「実験 2 女の相談 蜜の味」



《幸太郎編 T》

 目の前で喋り続けている女の顔を見つめる。
「それでね、アキラってば、わたしが知らないと思って浮気ばっかしてるんだよぉ。この前なんて、急
にプレゼントくれるから、喜んでたのに、開けてびっくり。中に知らない女の名前書いたメッセージカ
ードなんて入ってるの。「サヤちゃんへ、愛してるよ」なんて書いたカード。ありえないでしょ〜」
 甘えた舌ったらずな喋りで、口を尖らせる女に、幸太郎は笑みを浮かべて頷いてみせる。
「さゆりちゃんみたいなカワイイ子が彼女なのに、他に目が言っちゃうなんて、考えられないよね」
 ピンク色の少し厚い、たっぷりとグロスを重ねた艶やかな唇が笑みの形に変わる。
「わたし、アキラなんかじゃなくて、幸太郎ちゃんのこと好きになればよかったな」
 つけまつ毛で覆われた大きな瞳で上目遣いに幸太郎を見上げ、さゆりが頬杖をつきながら言う。
 幸太郎はどこか期待した視線に顔をよせると、じっとその瞳を見つめた。
 ここで目の前に吊るされた餌にヨダレをたらして食いつくようなマネは、もてない男の悲しいサガだ。
自分のする所業ではない。だけど完全に眼中にないと思わせない微妙な匙加減で返答を。
「そんなこと言われるなんて嬉しいけどね。アキラの浮気を怒ってるさゆりちゃんの本当のところの気
持ちは分かるから。すっごく残念だけど」
 その一言で、甘い展開を期待して潤んでいた瞳が我に返り、苦笑してみせる幸太郎に、エヘっと笑っ
てみせる。
「そうだよね。さゆりはアキラ一筋だから」
 自分の見せた浮気心を誤魔化して頭を掻くさゆりに、幸太郎は内心笑みを浮かべる。
 焦らしてやりながら、ほんの遊びの気持ちから恋心に変わっていく瞬間を見るのが、なによりも楽し
い遊戯だった。
 体の関係だけを目当てに擦り寄ってくる女には、適度なスキンシップで自分の取り巻きにしてやるの
がいいところ。そんな女に興味はない。
 甘えてくる友達志望の女を、本気にさせて自分への想いで溺れさせるのが何よりなのだ。
「幸太郎ちゃんって、思ってたよりも真面目なんだ」
 あっさりと言ってのけるその言葉に、幸太郎も苦笑しかでない。
「さゆりちゃんの俺のイメージってどんなんなのか怖いよ」
「え〜、いっつもキレイなお姉さんたち連れて歩いてるからさぁ。友達が幸太郎ちゃんを、いつでもO
Kな一発屋だって」
 かわいい顔から出る予想外の言葉に面食らいつつ、「えー、それは酷いよ」とショックの表情を浮か
べてみせる。
「ぼくだってちゃんと相手は選ぶし、いつでもOKってほど体力に自信ないよ」
「あははは、そうだよねぇ」
 大きく開けた口を手で覆って笑うさゆりに、それはそれであんまり同意して欲しくないんだけどと拗
ねてみせれば、「ごめんね」と言って頭を撫でてくれる。
「さゆりちゃんの相談に乗ってあげてるのは俺なのに、頭撫でられて慰められちゃったよ」
「ふふふ。さゆりママに甘えていいよ、幸太郎ちゃん」
 ママと呼ぶにはあまりに幼い顔で、さゆりが両手を開いて自分の胸に幸太郎の頭を抱きかかえていく。
 柔らかな胸の感触と甘い香水の香りが幸太郎を包む。
「……さゆりちゃん、胸が当ってますが」
「知ってるよ」
 平気な顔で胸の上の幸太郎を下ろしたさゆりが、その頭を抱えて頬ずりする。
「さすがに俺も照れるんですけど」
「さゆりは毎日ネコのジロちゃんとチューしてハグハグしてほっぺスリスリしてるけど」
「俺はネコと一緒ですか」
 二人で顔を見合わせて笑い合う。
「笑わせてもらったお礼に、一緒に飲みに行くのなんてどう? おいしいワインのお店知ってるけど」
「行く行く! でもワインはちょっといいや。さゆり、ビールと焼酎が大好きなんだ。安上がりな女で
しょ。居酒屋大好き。……って、幸太郎ちゃんには似合わないか」
「ん? そう? 俺だって居酒屋大好きよ」
「わーい。かにグラタン頼んでいい?」
「なんでもどうぞ。かわいいさゆりちゃんには、なんだって奢ってあげる。っていっても居酒屋だから
たかが知れてるけどね」
「ううん。さゆり、すっごく嬉しい」
 さっそく行こうと立ち上がるさゆりに、幸太郎もうなずいて先を歩く背中に笑みを浮かべる。
 気持ちのいい胸に埋もれさせてもらったお礼だよ。
 つい口元に皮肉な笑みが浮く。
 だがさゆりが振り返った瞬間には、完璧な楽しいデートに浮かれた男の笑みに取って代わる。
 差し伸べられた手を握って、手を繋いで歩いていく。
 夕焼け空が東から紫色にグラデーション始めていた。
「暗くなるの早くなってきたね」
 大学の建物から出てすぐに、さゆりが吐息とともにつぶやく。
「もう秋だからね」
「ちょっと損した気分にならない? 昼が長いほうが楽しい時間がいっぱいで嬉しいのにな」
 素直に言うさゆりに、横に立った幸太郎も一緒になって空を見上げる。
「その気持ちも分かるけど。夜の楽しみってのもあるでしょう。ね?」
 見下ろして言えば、下から見上げていたさゆりが歯を見せて笑う。
「ヤダ〜。幸太郎ちゃんが言うとイヤラシイ〜」
「だから、そのイメージは消してよ。夕方の一日の疲れを癒す一杯に出かける楽しみって言いたかった
のに………」
「はーーーーい」
 了解しましたと敬礼してみせるさゆりに、よろしいと幸太郎も頷いてみせる。
 そうして二人並んで赤い提灯の下がる居酒屋目指して歩いていくのであった。




 豪快にビールジョッキを傾けて喉を鳴らすさゆりが、次の瞬間にはお約束の「ぷはー」を言って口元
の泡を拭う。
「この最初の一口が最高なんだよね」
「一口じゃないけどね」
「う〜ん、一飲み?」
 枝豆をつまみながら、さゆりが笑う。
 カウンターに二人並んで座りながら、人ごみの喧騒と演歌の中で注文をするために手を上げる。
「ちょっとお待ちください」
 店員の鉢巻を巻いた女の子が、食器を片付けながら言うのに頷く。
 その女の子の持った盆の上のグラスを見て、幸太郎は条件反射のように浮かび上がった不快感に目を
そらした。
 真っ赤な口紅のついた細いシャンパングラス。
「んん? どうしたの、幸太郎ちゃん」
 すでにトロンとした目になっているさゆりが、それでも気づいた幸太郎の表情の変化にビールジョッ
キを片手に尋ねる。
「え? ううん。なんでもない。じゃんじゃん頼んじゃって。カニグラタンだっけ?」
「そうそう。カニの甲羅の中にグラタンが入ってる奴ね」
 空になったビールジョッキを高々と掲げてみせる。
「それからビールおかわり!」




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