第三十三話



 展開されていたコンクリート剥き出しの部屋が、不意に闇に染まる。
 宇宙だ。
 床も天井も壁もない、ただ闇に染まった空間の中で、サンドラとサイドルがいた。
 いや、宇宙ではない、地獄だ。
 ここには何一つ光を発するものはないのだから。空に浮ぶサファイア、地球もなければ、燃え立つ太
陽もない。
 ただ、寒さも重力という圧力も、自分の存在感さえも消え失せそうな闇があるだけだった。
 膝を抱えて座っていたサイドルが、立ち上がると周りを見渡した。
「ここは?」
 だが目の前でサンドラの体が傾くのを見て、咄嗟に腕を差し出した。
 すでにサイドルの声に反応することもなく、本能のままに体を支えようと足が一歩前へと動かした以
外に、サンドラの意識がここにいることを示すものはなかった。
「サンドラ?」
 俯いたサンドラの顔の中で、白く上向いた眼球が激しく左右に揺れていた。
 次第に血走って赤くなっていく眼球とともに、こめかみから額にかけて、まるで網の目のような毛細
血管が浮き上がって見えてくる。
「サンドラ! おい、サンドラ!」
 上半身をサイドルに預けたまま、辛うじて立っているサンドラの体を揺すって叫ぶ。
 そのサンドラの目が不意に正気を戻して黒目になる。
「……やっぱり俺一人では荷が重い。お前も手伝え」
 サンドラの手がサイドルの肩を握る。
「手伝うって?」
 だが言ったサイドルの目の前に、途端に新たな世界が構築される。
 そこには緑の平原と、それを血しぶきで染める騎士団がいた。



 ゲームの中でしか見たことがなかったような大剣を振るうサンドラが目の前にいた。
 その剣が目の前の中世の騎士然としている男の首を薙ぎ飛ばす。
 あらわになる首の断面から空に向かって吹き上がる血の噴水を、サンドラとサイドルが頭から浴びる。
 サイドルは自分の手にも大剣があるのを見下ろし、構えることも忘れて辺りを見回した。
 途端に自分の前に飛び掛ってきた男と白金の刃に、思わず尻餅をつく。
 どうして急に戦場なんだよ!
 そんな心の叫びにはお構いなしに、頭上に迫った重苦しい刃。
 その刃をサイドルの背後にいたサンドラが、振り向くでもなく背中に回して振るった剣で打ち払う。
「本気で騎士と戦ってどうする? 俺たちは戦士じゃねえ。でもこの世界を征服できる構築主であるこ
とを忘れるな。俺よりもお前の方が、ここでは強いんだよ」
 血でヌルヌルと滑る草の上に立ち上がらせたサイドルに、サンドラが手の平をかざしてみせる。
 目の前に槍を構えた男が迫っていた。
「時よ、その流れを緩やかに」
 サンドラがそう唱えた瞬間、突き出されようとした槍がスローで二人に向かって動きはじめる。
「敵を構築する物体の座標をグラフィックで描き出せ」
 その声に反応し、騎士の甲冑を身につけ、兜を被っていた体がデーターへと変換され、緑色に発光す
る線と点に変わる。
「俺はこれを見て、相手の動きの先を読みつつ、相手をぶった切る」
 その予告通りに、スローで動く相手の背後へと回ったサンドラが剣を片手で頭上に振り上げる。
 その次の瞬間、通常のスピードに戻された騎士は目の前から消失しているサンドラに気づいたが、そ
の瞬間には頭は首から離れていた。
「おまえは切るという動作をするまでもないだろうよ。意思の力で粉砕しろ!」
 そう言われた瞬間に、サイドルはサンドラに四方から一気に攻め込む騎士団6人の姿を見た。
 串刺しにしようとするかのように、六本の槍がサンドラの体を目掛けて突き進む。
 その瞬間、サンドラの頭の中で何かが動いた。
「止まれ!」
 サイドルが叫んだ。
 瞬間、サンドラを除く全てのものが停止した。
 空に浮く雲さえもがその動きを止め、風に吹き飛ばされて宙を舞う木の葉もその空間に縫いとめられ
る。
 サイドルの目に、全てがデーターとして映っていた。
 これは人間ではない。自分たちをこの電脳の世界に繋ぎとめるために送り込まれた制圧プログラムに
過ぎない。
「だったら消えろ」
 冷たく言い放ったサイドルの目の前で、全てが脆いガラスのように砕け散る。
 その一部始終を大剣を下げたまま見守っていたサンドラが刃にこびりついた血糊を振り払う。
「さすがは俺の弟だよ」
 サンドラが笑う。
「じゃあ、俺は最後の仕上げに行くからな」
 サンドラは大剣を地面に突き刺し、瞑目するかのように意識を飛ばす。
 サイドルが砕いた敵の体が、爆発に巻き込まれた肉片のように地面を転がっていた。



「アッシャー、機能停止。サブデュープログラム発動」
 ケヴィンの見守る画面の中で、アッシャーとしてエリザベスの姿を借りてサイドルを操ってきた男が、
首から血を流しながら痙攣していた。
 あれでは助かるまい。
 時々間欠泉のように頚動脈から鮮血が噴出す様を見下ろし、ケヴィンは無表情で思っていた。
「サブデュープログラム……バグが発生。……まさか! ……全プログラム沈黙」
 呆然と呟くオペレーターの声に、ケヴィンが不意に笑い出す。
「サイドル君もやるもんだ」
 顎に手を当て、おもしろいゲームを観戦するように言うケヴィンを、研究員たちが指示を求めて見上
げる。
 と同時に研究室の中を警報が鳴り響いた。
 さすがに顔を顰めたケヴィンが、呼び出し音の入った無線を手のとった。
「どうした?」
「裏門、G‐12とB‐3ゲートから不法侵入の武装部隊あり。制圧に向かっていますが、すでに地下
3階は敵の手に落ちました」
 その報告に、ケヴィンが眉を顰める。
「第三層で防壁を発動。敵を全て第二層と三層に誘導。その後15分で窒素ガスを注入。敵をこの第五
層に到達させるな」
「了解」
 冷徹なほどの決断で告げたケヴィンが、眼下のサンドラとサイドルを見下ろす。
「なかなかおもしろいことを仕掛けてくれるねえ、君たち。久々に燃えてきたよ」
 ケヴィンの顔が、大統領補佐官という文官の穏かなものから、野獣の息吹を感じさせる兵士へと変化
していく。
「せいぜい足掻くがいい。でもかわいいお姫さまの人質は今もこの手にあるんだよ」
 白く蒼ざめたサイドルの顔を見下ろし、ケヴィンが囁く。
 その横で眠るサンドラの顔は、紫色へと変化し、苦しげにその胸を上下させていた。
「お兄ちゃん。どこまで弟を守れるかな?」

 
 

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