で洗うときは、水が怖くないんだ」  海の波を頭を被って固まっていたジョリーが、今は自ら水際で頭から水を被っているのがおかしかっ たのだ。 「だって湖の水はいきなり頭にむかって波立って襲ってきたりしないし」 「……襲うっていう?」  その大げさな表現にチェスナットが笑う。  だがその顔が一瞬思案顔になり、じっと隣りのジョリーの顔を見つめる。  じーーと顔に穴が空くかと思うほどに見つめられ、ジョリーがばつが悪そうに横目でチェスナットを 見やる。 「……なに?」  不快感をこめた目で見たジョリーだったが、チェスナットは気にした風もなくうなずくと言う。 「ねぇ、ここで泳ぐ練習しましょうよ」  冗談ではないことを示して真剣に言ったチェスナットに、ジョリーが目を点にする。 「え? ……ここで?」 「うん。だって海だと波に襲われちゃうでしょう? でもここなら襲ってくる波もないし、他人の目を 気にしないで心置きなく練習できる」  名案と手を拳でうったチェスナットが、躊躇いなく着ていた服を脱ぎ始める。 「え? え? チェスナット……なにやってるの?」 「ヤダなぁ。裸にはならないよ。でも、スカートとかブラウスは濡れると重いもの」  そしてキャミソールとスカートの下の下履きだけになったチェスナットがジョリーのボロボロのシャ ツにも手をかける。 「ジョリーは海賊になりたいんでしょう。だったら泳げないと。わたしが鬼コーチになってあげるから !」  抵抗の甲斐なくズボンまで脱がされたジョリーは、チェスナットに背中を突き飛ばされて水の中に落 ちていった。
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