「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



15 太陽の王国  
 背後で壁が音もなく閉まる。  僅かな振動の後に訪れた暗闇に、チェスナットはジョリーの腕を掴んだ。  目の前にいるはずのジョリーの顔も見えなければ、自分の手さえ見えない。見えるのは自分の鼻先と 震えるまつ毛の影だけだ。 「……ジョリー……」  不安に存在を確かめるように声をかければ、ジョリーの手がチェスナットの手を握り返す。 「大丈夫だよ、チェスナット。今火を点けるから」  ジョリーはチェスナットの手を離させると、立ち上がってゴソゴソと動き始める。  どうやら階段の壁に手をついて手探りで何かを探しているらしい。  そしてその後にカランという少し乾いた音が続き、ジョリーが戻ってくる。 「壁に松明があったのを見ておいたんだ。だから今からマッチで火をつけるからね」  チェスナットはジョリーの言葉に頷いた。そしてドアに飛び込んで壁が閉まるまでの僅かな時間にジ ョリーが松明の存在まで見ていたことに驚いていた。それに比べて、チェスナット自身が見ていてたの は、真っ暗な動物の腹の中へと続くような階段の先と、体の中をつき抜ける恐怖だけだった。  シュッと音を立てて擦られたマッチの先に赤い火が灯り、ジョリーの顔が見える。  真剣な目で松明へと火を移そうとするジョリーの顔が見れただけで、チェスナットの中で安心感が湧 き上がり、肩に入っていた力が抜ける。  よく見ると、ジョリーのシャツの下に着ていたランニングが脱がれている。どうやら松明の火を燃え 移らせるために巻きつけた布は、ジョリーの着ていたランニングらしい。  オレンジ色の炎をまとって揺れる松明を手にとり、ジョリーがチェスナットの顔を見つめる。 「チェスナット。ごめんね」  思ってもみなかった突然の謝罪に、チェスナットはじっと自分を見つめるジョリーを見つめ返しなが ら首を傾げた。 「なににごめんねなの?」 「チェスナットまで巻き込んだこと。ぼくは海賊になりたいって言ってるくらいだから、石の謎を解い て灼熱の太陽に近づきたいと思ってるけど、チェスナットは違うだろ。それなのに強引に引っ張りこん で」  ジョリーは目を俯かせたまま言ったが、立ち上がると閉じてしまった絵の壁を松明の火を寄せて調べ 始める。  もちろん押しても動くはずもなく、逆にこちらから絵を動かす仕掛けもどこにもありそうにはなかっ た。  チェスナットは必死に自分を外に出すための仕掛けを捜そうとしているジョリーの姿を見つ めながら、やっと一つの考えに至ってゴクリと唾を飲んだ。 ―― もしかしてココから出られない?  飛躍した恐怖の想像は、一瞬でチェスナットの脳裏に食べるものもなく、ジョリーと二人で骸骨のよ うにやせ細って倒れている姿を思い描かせる。 ―― いや、まさかそんなことにまでなるはずがない。だって、パパが捜してくれるはずだし、シスタ ーバイオレットとも教会内で会っている。なら、必ず教会内を捜索してくれるはずで。  チェスナットは勝手にパニックに陥りそうな考えを捨てると、目を瞑って深呼吸した。  大丈夫。出口のない秘密の扉なんて聞いたことがない。  そう思ってから、チェスナットは目を開けるとジョリーが照らしている松明の明かりの見える範囲の 床を見た。  石造りの階段だ。不器用なつくりの石の積み方から見て、素人がコツコツと作りあげたものなのかも しれない。そしてよく見ると、中央辺りの石は何度も人が歩いて削り取ったような滑らかさが見てとれ るが、端の方は埃や虫の死骸がたまっている上に石が角張っている。 「ジョリー、ちょっと来て」  チェスナットはジョリーを呼ぶと足元を下っていく石段を指差し、松明の光を当てさせた。 「ねえ、見て。真ん中だけよく人が通るみたいに見えない? ここだけ埃がないし石が擦り切れてる」  チェスナットは指を伸ばすと、真ん中の石の部分だけを拭ってみた。  やはり埃は指にほとんどついてこない。 「ほら。埃もつかない。ってことは、つい最近も誰かが使ってるって証拠でしょう?」  冷静にそう言ったチェスナットに、ジョリーが頷く。 「ほんとうだ。チェスナット、頭いい」  素直に褒められたチェスナットは、えへへと笑いながらジョリーの手を握った。 「ジョリーだって一瞬で松明のありかを見つけてたじゃない。わたしたち、いいコンビだよね」  そして立ち上がると二人で並んで階段の下を見下ろした。  何段あるのかは知らないが、石段は随分と下まで黒々とした闇を溜めた先の見えぬ底へと続いていた。 「行こう!」  チェスナットの決断に、ジョリーは頷くと同時に石段を下り始めた。  教会の孤児たちにおやつのミルクとクッキーを配っていたシスターバイオレットは、わずかに感じた 振動と音にピクリと肩を震わせた。  あの子たちだ。  並んでいた孤児たちから意識がそれ、顔から笑みが消えて音の方向に意識が向く。 「どうしたの? シスター」  小さな子どもの声に我に返ったシスターバイオレットは、歪んでいるステンレスのマグカップにミル クを入れてもらおうとしている男の子の自分を気遣う顔に笑みを見せる。 「ごめんね。ちょっと考え事しちゃった」  何人ものの子どもたちに引き継がれてきたカップにミルクを注いで上げると、隣りのシスターからク ッキーを一つ貰い、食卓のイスによじ登っていく。  全員の子どもたちに配り終わったところで、シスターバイオレットは待っている子どもたちに笑みを 向けて言う。 「さあ、みなさん。こうして毎日の糧を与えてくださる神に感謝を捧げながら、召し上がれ。あなたた ち全ての上に、神のご加護があることを忘れずにね」  子どもたちは思い思いに手を握って神様に感謝の言葉を述べると、カップのミルクを飲み始める。  それを見届け、シスターバイオレットは仲間のシスターに声をかけてその場を後にする。 「後をお願いするわ。やり残した仕事があって」  大らかなゆっくりとした歩みをするはずのシスターバイオレットが、足早に食堂を後にする。  そして向った先は、巨大な海図の絵が掛かるあの部屋だった。  真っ直ぐに下り続けたジョリーとチェスナットは最後の一段を下りきると、左手に広がった開けた空 間に目を向けた。  そして同時にその正面にある巨大な壁画に息を飲んだ。 「すごい。こんなところに壁画があるなんて」  呟くチェスナットの手を引いてジョリーが壁画に向って足を進める。  高さ2メートル、幅は5メートルはあろうかという壁の絵は、荒れ狂う海原とその中央を走る水の壁 でできた通路だった。  巨大な水の壁の内側には穏かな海面が広がり、その先に太陽を背後に従えた緑の島があった。  そして何よりも印象に残るのは、絵の中央、水の壁の手前で掲げられた灼熱の太陽と思しき宝玉だっ た。 「この絵って、誰かが舟の先で灼熱の太陽を掲げ持って見た光景だと思わないか?」  ジョリーの言葉に、チェスナットが頷く。  自分の突き上げた灼熱の太陽が海の水を二つに分かつシーンを実際に見た者の光景を二人に連想させ る。 「だったらこの絵を描いたのは」  言いかけたチェスナットにジョリーが頷く。  キラキラと松明の光を受けて赤く輝く瞳に興奮の色をのせ、ジョリーが壁画を仰ぎ見る。 「海賊王、アンギナンド」
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