「灼熱の太陽をこの手に掲げ」



  12 シスター ヴァイオレット
 並んで立ったジョリーとチェスナットの前に聳え立つは、石造りの大きな教会だった。尖塔の下では 青鈍色の大きな鐘が毎朝と夕方の定時を知らせるように、荘厳な音を町中に鳴り響かせる。  今も学校帰りの午後5時を知らせる鐘の音が、空気を震わせるように町の空気の中に溶け込んでいく。 「教会なんて初めて来た」  ジョリーの独白にチェスナットは「え」と声を上げて目をむく。チェスナットの家とてそれほど信心 深い家ではないが、毎週末には教会へ出かけ、安息日や祭典にはきちんと参加していた。それがこの町 のルールですらあるのだ。 「母ちゃんから話は聞かされているよ。この世界を作ったのは神様で、悪くなった人間を救うために遣 わされたのがメシアなんだって。でも、母ちゃんは具合悪いし、町でも除け者だから教会にはいけない から、俺も当然教会なんて関係ないと思ってたんだ」 「……そっか」  チェスナットは相槌をうちながら、そっと威容を示すような大きな扉の教会を睨み上げた。  信仰をもつことに身分や貧富の差があってはならないはずなのだ。そして、教会は迷える人を救うた めに存在しているはずなのだ。だったら、最も教会の助けを必要としていたのがジョリーの母、カイリ であったのではないかとチェスナットは思ったのだ。  そんな救いの手を求める二人を無視して、お金持ちや安穏と暮らす安定した暮らしを持つ人だけを抱 え込んで偉そうに教えを説くのは間違っているのではないか。  チェスナットは当たり前に受け入れていた教会への尊敬の念にひびが入るのを感じた。 「俺、入れるのかな? 君は入り資格がありませんとか追っ払われないかな?」  そんなジョリーの言葉に、チェスナットはむきになって赤い顔で声を上げた。 「そんなことあるわけないわ! そんなこという人が教会にいたら、神様に罰を受けるんだから!」  チェスナットは叫ぶが早く、ジョリーの腕を握ると教会の中へと入っていった。  薄暗くひんやりとした空気に満ちた教会。  勇んで足音も荒く教会に乗り込んだチェスナットだったが、自然穏かに流れる霊験に満ちた教会の空 気を体に感じた瞬間から燃え立っていた怒りが鎮火していく。  そんなチェスナットに引かれて歩くジョリーも、初めて入る教会の美しさにおのぼりさん丸出しで口 をあけて頭上のステンドグラスを見上げている。 「うわ、あんなキレイなもん、生まれて初めて見た」  確かに暗い教会の壁高く飾られたステンドグラスは、背後から差し込んだ光の受け、空気の中に極彩 色のきらめきを振りまいている。 「うん。きれいね。でも用があるのはあのステンドグラスじゃないの」  チェスナットには見慣れたステンドグラスゆえに、感動も薄く言うと二階の回廊へと上がる階段を昇 り始める。 「二階に上がったらあのキレイなのもっと近くで見れるな」  ジョリーの方は抵抗するでもなくすんなりついては来るのだが、顔はステンドグラスの方を向いたま まで、危うい足取りで階段を昇っていた。 「もう、ジョリー! ちゃんと昇ってよ。だから用があるのはステンドグラスじゃないって言ってるで しょう!」  チェスナットは呑気なジョリーの様子に苛立たしい声で言ったが、階段をちょうど下りてきたシスタ ーに気付いて口をつぐんだ。 「こんにちは、チェスナット。あなたの上に神のご加護がありますように」  顔見知りでチェスナットには母親のような存在だったシスターの笑みに、チェスナットが頭を下げる。 「こんにちは、シスター」  でも心なし、今までのように無邪気に笑みを向けることができなかった。自分には優しくて素敵な女 性だったが、そんな人もジョリーを見捨てたのかもしれないと思ってしまったからだ。 「チェスナット。こちらの紳士はどなた?」  手を繋いでいるジョリーを見つめ、腰を屈めたシスターが笑顔のままに尋ねた。 「ジョリー。友だちなの。カイリおばさんの息子」 「カイリちゃんの。そう」  一瞬申し訳なさそうにジョリーを見つめたシスターだったが、ジョリーのくしゃくしゃの髪に手を置 いて撫でると微笑みかけた。 「こんにちは、ジョリー。わたしはシスターヴァイオレット。あなたを歓迎しますよ。