第七話



 強烈な痛みで目を覚ました瞬間、男はもとの緑色の怪物に戻っていた。
 元の白で塗り固められた部屋。
「ウウウウ、アア」
 痛みに声が漏れる。
 痛みを訴えている右手を見れば、緑色のもやの下で赤く流れる血が見える。
 片目だけの視界がぼやけていた。
 だが、だからこそ、前よりも冷静に自分の置かれている状況を見ることができた。
 以前に自分が緑色の怪物になったと思わせたものは、上部にある巨大なライトに写った自分の姿であ
ったのだ。
 そのライトに映った自分を観察する。
 緑色のゼリーのような皮膜の中に横たわっている裸の男がいる。
 左手と顔から血を流して、だらしなく弛緩した手足を伸ばしていた。
「あれが、俺…」
 かすれてはいたが、きちんと声が出た。
 喉の違和感があったが、酷く痛いというわけでもなかった。
―― あなたは左手は差し出し、償いました。
 そして求めてはいませんでしたが、右眼球まで差し出した。だから代わりに声を与えます。
 あの冷酷なまでに自分に何かを差し出せと迫った女の声が、頭上から降った。
「俺は誰?」 
 男は自分の意思ではどうにも動かない体に恐怖と徒労を感じながら、聞いた。
―― 名前はサイドル。
「サイドル?」
 口の中で転がしても、しっくりこない名前だった。
 だが不意にしたバイオリンの音に目を瞠った。
 これはトニーのバイオリンの音。
「トニー? トニーは無事なのか? 手は? 」
 男サイドルは、唯一かすかに動く首を動かして叫んだ。
 だが明らかにトニーのバイオリンの音は、あの演奏会のときよりもたどたどしかった。
 まるで泣き笑いのように語り掛ける音が、トニーの苦しみと痛みを語っていた。
―― サイドル。おまえはサンドラでなくていいんだよ。
 女の声のかわりに、トニーが言った。
 サイドルはわけも分からずに泣き叫びながら謝った。
「トニー、おまえ怪我をしたんだろう? どうして? おまえを俺は救えなかったのか?
トニー、すまない、おまえの大事な将来を、俺は俺は…」
 涙で息がつまり、サイドルはむせながら叫んだ。
―― ありがとう。お前の気持ちはもらったよ。ちゃんともう一度返り咲いてやるから、おまえも自分
を取り戻せ。それで救われる可能性のある人がいるんだ。
「救われる人?」
 サイドルはその言葉に、頭を鈍器で内側から殴られたような痛みを感じてた。
「うっ…うう、頭が」
―― 彼の脳内を記録して
 女の声が、サイドルではない何かに告げていた。
 スパークする白い光の向こうに、何かが見えていた。
 かわいいお人形のような服をきた女の子。
 汚い小屋の隅に拘束されて、真っ赤になった泣き疲れた目で見上げている。
 スパーク。
 その子が笑って歌を歌っていた。
 懐かしい童謡。
―― サイドル。今度はその子を救いに行きなさい。そして、右足を差し出すのです。





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