実験5 伸ばした手を、どうか振り払わないで





 生温かい視線を全身に感じて、幸太郎はおもむろに目をあけた。
 目の前にあるのは、枕代わりにしていた自分の腕と、机の上にできたヨダレの水溜り。
 おっと、いけねぇ。いい男が授業がつまらないといって、よだれ垂らして寝てるなんて。
 慌てて服の袖でヨダレの水溜りの拭うが、すでにそれを見つめる視線が多数、幸太郎の周りを囲んで
いた。
「やだ〜、幸太郎さまでも居眠りするんだ」
「もう、昨日の夜はどこの誰とデートしてたんですか? 今度はわたしとデートしてくれるって約束し
てたのに〜」
 すでに授業が終って教授も講義を受けていたであろう生徒もいなくなった教室の中で、すっかりと寝
過ごした幸太郎と、それを取り囲む女たち十数人だけが残されていた。
「あれ、授業終っちゃってたんだ」
 すかさず差し出された誰かのハンカチで口元を拭った幸太郎が、言う。
 そして差し出されていた場所にハンカチを戻せば、女子大生たちの奪い合いだ。
 幸太郎の生唾液つきハンカチ争奪戦。
 そんなあさましい争いを、憐れみを込めて見守る何人かは、幸太郎とキス経験がある女たちだ。
 そのうちのひとりが半分寝ぼけている幸太郎の目の前ににズズっと進み出ると、いつもより幾分きつ
めの目でじっと見つめてくる。
「幸太郎、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 近づけられた顔に、無理とさらに顔をよせ、笑顔で何と首を傾げてみせる。
 そうすれば、不満顔も、赤らめられて弱気になる。
「そう、そうなんです! わたしたち、幸太郎さまにお尋ねしたいことがあって」
 ハンカチ争奪合戦をしていた女の子たちも、一団となって言う。
「その幸太郎がしてる犬のネックレス、神野美知子もしてない?」
 最初に幸太郎に顔を寄せた女が、ネックレスにかけた、あの時人からもらったキーホルダーを示して
言う。
「これ?」
 幸太郎が指で摘み上げて言えば、女たちが揃って頷く。それはそれは、きれいに揃ってシンクロチー
ムか? 並に。
「そういえば、みっちゃんも貰ってたな」
 つい数時間前に時人に手渡されてピアスにつけていたのを目撃したところだ。新品がどうのこうの言
っていたのを考えれば、前のは壊れたか何かしたのだろう。
「どうして美知子とおそろいなの?」
 嫉妬剥き出しで抗議する女たちに、幸太郎が大事なファンを守るアイドルスマイルを向ける。
「これはみっちゃんと俺でおそろいにしようなんて思って付けてるんじゃなくて、あの天才上条時人ち
ゃんがですね、手づくりで作ってプレゼントしてくれたわけ」
「上条が?」
 女子大生たちの間に驚愕が、そしてひんやりとした沈黙の空気が流れていく。
 上条時人。それは女子大生たちにとっては、天敵といっていいほど、目にするだけで凍りつく、ヘビ
の前のカエルの気分になる相手であった。
 もちろん思いっきり反撃できるカエルなわけだが、それでも十分に、あの鋭い殺気がこもっていると
すら感じる視線に晒されると、腰がひける。
 気まずそうにお互いの顔を見合う女たちが、突然発生した時人という巨大な壁を前にして立ち往生し
てしまうのであった。
「何? これが欲しいわけ?」
 次の言葉が出ずに困っている女の子たちに救いの言葉を差し出せば、再びシンクロした頷きが返され
る。
 なるほど。
 俺とおそろいの犬のネックレスでも作りたいわけだが、肝心の入手先が時人では、頼みになど恐ろし
くて出向けない。
 が、諦めると、俺とおそろいはみっちゃんだけで、まるで付き合っているのを容認するくらいに許せ
ないと。
 さて、君たちどうしたいんだい? 
 にっこりと微笑んだまま、物見の見物と決め込んだ幸太郎が女たちを眺める。
「幸太郎、それ上条に貰ってもらえない?」
 きっと幸太郎ファンクラブの会長を自認しているのだろう、目の前を陣取っていた女が言う。
「え? 俺が?」
 そう来たか。
 困った顔を作ってみせた幸太郎が腹の中で悪の参段をはじめる。
 時人に貰うっていってもな。あいつに頼みごとって俺だってしづらいんだよね。
 なんか急に犬のキーホルダーくれるって来たときから、変に親切だったり、ビクビクしたりするけど、
普段は汚い性欲魔人を見るみたいな目で睨んでくる奴だからな。
 今だって、何で俺にこれくれたのか謎だし。
 指でキーホルダーを弾きながら、考え込む。
 時人から一個かっぱらってくるだけの気力を起させる特典がないと、やる気がでないな。どうせ時人
に嫌味を言われるわけだから。
 特典。
 特典♪
 思いついて目を上げれば、目の前にはたくさんの女の子たち。
 そうだ。ここはこの子たちに競い合いをしてもらいましょう!
 幸太郎はみんなに素晴らしい提案をする学級長のように、さわやかに全員を見回すといった。
「分かった。時人に言って、一つだけ分けてもらえるように頼んでみるよ。だから、その一つは、ぼく
を一番喜ばせることができた子にあげる!」
 かくして、時人作ワンちゃん争奪戦、ならぬ、幸太郎を魅了しろ大作戦が展開されるのであった。