あなたの上にも 神のご加護がありますように」  シスターはジョリーのためにも祈ると立ち上がった。 「ところで二人は今日は揃って何のご用?」 「えっと、あの」  シスターがジョリーに優しく接してくれたことは嬉しかったが、なんとなく海図を見に来たことは秘 密にした方がいい気がしたチェスナットが言いよどんだ。  だがジョリーはそんな気配などどこ吹く風で、あっさりと口にしてしまう。 「チェスナットが教会にでっかくてすごい海の地図があるっていうから見に来たんです」  ジョリーも自分の優しく接してくれたシスターに心を開いたのか、いつもは大人に対して見せない快 活さを見せて言う。 「海図を?」  シスターが笑顔のままに首を傾げる。 「学校の授業ででも海のことを勉強したのかしら?」 「いいえ。ぼくが海賊になりたいから」  チェスナットは思い切りジョリーの手を引いたが、ジョリーは不思議な顔をしてチェスナットを見る ばかりだった。 「まぁ、海賊に」  シスターが笑顔を消し、少し困惑した顔でジョリーを見下ろす。  その顔を見て初めてジョリーも自分がまずいことを言ったらしいと感じて、急激に開いていた心を閉 ざした。  シスターもジョリーの変化を敏感に感じ取り、消えていた笑みを再び顔に戻した。 「ごめんなさい。ちょっとびっくりしたから。なかなか海賊になりたいって公言する子はいないから」  シスターは再びジョリーとチェスナットの視線にしゃがみこむと二人の手を握った。 「海図は好きなだけ見ていっていいのよ。とても美しいこの世界の命の源を知ることは、偉大な神様の 力の知る一歩ですもの。でもね、ジョリー」  シスターはジョリーに視線を定めると、真剣な眼差しで言った。 「海賊は、ただ海を生きる男だというだけではないわ。他人の積荷を奪い、必要とあらばためらいなく 人を傷つけたり殺したりする集団だわ。そうでなくては生き残れない世界だと言ってもいい」 「そんな人間は、神様に嫌われる?」  じっとシスターを見つめたジョリーが言う。 「ええ。そうね。神様は一人一人の命を大切に思っておられるの。海賊をしている人自身の命も。海賊 をすることで自分の命を危険に晒すことも、とても悲しい思いで見ておられる。でもね、わたしが考え て欲しいのは、ジョリーが人を殺したときなにを感じるかなの。人を傷つけたり殺したりして生き延び る自分の命に、価値を見出せるのかということを」  考えても見なかった言葉を掛けられ、ジョリーは何もいい返せずに押し黙った。  海賊にはなりたかった。でもどうしてかと聞かれれば、かっこいいからだ。それも自分の父親も海賊 だったと聞けば、自分にはそうなることが運命のようにすら感じたからだ。母ちゃんとの苦しい生活に も、一つお宝を見つけてくるだけで潤いが生まれるはずだから。でも、海賊になるということは母ちゃ んを一人あの家に置いていくことを意味していたし、もしかしたらそんままジョリーが帰ってこれなく なる可能性だってあるということなのだ。 「……考えても見なかった」  素直に気持ちを口にしたジョリーに、シスターが微笑む。 「だったらこれから考えてみればいいわ。ね?」 「……うん」  シスターは立ち上がってチェスナットに海図のある場所を説明した。  それを聞きながらジョリーはポケットからケーヌじいさんにもらった石を取り出した。  世界の海を描いた石が、ひんやりと手の平の中に収まる。 「ジョリー、行こう」  チェスナットの声をかけられ、慌てて後を追って歩き出す。  この石を手にすると、海が自分を呼んでいるような気がしてならなかった。でも、それはただの思い 過ごしなのかもしれない。泳げもしない自分を海が呼ぶはずはないのだから。  今日はただキレイな海図を見て帰ればいいや。  ジョリーは自分の気持ちにそう言い聞かせると、目の前のシスターに頭を下げた。 「さよなら、シスター」  走り出したジョリー。  ジョリーに微笑み返したシスターだったが、不意にジョリーの手にあるものを見て目を見開いた。 「あ、ジョリー」  だがその声はジョリーの背中に届いてはいなかった。  そこには口に手をあて、何かを思い巡らすシスターが取り残されただけだった。
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