第十一話



「おい、サイドル。俺の酒はどうした?!」
 サイドルは買ってきたものをカードゲームで遊ぶ男たちの机の上に置くと、エリザベスの待つ奥の部
屋へと入っていった。
「ウイスキーなら袋に染みついてるでしょ」
「俺に袋をしゃぶれっていうつもりか! この役立たずが!!」
 男たちの悪態を聞き流しながら、サイドルは部屋のドアを閉めると怯えた顔で床に座っているエリザ
ベスの元へと歩いていった。
「ぼくがいない間、あいつらに変なことされなかった?」
 サイドルがしゃがみ込むと、エリザベスが頷いた。
 エリザベスの猿轡を外すと、床の上で居心地の悪そうな彼女のためにクッションを並べなおし、その
上に座らせてやった。
「おなかすいてる? ジュースとか飲みたい?」
 エリザベスが頷くのを見て、サイドルは袋からオレンジジュースとサンドイッチ、プリンを取り出し
てエリザベスの前に並べた。
「好きなの食べてよ。エリザベスのために買ってきたんだから」
 笑顔でいうサイドルに、エリザベスが困惑した顔をした。
「縛られてたら食べられないよ」
 両手両足を拘束されていたエリザベスが自分の体を示す。
「ああ、そうか」
 サイドルは今気付いたという態度で手を叩くと、背後のドアを伺った。
「あいつらに聞いたら、絶対外しちゃいけないって言われるよな」
「聞かないで!」
 懇願するエリザベスに、サイドルは笑顔で頷くと後ろ手で縛られていたロープを外した。
 そしてその手に出来ている擦り切れた赤い傷に、顔をしかめ、その手を撫でた。
「痛い?」
「うん。すこしだけ」
 血が滲んでいるのだから少しではないだろう。だが強がって言う女の子の気丈さに、サイドルは頷い
てその手にジュースを握らせた。
 酷く喉が渇いていたのだろう。むさぼるようにストローを吸う姿を見つめながら、サイドルは女の子
を見守った。
「ゆっくり飲みな。もっと欲しかったらぼくの分上げてもいいから」
 勢いよくへこんでいくジュースのパックを見ながら、サイドルは床の上に腰を下ろした。
 こんな状況の中でも、泣きもせず生きる道を模索する少女の姿が、サイドルには強く心を揺さぶるも
のだった。
 自分のことは何一つ明確には思い出せなかった。
 さっき会った女には独身と答えたが、自分が結婚していたのか、子どもがいたのか、恋人がいたのか
も分からなかった。まさか男の恋人がいたとは思えない。
 それでも体から染み出る感情で、自分には酷く大きな劣等感が育っていることだけはよくわかった。
 この小さな少女のように自分の生きる道を模索せず、現状を変える努力もせず、ただ時間を無為に過
ごしてきた。
 生きてはいた。でも積極的に生きていたわけはなかった。
 ただ流され、何かに劣等感を覚えてあがくことも忘れて漂っていた。
 その思いが少女の生きようとする力に引き寄せられていた。
 エリザベスがサンドイッチに手を伸ばして口に詰め込みながら、咽て咳き込む。
「ああ、慌てないでって」
 サイドルが背中をさすってあげると、意外そうな目で見つめてくる。
「……おにいちゃんは優しいね。あとの人は怖い。……わたしを連れ出したのはおにいちゃんだけど、
屋敷から出たらもうお兄ちゃんは違うところに連れて行かれちゃって」
 そのときのことを思い出したのか、エリザベスの口が震えていた。
 サイドルはエリザベスの背中を摩りながら、その背中に回ると膝の上に抱き上げた。
 クッションの上で壁に背中を預けて座り、エリザベスの座椅子になってあげる。
「大丈夫だよ。ここからはぼくが一緒にいてあげるからね」
「うん」
 サンドイッチを抱えたまま、エリザベスがサイドルの膝の上で頷いた。
「そして、この子もエリザベスの側にいてくれるってさ」
 サイドルは背中に隠していた人形を取り出すと、エリザベスを後ろから抱きしめるようにしてその手
に人形を握らせた。
「……うさちゃん。」
「そう、うさちゃん。名前は何にしようか?」
「……真っ白だからスノウ」
「スノウか。こんにちは、エリザベス。わたしスノウ。よろしくね」
 サイドルが人形の頭を下げてやると、エリザベスの頬に笑顔が浮ぶ。
「こんにちは、スノウ。これからよろしくね」
 サイドルはエリザベスの頭を撫でてやる。
 だがその幸せな空間は一人の男の侵入で破られた。
「サイドル。ままごとはそこまでにしてもらおうか」
 乱れた長い髪を流した険悪な顔の男が立っていた。
 皮の黒いコートを見につけ、黒ずんだブーツを履いた邪悪な顔の男。
「サンドラ」
 膝の上でエリザベスが身を硬くした。




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