「実験 1  ストレートパンチをストレートに受けてみる」




 まだ心地いい暖かなまどろみの中を漂っていた。
 ふわふわと柔らかな布団の中は、まるで真綿に包まれているようで………。
「トキート! 起きなさい! 学校遅れるよ!!」
 ガバっと捲られた布団に、柔らかな暖気が逃げ行く。
 シャーと勢いよく開けられて音を立てるカーテン。
 そこから射しこむ白光に、時人は脳天まで焼かれる痛みを目の奥に感じ、両腕で顔を覆った。
 窓まで開けられ、朝を謳歌している鳥の鳴き声が大きくなる。
「ほれ、さっさとしなさーい」
 ベットの上で転がってうつぶせになった時人の尻を、ファンランが力任せに叩き、床に散らばったも
のを大雑把な仕草で集め始める。
「勝手に部屋の中のものをいじくるな」
 幾分力の入らない掠れた声で訴えた時人は、寝癖だらけの頭で起き上がると、机の上の時計を見た。
 時計の針が指しているのは6時半。
「…………」
 年を取ると朝が早いらしいが、それに付き合わされては堪らない。
 まだ片目しか開かない顔でファンランを見れば、朝ゆえに未だメイクは崩れずに彼女の顔に貼りつき、
口元の彼女の特徴、深い溝は出来上がっていなかった。
 その彼女が時人の背後に目をやり、途端に柳眉を逆立てる。
「トキト! 何度言えばわかるね。洗濯物はちゃんとタンスにしまいなさい。またくちゃくちゃでしょ
う!」
 振り返ってみた時人も、昨日寝るときに枕の上から寄せただけだった洗濯物の山が崩れて、自分の下
敷きになっていたらしく潰れて皺だらけになっているのを見つける。
 イライラした顔で、ファンランが拾い上げた書類のたぐいを机の上にダンと音を立てて置く。
「朝を爽やかに始められないから、わたし、気分悪いね。やっぱりトキトは猿以下ね」
 いつもの高い声が、なおのことキンキンと脳に突き刺さる。
 時人はこの嵐が一秒でも早く去ってくれることだけを望み、頭を勢いに任せて掻いた。
 朝が爽やかじゃないのはお互い様じゃないか。
 無言のまま心の中で悪態をつくと、パジャマの上着を脱ぎ、ファンランの顔の前に差し出す。
「洗って」
 今しも次の文句を吐き出そうとしていたファンランが、鼻先に突き出されたパジャマに口をつぐむ。
「……パジャマ洗うなら、下のほうもよこすね」
 口をつぐませるためにした行為だったが、パジャマの下まで脱いだらトランクス一枚になってしまう。
 ベットに座ったまま止まった時人に、ファンランが言う。
「何、恥ずかしがってるね。昨日時人の裸は全部見たね」
 途端に昨日の出来事を思い出し、時人は不快感でいっぱいになって顔をしかめた。
 そして自棄になってパジャマのズボンを脱ぐと、ファンランの顔目掛けて投げつけた。
「何するね。それが洗ってもらう態度あるか?」
 途端にキンキン攻撃を仕掛けるファンランの背中を押し、時人は部屋から追い出しにかかる。
「出てけ!」
 叫びを上げ続けるファンランをドアの外に押し出し、ドアを閉めると鍵まで掛ける。
 そしてドアに頭を押し付けると、ずるずると崩れるように床にうずくまった。
 できることなら、このままもう一眠りしてしまいたいぐらいだった。
 だがトランクス一枚の背中を朝の冷たい風が吹きぬけ、思わずブルリと震える。
「トキト、また寝たらダメよ! さっさと朝ごはん食べてもらわないと困るあるね。わたし今日、9
時半にエステの予約してあるね」
 エステ!? 今さらエステ行って、その海溝ほどもある皺が消せると思っているのか!
 腹の底からふつふつと湧く怒りを抑えられずに、ドアを拳で殴りつける。
 ガンと音を立てたドアの向こうがしばし沈黙する。
 そして一言を残してファンランが階段を下りていく。
「思春期の男の子難しいね。きっと欲求不満ね。わたし、トキトに襲われたらどうしたらいいね」
 誰が襲うか。頼まれたって断固拒否だ。
 朝から眉間の皺を深くして床から顔を上げた時人は、ベットの上でクシャクシャになった洗濯物から
Tシャツを取上げると、怒りに任せたままに袖を通した。
 そこに愛の時限爆弾が付いていることに気づかずに。