 一人目、挑戦者。キャバ嬢風看護科2年 
「幸太郎。これ、プレゼント」
 サービス満点で、大きく開いたキャミの胸を幸太郎の座るテーブルの上に乗せて押し上げた女が、自
信たっぷりに笑っている。
「ありがとう。なんだろうね?」
 そしてこれまた余裕たっぷりで受け取った幸太郎が、きれいにラッピングされた箱を開ける。
 そこにはIWCポルトギーゼ・トゥールビヨン・ミステール。
 一千万円では買えない額の腕時計が、光り輝いて鎮座している。
「お、すげ。究極の美って言われてる時計だよ」
 幸太郎を取り囲んで、事の成り行きを固唾を飲んで見守る女の子たちにも、箱の中味を見せて素直に
喜んでみせる。
 この勝負、もらった。
 目の前の女が長い髪を手で梳きながら微笑む。
 でも残念でしたねと微笑んだ幸太郎は、箱をパチンと閉じると女の前に返した。
「気持ちはすごく嬉しいよ。でもね、俺、それもう持ってるんだ。ごめんね」
 一人目、あえなく撃沈。それも何ヶ月にも及ぶローンとともに。


 二人目 サラサラボブヘアで俯き加減の恥ずかしがり屋さん、国文学科・一年
「あの、井上さん。これ、貰ってください」
 大学の廊下でそっと手渡されたそれは、キティーちゃんのピンクの紙袋に入れられた手づくりクッキ
ー。
 袋の中のクッキーも、なかなかの業物で、すべてキティーちゃんやスヌーピー、ミッキーマウスの顔
をかたどったものだった。
「すごい上手だね」
 小さな背の上にのる頭をさらに縮め、女の子が真っ赤になって俯く。
 袋の中から一枚を取り出して食べれば、味も手づくりらしいたまご味がきいていて、懐かしい気持ち
になる。
「おいしいし、心がこもっててうれしいなぁ」
 通り過ぎる男たちはケッと顔を背け、女たちは「幸太郎、清純派に落ちるか!」と見守る。
 その視線の中、う〜んと唸って両腕を組んだ幸太郎が、ポンと女の子の肩に手を置く。
「プレゼントはすごく嬉しい。でもね、ぼくが初恋の彼女から貰ったのも手づくりクッキーでね。ちょ
っと悲しい思い出も甦っちゃったよ。だから、ごめんね。でも、このクッキーはおいしいから喜んでい
ただくね」
 さわやかな微笑みで頭を撫でられ、国文科の彼女は当初の目的はどこへやら。ポーと顔を明赤らめ、
正気は空の彼方へふあふあと飛ばしながら、あっさり「はい」と頷いてしまうのであった。二人目、昇
天(?)


