実験・観察記録   愛の時限爆弾起動!



 
 人の歓談する声や食器の触れ合う音で満たされた賑やかな会場の中を、幸太郎はドキドキする胸を抱
えながら歩いていた。
 動悸はするが、病気の不快感ではなく、緊張による心臓のドキドキに近い感覚に戸惑いながら、声を
掛けてくれる人に笑顔で挨拶を返す。
 なんだかこれから好きな人に初めて告白する女の子みたいな気持ちだ。
 これまたたくさんの男の子たちに囲まれていたさゆりに気付いて手を上げた幸太郎に、サユリーナ、
ミッチェルの二人組みが駆け寄って来る。
「感動的ないい会になりましたね」
「ああ。みっちゃんもさゆりちゃんも、いろいろ協力してくれてありがとうね」
「どういたしまして」
 美知子はファンに貰ったらしい、花で飾られたスティックを得意げに振り回しながらポーズを決めて
言う。
 そんな大学祭ならではの感動的な会話をよそに、幸太郎の胸元で活動を始めた愛の時限爆弾が解析を
すすめていく。

 井上幸太郎ノ解析
―― 心ヲ隠サナイ、正直ナ人間
―― 家族ノ愛情ヲ注イデクレル、温カイ手を持ッタ人間
―― 煌ビヤカナ世界ヲ堪能サセテクレル人間

起爆ターゲット 選定開始


 そこへ近づいてきたのは、時人を連れた村上夫妻。
「幸太郎。素敵な会にしてくれてありがとう。君に頼んでよかったよ。さすがだ」
 ガハハハと豪胆な笑い声を飛ばして幸太郎の背中を力いっぱい叩く村上氏に、よろけながらも幸太
郎が嬉しそうに笑う。
「俺一人の力じゃないですよ。俺はただみんなに頼んで回っただけですから。会場の飾りつけのセン
スはさゆりちゃんとみっちゃんだし、豪華な食事は全部チカちゃんとその仲間さんの作だし、なんと
いっても感動的な会にしてくれたのは、時人くんのご挨拶だったし?」
 村上氏とゆりさんの間に挟まれて、すっかり最愛の息子ですという位置にはまっている時人に揶揄
の笑みをむければ、いつも通りの愛想のない顔でプイと横を向かれる。
「別におまえのために挨拶したわけじゃない。……その……、ちょっと雰囲気に流されたっていうか、
おまえのことを含めたのはついでだ」
 赤い顔で辛らつな口調を演じようとして、時人が眼鏡のブリッチを押し上げる。
 それを横から見ながら、ゆりさんがクスクスと笑う。
「時人ちゃんも素直じゃないわねぇ。照れ隠しのクセはママ、お見通しよ」
 横からちょんと眼鏡のブリッチを押されて、時人は恥ずかしそうに俯く。
「ゆり、時人がかわいいからって、いじめたら可愛そうだろ」
 横から村上氏が時人を庇うように言うと、背中からぎゅっとぬいぐるみを抱き潰すように時人を抱き
しめ、ヒゲの生えた頬で頬擦りする。
「ああ、なんていい息子なんだ。かわいいし賢いし。たまらん」
 生まれたばかりの子どもを可愛がるところからリプレイするつもりなのか、村上夫妻の時人への愛情
表現はかなり過激だった。
「い、痛いです」
 ジョリジョリと頬で音を立てるヒゲに、時人が遠慮気味に村上氏の胸を押す。
「そうよ、あなた。キレイな時人ちゃんの頬に傷がついたらどうするの。もう!」
 時人を取り返したゆりさんが、時人の頬を撫でる。
 バカ夫婦だ。
 幸太郎とさゆり、美知子が同時に笑顔の中でそっと思う。
「それはそうと、あなたたちずっと壇上にいて食事してないでしょう。とってもおいしいから、なくな
らないうちにもらってきなさい」
 ゆりさんは自分たち夫妻をバカ夫婦だなどと思っているとは思わない三人と時人に笑いかける。
「わーーーい、ご馳走、ご馳走」
 もちろん一番最初にさゆりの手をとって走り出したのは美知子だ。
 元気にアニメキャラのような格好をした二人が会場の中を駆けていくと、それについて走るオタク軍
団も現れる。
「じゃあ、俺たちもご一緒しましょうか?」
 おもしろがってその光景を見送った幸太郎が、時人の手をとって美知子の真似をして走り出そうとす
る。
「どさくさに紛れて触るな!」
 握った手を振り払われて、残念と肩をすくめた幸太郎に、時人はフンと鼻を鳴らしてその横を歩き
出す。
「で、このド派手な会の首謀者。一番のオススメとやらを教えろ。ぼくは小食で全部食い漁る美知子
のような真似はできないからな」
 言外に一緒に行ってやってもいいぞと言いたいらしい時人に、幸太郎は苦笑しつつついていく。
「オススメはね。そうだな〜。おまえ舌平目なんて食ったことある?」
「ない」
「じゃあ、ふかひれやキャビアは?」
「ない」
 それがどうした! と胸を張って言い切る時人に、これは食わせがいがありそうだと幸太郎が頭の
中で算段する。
「じゃ、最初は舌平目のマリネだ」


