実験 7  飲めよ、食べよの大宴会だぜ!  



《幸太郎編V》
―― 我らの星 上条時人    日本最優秀科学賞工学部門 史上最年少で金賞受賞      大学の校門上にデカデカと掲げられた垂れ幕が、秋風に揺れてそよぐ。その前を優雅に舞っていくの は赤とんぼだ。 「なにこれ?」  バタバタと音を立てる垂れ幕を見上げた美知子がつぶやく。 「この風にはためく音って、小学生のときの運動会を思い出さない?」 「ああ。言われれば。運動会のときの飲む牛乳っておいしかったよね」 「うん。ビンの牛乳でしょう?」 「え? みっちゃんところってビンだったの? わたしのところは紙パックだったよ。三角形の」 「えーー。やっぱ牛乳はビンだよ、絶対ビン。紙パックよりおいしいもん」 「そうなの?」 「そう。今度一緒に温泉行って飲んでみようよ」 「うん」  いつの間にやら時人の受賞話から牛乳談義に変わっていることに違和感もなく、美知子とさゆりが大 学のキャンパスの中を歩いていく。  その足元を何枚もの号外と書かれた大学新聞が舞い散っている。  号外の紙面の上で、不機嫌な顔で眼鏡を押し上げる時人の顔が歪んでいた。 「ほう〜」  キャンパスのベンチに座って飛んできた号外の新聞を読んでいるのは幸太郎だった。 「こんな時ぐらいサービス精神というものを発揮してもいいようなものを。こんな仏頂面で、せっかく の美貌が台無しだ」  だが言葉のわりに新聞の上の時人の顔を惜しげもなく丸めて皺くちゃにすると、背中に向って放り投 げる。  その幸太郎の目の前に大きな影がさす。 「井上君、ゴミはポイ捨てせずにゴミ箱に捨てて欲しいがね」  わざとらしく咳払いした男の声に、ベンチの上で太陽光を手で遮った幸太郎がキラリと光るはげ頭の シルエットを見つめた。 「これは学部長殿」  おどけて言いながらもベンチにだらしなく座った姿勢を正す気配はない。それどころか目上の大人に 敬意の欠片もなく、自分のベンチの隣りを座ったら? と示して叩く。  それにはダブルのスーツを着こなした学部長もフンと鼻を鳴らして襟を正したが、それに対して悪び れるでもない幸太郎に落胆を示して肩を落とす。 「父上は元気かね?」 「さぁ? ここのところ顔も見てませんから。顔も忘れかけてるくらいですよ」  他人事のように言う幸太郎を、学部長がため息交じりに見下ろす。  この学部長がいたからこそ、不真面目でたいして成績がいいわけでもない幸太郎がこの大学にいられ るというのも的の外れた意見ではない。  それくらいに幸太郎の父親の大学に対する寄付は莫大であるし、その父親と子どもの頃からの親友で ある学部長が幅を利かせている大学だからだ。幸太郎も子どもの頃からこの学部長のことは知っていた。 もちろん、学部長としてではなく、よく家に来るおじちゃんとしてではあったが。  父親のいない家にもよく来ては、幸太郎と遊んでくれた。父親代わりになってくれていた時期さえあ った。  そのころは大好きだったおじちゃんだったが、いつの頃からかその尊敬の念は複雑なものへと変容せ ざるを得なかった。  彼が足繁く井上家に通っていた理由が幸太郎のためではないと分かったからだ。親友の妻への関心 であることは、子供心にも自然と理解できるような空気感があったからだ。  だから、子どもの頃のように素直に相手に接することができない。距離のとり方が分からない相手だ った。  そんな幸太郎の思いが通じてか、学部長は悲しげな目の色で幸太郎を見ていたが、思い返したように 顔つきを変える。 「君の友人なんだろう、この最優秀賞を獲得した天才君は」 「時人? 友人かどうかは知らないけど、受賞のきっかけになった村上氏への色を取り戻す実験には一 緒に立ち会ってたよ」  時人が自分のことをどう思っているのかは分からないが、あんな素直に心を開いた時人を見た人間は、 この大学内では自分のほかにはいないのは確かだ。心を許したと言っていいのかは不明だが。  泣き疲れた時人を家まで運んでやったときのことは記憶に新しい。  