 三人目 黒髪ストレートのロングヘア。 モデルもこなす法学部の才女
「お金をかけたプレゼントもダメ。手づくりもダメ。だったらもう、これしかないってことよね」
 強引に拉致られた幸太郎は、ホテルの回転するベットの上に転がされていた。
「あの、立ち位置逆だと思うんですけど……」
 裸足の足で胸を押さえつけられ、上から見下ろしてくる女王様のような女を見上げて言う。
「いいのよ。どうぞ、お楽になさっていて」
 にっこりと笑った黒髪美人は、ハラリと来ていたカシュクール仕立てのワンピースを脱ぎ捨てる。
 その下から現れたのは、上下黒でまとめられたランジェリー。編みタイツを止めたガーターベルトが、
なんともセクシー。
 そしておもむろにベットを下りると、見事に鍛え上げられた体でベットの脇になぜあるのかとずっと
不思議に思っていたポールに体を纏いつかせる。
 片足をポールに巻きつけ、クルクルと回りながら身を仰け反らせながら、長い黒髪を靡かせる。
 おお、ポールダンス!
 映画の中などで、ちょっといかがわしいお店のお姉ちゃんが踊っているのは見たことがあったけれど、
生で見るのは初めてだった。
 踊りながら幸太郎に背を向け、思わせぶりに顔だけ振り向かせながら、前ホックだったらしいブラを
はずして、幸太郎の頭にかかるように投げてくれる。
 顕わになった乳房を両手で隠し、笑顔で振り返る美女。
「ブラボー! ナイスダンス。ナイスバディー!!」
 頭にブラをのせた間抜けな格好のままに、パチパチと惜しみない拍手を贈る。
「楽しんでいただけて?」
 うふと微笑む女に、幸太郎が笑う。
「いい目の保養になりました」
「だったらワンちゃんのチャームは」
「でも残念」
 幸太郎は立ち上がってブラを彼女の肩に掛けると、財布からホテル代を机の上において、女に背を向
けたままに言う。
「君が欲しいのは、ワンちゃんのチャームじゃないだろう。正直な目が、欲しいのは俺だって言ってる
よ」
 幸太郎が部屋のドアを抜けていく。
 女の肩からブラが落ち、「くそ〜〜〜!」と叫ぶのが聞こえた。
 三人目、負け犬の遠吠え。


 金のかけたプレゼント却下。
 愛情のこもった手づくりプレゼント却下。
 体を張った、ナイスバディーを投げ出す捨て身戦法も却下。
 あとは何があるというんだ!
 女たちが頭を捻っている頃。


 四人目 赤毛のアンを彷彿させる、赤毛ショートのそばかすちゃん。
「あのワンちゃん、キーホルダーだかチャームだかの争奪戦って、まだ参加できますか?」
 大学のレストランでいつものように時間を潰していた幸太郎に、近づいてきた女の子が一人。
「うん。まだ誰もゲットしてないからね」
 初めて見る顔だった。
 話し掛けられたり、目があった女の子の顔は全て覚えている自信がある幸太郎にも、見覚えがない。
「あんた誰? うちの大学?」
 幸太郎の取り巻きの一人が、明らかに追い払いたい空気いっぱいに言う。
「うん。栄養学科だから、キャンパスが違うんだよね。だから、普段は会わないかもね」
「ふ〜ん」
 オーバーオールの半ズボンとTシャツ姿で、大学生というよりは、高校生、あるいは中学生でも通り
そうな女の子の屈託のない笑顔に、取り巻きもやりづらそうに口を尖らせる。
「じゃあ、お願いできますか? 井上さん」
「はい。なんでしょう?」
 にっこりと笑った女の子は、幸太郎に向って手を差し出す。
「一緒にデートしてください」

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