第九話



 つい何度もズボンのウエストに手がいく。
 腹にあたる固い感触が気になって仕方がなかった。
 そこにあるのは鋭利な歯が鈍い輝きを放つナイフだった。
 買い物に出ようとした時に投げ与えられたものだった。
「サイドル、てめえ丸腰で出歩こうってんじゃないだろうな?」
「え?」
「馬鹿かおまえ。おまえが誰の弟か分かっていて手を出す馬鹿はそうそういないが、お前のそのおきれ
いな面がいろんなものを引っ掛けてくるんだ。自分の身ぐらいは自分で守りやがれ」
 部屋に集まっていた4人の男の嘲笑とともに投げれれたナイフをズボンに挿して出てきたのはいいが、
どうにも気になって仕方がなかった。
 手に持った感じもしっくりとは来なかった。
 これがまさしく本来の自分の姿らしいが、何もかもが自分から遊離していて、これこそが自分だとい
うものがどこにもなかった。
 あんな子どもを誘拐して平気な顔をしているようなゴロツキの集団にいるのに、自分はどこか暴力と
は無縁なところで漂っているようだった。しかも男たちの言い草を聞いていると、自分が誰か大物の弟
なようなのだが……。
 サイドルは手にしていた人形をじっと見つめた。
 にんじんを齧ったウサギの人形が、笑顔で自分を見つめていた。
「彼女へのプレゼントかしら?」
 不意に掛けられた声に、サイドルは人形を落とした。
「あらごめんなさい。でも熱心に見てらしたから」
 女性の店員が、サイドルの横に立っていた。
 あわててウエストのナイフの柄を触る手を離すと、落とした人形を拾った。
「知り合いの女の子へのプレゼントにいいかなと思って」
「まあ、優しいお兄さんですわね」
 店員が愛想のいい笑顔でそう言うと、手元の人形を見つめた。
「女の子でしたら、うさぎちゃんはみんな好きですわ。とっても喜んでくれると思いますよ。ラッピン
グしましょうか?」
「あ……はい。…お願いします」
 言われるままにサイドルは人形を店員に手渡した。
 キレイな七色に光る袋に入れられ、リボンの付いた袋を手渡されてサイドルは笑顔でそれを見つめた。
「ありがとう」
 店員に礼を言ってウサギの人形を抱きかかえる。
 きっとあの子も気に入ってくれるに違いない。



 男たちに言われた食材を手に下げ、サイドルはそれでも笑顔で歩いていた。
 大量の酒と食べ物で手は引き千切れそうに痛かったが、脇に抱えたぬいぐるみが温かかった。
 そのサイドルの肩に、誰かの手がかかった。
「よう、サイドル。相変わらずかわい子ちゃんじゃねえか」
 むんずと遠慮なく掴まれる尻に、サイドルは不快も露わに背後の男をみた。
 自分のよりも遥かにガタイのいい男たち三人が、サイドルを取り囲んでいた。
「何? 何か用?」
「そうだな。いつもこのかわいい尻にご用があるんだが、なかなかお相手してもらえなくてな」
「へえ〜。それはかわいそうに。でもぼくは男の相手する趣味はないから」
 サイドルは伸びてきた男の手を払いのけて歩き出そうとした。
 だが男の手は後ろに縛ったサイドルの髪を掴むと強く引いた。
「どうしてそうかわいげがないかね? たっぷりかわいがってやるって言ってるのに」
 引かれた拍子に痛みで顔を歪めれば、加虐本能に火がついた欲情した目が見下ろしていた。
 男の合図に、横にいた男二人がサイドルを壁に押さえつけた。
 買ってきたものが腕から落ち、酒のビンが破砕音を立てて地面に激突した。
「おっと、勿体ねえな」
 男が足元に落ちた食料品の袋を踏み潰しながらサイドルの目の前に立った。
「てめえの性欲の処理まで手下に手伝わせるのか?」
 挑発的に口を開けば、鼻の下を伸ばした気味の悪い笑みが男の顔に浮ぶ。
 そしてその男の手が口の中に突っ込まれる。
「なかなか口は立つようだが、その舌は違うご奉仕に使ってもらいたいね」
 太くごつごつした指を口の中に入れられ、サイドルはおもいきりその指に噛み付いた。
 途端に顔を殴られ、口の中に血の味が広がり、力限りに壁に頭をぶつけ、目の前に星が飛ぶ。
 男の手がシャツの中に伸びる。
「や、やめろ!!」
 サイドルは自由になる足で男の股間を蹴り上げた。
 男の猛獣のような声で跪くのを感じながら、横にいた男の手に齧りつき、自分を拘束している腕が一
つ離れたところでウエストに刺していたナイフをつかみ出した。
 それを横に一線すると、隣に立つ男の腕を掠めた感触で自分に触れる腕が全て離れる。
「てめえ、いい気になるなよ」
 股間を押さえて男が立ち上がる。
 そして自分もナイフを抜くと、サイドルに向かってかざした。
「痛い目にあわねえと、おとなしくできねえらしいな? サンドラの下に匿われているだけのひよっこ
が!」
 男がナイフを引いて投げようとした。
 その時だった。
 銃声が空に向かって響き渡った。




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