担がれた背中で途中目を覚ましていたらしい時人は、自分の部屋のベッドに横たえられるまでタヌキ 寝入りを決め込んでいたようだったが、部屋を出て行こうとした幸太郎の背中に聞こえるか聞こえない かの声で言ったのだ。すまない、ありがとうと。  もちろん振り向いた幸太郎が見たときには、寝返りを打って背中を向けてしまった時人の後頭部しか 見えなかったのだが。  あれから顔をあわせていないために、真相はわからない。というよりも、聞いても素直に答えてくれ るとは思えないことだったが。 「彼の発明が特許もとれてね、大学としても大もうけだ」  村上氏への実験の成功後、時人がさらに開発をすすめて特許をとったのが機械ペットパメラへの応用 だった。  愛玩や癒しの効果が主だったパメラに新たに加わった機能により、盲目の人への盲導犬ならぬ目にな れる可能性がでてきたのだ。  まだ実用段階ではないが、パメラが目で映した映像を脳内への刺激としてアウトプットする結果、闇 の中の住人に映像を脳内で結ばせることができるのだ。もちろん、盲目である原因によっては利用でき ないが、障害の原因が目だけであって脳内に支障がない場合は、見るという人間最大の感覚をカラーで 再び手にできる可能性があるのだ。  それもかわいらしく自分をサポートしてくれるペットパメラによって。  その発想と功績が受賞の理由だった。 「学部長殿も、なかなか俗物的な物言いで」 「正直に言ってみただけだ。大学経営も簡単ではないご時世でね。そこでだ、村上氏からも提案があっ てね、大学で上条君の功績をたたえるパーティーを開きたいと思っているんだ。学祭も近いからそれを 兼ねてね」 「へぇ〜」  相槌は打ったものの、幸太郎は内心では苦笑いだった。時人がもっとも嫌いそうなことだ。  科学への探究心は大きいが、人の賛辞は煙たがるタイプであるうえに、人が大勢集まるパーティーな ど大嫌いなこと間違いなしだ。  だが主賓となれば逃げることも叶わないだろう。  お気の毒に。 「そのパーティーの幹事をやってくれないだろうか?」 「は?」  時人のヤダ! と叫ぶ顔を想像してほくそえんでいた幸太郎は、学部長の言葉にベンチの上で跳ね起 きた。 「え? 俺? 俺が天才上条君を讃えようパーティーを主催しろって?」 「ああ。友だちなんだろ?」 「それとこれは別だろう?」 「いや。実は村上氏からの提案もあって上条君にはサプライズパーティーにしておこうと。そうしない と来やしないぞと村上氏から忠告があってね」  さすが、親父見抜いてらっしゃる。  幸太郎は胸の内で呟くと、頭を抱えた。  なんで俺があんな偏屈野郎のためにクソ面倒くさい役を引き受けないとならないんだ?  でもあの時人を相手にサプライズパーティーを企画できる奴が他にいるのかと考えれば、そんな人 間は皆無であることに気付く。  それにこのところの時人は、以前ほど小憎らしいガキでもない。いじりがいのある弟のような存在に なりつつあるのも事実。たまにだが、かわいいと思わないでもない。  脳裏の蘇るはタヌキ寝入りをしていた寝顔だ。いつもの険が取れてあどけない少年の顔だったのに不 覚にもちょっとばかり見入ってしまったのだ。別におかしな感情ではない。少し意外だっただけに、珍 しい虫でも発見した興奮を感じただけだ。興奮とかいうと、ますます妖しい感じだけど。  幸太郎は自分の中の葛藤を跳ね飛ばすと、ベンチに座りなおして膝を両手で打って立ち上がった。 「しょうがないですね。学部長殿のお願いとあらば、この井上幸太郎、一肌脱ぎましょう」 「うむ」  悪いねという言外の言葉をのせて学部長が言う。  その声を聞きながら幸太郎は振り向かずに手をふる。  幸太郎の気だるい背中を、学部長は黙って見送ると、自分もベンチからよっこらしょと掛け声を掛け て立ち上がり、去っていくのであった。
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