 どれを食べさせても「う〜ん」と首を傾げる時人に、幸太郎が苦笑する。
「おいしいだろ?」
「まぁ。でも、高いってわりに感動的な味わいというわけではない」
 そして決まって一口二口食べると、残りは幸太郎に押し付ける。
「もういらない」
「……俺はおまえの残飯処理係じゃないんだけど」
 そういいつつも、基本自分の好物に連れて回っているので食べてしまう。
 その横へ皿にてんこ盛りの料理を載せて、頬一杯に食い物をつめた、おまえの頬には鳥みたいな頬
袋がついてるのか! と叫びたくなる顔の美知子が現れる。
「もほ、へんふほいひふて、みひ、ひははふぇ」
 見ているだけで気持ちが悪くなりそうだと思う時人に対して、美知子はご満悦だ。
 そしてそんな量をよく飲み込めたものだという思う量をゴクリと飲み下すと、ふぅと息をつく。
「ねぇ、あっちに絶対時ちゃんがはまりそうなものあったよ。チカちゃんがお食事の最後にどうぞっ
て言ってたけど」
「最後にどうぞ?」
 幸太郎も全部のメニューを把握しているわけではない。
「行ってみるか」
 なかなかうまいといわない時人に何とかうまいと言わせたい幸太郎にとって、チカほどの助っ人は
いないはずだ。
「チカちゃん、今回はありがとね」
 テーブルで給仕するチカに近づいて声をかければ、チカは急須を傾けてお茶漬けをつくっているで
はないか。
「お茶漬けか」
「あ、井上さんと上条さん」
 礼儀正しくペコリとお辞儀したチカに、はじめて時人の顔が輝く。
「お茶漬けだ!」
「食べます?」
 チカの問いに時人が頷く。
「なんだよ、おまえ。お茶漬け好きなのか?」
 散々高いものを食わせてやって来たというのに、反応するのがお茶漬けだったとは。つくづく安い
男だ。
「ファンランがあんまり食わせてくれないから。さっぱりしたもの作れっていえば、かならずお粥だ
し」
 焼きおにぎりに佃煮や漬物をのせて海苔をのせたチカが、急須からダシ汁を注ぐ。
「上条さん、梅は大丈夫ですか?」
「うん。梅好き」
 出来上がったお茶漬けの上に、練り梅と刻み梅が乗せられて完成。
「さぁ、どうぞ」
 漆塗りのお箸とセットで手渡され、時人が今までにない極上の笑顔でお茶漬けをすする。
「うまい。やっぱシンプルが一番だ」
「やっぱ、俺おまえとは食の趣味まで合わないわ」
 ズルズルと音を立ててお茶漬けをすする時人の横顔を見下ろしながら言う幸太郎。
 その胸にチクンと痛みが走った。

―― ターゲット選定終了
   アドレナリン注入


 どきん、どきん。
 大きく跳ね上がった心臓に、幸太郎は眩暈すら覚えた。
 そして目に入った姿に目を見開いた。やがてその目が潤みすら帯びて輝く。
 キラキラと金粉が舞い散る中に神々しく立っているようにすら見える立ち姿。
 幸太郎の好みのタイプとは真逆をいく人間。
 素直でなく、愛情表現が苦手で、贅沢を楽しめない人間。
「おいしかった」
 お椀から顔を上げて晴れやかに笑う時人が、幸太郎には今まで会った誰よりも美しく、胸がしめつ
けられるほど愛しく思えてしまった人間だった。


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