 大学構内の中庭の芝生の上に寝転がる。
 空はどこまでも青く、雲一つない空は遥かの高みにありながら、手をのばせば掴めそうな感じだった。
 伸ばした手の中で、愛の時限爆弾がゆれる。
 時人はその銀色の犬をじっと見つめた。
 予備の愛の時限爆弾を幸太郎につけに行かないとならないのだが、どうもやる気がおこらずに、無為
に時間を過ごしていたのだった。
 どうせ今の昼時なら学食のレストランにいるのはわかっているのだが、あの人ごみに入っていく気力
が今日はない。
「早く実験データ取りたいのは山々だけど」
 そうつぶやいた瞬間、時人はなぜか身の危険を感じて体を強張らせた。
 その予感は的中で、顔にバトミントンのシャトルが激突してくる。
「あ、ごめ〜〜〜〜ん」
 額に当ったシャトルを手に起き上がれば、少し離れたところで神野美知子がラケットを振って笑って
いた。
 走りよってきた美知子を見上げれば、またしても爆発をおこしたのだろう、鼻の頭に煤をつけている。
「今日は何やった……」
「ん? えっとね、朝ごはんにゆで卵食べたかったんだけどね、茹でるおなべが空いてなかったのね。
だから卵を直接ガスコンロに置いて焼いたのね。そしたらね、バンって」
 どうやら授業ではなかったらしいが、毎日どこかで爆発を起さないとならない体質らしい。
 時人は呆れ半分で頷いてシャトルを差し出す。
 それを受け取りかけた美知子が、その手に同じく握られていた愛の時限爆弾に気づき、声を上げる。
「あーーー!! かわいい。それ欲しい」
「え?」
「欲しい、欲しい! ワンワンのキーホルダー欲しい!!」
 子どものように手足をバタバタさせていう美知子に、時人は予想外の展開で、口を開けたまま自分の手
の中の愛の時限爆弾を見下ろした。
 ……これは幸太郎に着けるつもりのやつで……。
 だがその瞬間、時人は思いついた考えにニヤリと笑った。
「あげてもいいけどさ。お願いがあるんだ。もう一つペアのがあるから、幸太郎にも肌身離さず持って
ねって言って渡してくれる?」
 一瞬意味を取り損ねたように首を傾げた美知子だったが、くれるという言葉に気をよくした様子で
「うん」と頷く。
 手渡した愛の時限爆弾を手に「イエーイ」と叫んだ美知子が、耳の輪っかのピアスに連結してつける。
「ね、かわいい? かわいい?」
「え? ……うん、かわいいよ」
「うわーーい」
 子どものようにはしゃぐ美知子を見ながら、いったい美知子からはどんなデータが飛んでくるのかと
妙な好奇心も湧いてくる。
「で、幸太郎ちゃんに渡すのは?」
「研究室にあるから、取りにいくわ」
「美知も行く!」
 美知子はバトミントンをしていた友達に「ちょっと用に行ってくるね」などといって、手を振って時
人の後について来る。
 その様子を横目でみながら、時人はこっそりとほくそ笑む。
 あの幸太郎のことだ、女に頼まれたことは必ずやるだろう。たとえそれが美知子相手でも。
 研究室に入った時人は、机の引き出しから、最後の一個となった愛の時限爆弾を取り出すと美知子に
手渡した。
 とそのとき、珍しく研究室に顔を出したのが幸太郎だった。
「お、時人にみっちゃん。仲良くご両人で何してるの?」
 愛想よく寄って来た幸太郎が、時人の隣に立つと肩を抱く。
「お、今日も男前じゃないか」
 寝癖のない頭を見て幸太郎が笑う。
「あのね、これ幸太郎ちゃんに上げたいんだって」
 美知子が今手渡したばかりの愛の時限爆弾を手に、幸太郎に言った。
 な、美知子。約束が違うだろう。おまえが上げたことにしないと!
 焦って口をパクパクする時人に、美知子がキョトンとした顔で首を傾げる。
 そして幸太郎の方は、昨日も財布にあるのを見たその犬型キーホルダーに、腕の中の時人の頭を見下
ろした。
「時人が俺に?」
「そう。わたしも貰っちゃたのだ」
 美知子がピアスにつけた愛の時限爆弾を揺すってみせる。
「へぇ。……もしかしてぼくらの友情の印とか?」
 そう言いつつ、幸太郎が美知子の手から愛の時限爆弾を受け取り、しげしげと見つめる。
 俺にこれをくれるということは、昨日のも、もしかしたら時人からのプレゼントだったのか? 俺、
突っ返したことになっちゃうなぁ。
 幸太郎は昨日の出来事を思い出し、時人の顔を見下ろした。
 なんだか青いような、赤いような、妙な顔色の時人が自分を見上げていた。
「本当にくれんの?」
「……うん。……そんな変なの幸太郎はいらないかもしれないけど」
 口の中でモゴモゴと言う時人に、幸太郎は笑顔を向けるとその頭を撫でた。
「いやいや、嬉しいでしょう。天才時人ちゃんからのプレゼントなんて、めったにもらえないんだから」
 気難しやで、偏屈で、人間嫌いの上条時人からのプレゼントなんて。
 そんな内心は見事に隠し、幸太郎は笑顔で言うと、ネックレスのリングの一つに愛の時限爆弾をつけ
た。
「わたしとおそろいだぁ」
 美知子が跳ねながら喜びの声を上げる。
「時人。そういうお前はつけないのかよ」
「え、うん。ぼくのはうちにあるから」
 実は服の下に着いている事を知らない時人は、そう言うと笑うのであった。

 上条時人ノデータ1。
 ファンラン―― 思ッタ事ヲ、スグニ口ニスル、ズケズケトシタ物言イヲスル女。

 解析結果 ―― 上条時人ガ好ム人間ハ

  物腰ノ柔ラカナ、人間


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