「実験・準備  不快で頭痛のする男たち」




 頭が痒い。
 昨日は風呂にも入らず、というより一睡もせずに愛の時限爆弾作りに没頭していたために、自分の体
のありとあらゆるところが乱れている気がした。
 髪も脂が浮いてべたついているし、頭を掻いた手の指は、つい嗅いでしまったところによると、動物
の皮のような匂いを発していた。服も皺になった白衣の下は、昨日からの着たきりすずめのせいで、汗
臭い。
 指紋の痕が浮いた眼鏡を外して白衣の裾で拭っていれば、横を通り過ぎた女たちが、こぞって眉をし
かめて通り過ぎていく。
 そんなに汚い男は存在否定されるほど、不快か?
 わざわざ振り返って眉を顰めて自分を見るポニーテールの女に、視線を合わせてあらん限りの不快感
を込めてにらみかえす。
 そんなに嫌なら無菌室にでも住んでいろ。
 時人は白衣の襟を正してフンと鼻を鳴らすと、ポケットの中の犬型マシーン、愛の時限爆弾を指で確
認した。
 あとは被験者、井上幸太郎のいつも身につけているものに装着してやれば完了。自動でデーターを収
集してくれるはずだ。
 時人は意地悪い笑みが浮ぶのをなんとか堪えると、腕時計を見下ろした。
 午前10時45分。
 授業はサボりまくる幸太郎も、この時間には決まって学食のテラスに現れる。もちろん女を引き連れ
て。
 普段なら決して近づかないエリアだが、今日は特別だ。
 実験を心より愛する科学者としては、万艱を排して科学に身を捧げるのだ。
 と、大げさに自分を奮い立たせても、時人の場合、万艱は女の存在なのだが。
「お、珍しいお客様じゃないか、時人」
 目ざとく声を駆けてくる幸太郎に、予定通りとほくそ笑みそうなところを堪え、いつも通りに不機嫌
に眼鏡を押し上げてみせる。
「こっち来いよ。なんなら今日のランチでもおごってやるし」
 おごってやる?
 なんと不快で傲慢な物言い。
 本気でムっとしかけたとき、すぐ後ろで歓声が上がる。
「うわ〜い、幸太郎ちゃん、太っ腹。ランチ奢ってくれるって」
 いきなり肩を掴んで耳元で叫ばれた声に、ビクっと身をすくめる。
 なんでここに、神野美知子!
 今日も爆発を巻き起こしたのか、前髪がこげて縮れ、鼻の頭に煤をつけての登場だった。
「今日は何をした?」
「ルビジウムを水の中に落っことしちゃって」
 時人の顔がさすがに引き攣る。
 アルカリ金属を水に落とせば、爆発するのは基本知識だというのに、この女は。
「っていうか、時ちゃん臭い」
「………ほっとけ」
 時人は美知子の登場に悪い予感を感じつつも、予定は変更できないと、幸太郎のいる席へと歩いてい
く。
「今日は無造作ヘアーも極まれりってとこ?」
 目の前に立った時人に、幸太郎はへにゃりとした笑みを浮かべて頭から足の先へと視線を動かした。
 そしてその目が後から来た美知子へと辿ると、大げさなほどに驚いた仕草で両手を広げる。
「みっちゃん、また爆発させたの。今日で何回目?」
「入学から数えて99回目」
「一日に必ず一回は爆発させてるペースだよな。お見事としか言いようがないね。次の100回目には
謹んで記念品を贈呈させてもらうよ」
「ありがとうーーーー」
 なぜこんな会話を和やかに交わせるのかが時人には最大の疑問だったが、うまいこと美知子が得意技
無神経を発動し、幸太郎にへばりついていた女たちの間を割って、自分と時人の座るスペースを確保し
てくれる。
 何よこの女、という視線など感知力0で対抗。笑顔で椅子に座った美知子は、幸太郎を挟んで反対隣
りの椅子をポンポンと叩いて、時人に笑いかける。
「はい、時ちゃんの席もあるからね」
「………うん」
 装置をつけてやるにはうってつけだが、こうまで幸太郎と膝を突き合わせるようにして座る必要もな
いのだが……。
 美知子は隣りで不満そうに真っ赤な唇を尖らせた女に、こともなげに「喉渇いたから、オレンジジュ
ースお願いします」などと言っている。
 ええ? なんでわたしが! と女の顔に怒りが浮き上がるが、幸太郎にお願いできる? などと両手
を合わせて頼まれれば、ぎこちない笑顔で「うん、いいわよ」などと言って席を立って行く。
「幸太郎ちゃんは、相変わらずお姉さん方にモテモテなんだ」
「まあね」
 美知子と楽しげに会話をしていてくれる間に、時人はすばやく幸太郎の体に目を走らせる。
 さて、どこに装置をつけてやるのがいいものか。
 時人の視線の先で、肌蹴られたシャツの胸元が目に入る。
 こんなおちゃらけたグータラ男なのに、胸筋はしっかりと盛り上がっていやがる。女にもてるための
努力は怠らないタイプか?
 つい突っ込みポイントばかりを捜してしまう自分をイカンイカンと戒め、その胸の上でゆれるネック
レスに狙いを定める。
「なあ、そのネックレス」
 唐突に口を開いた時人に、幸太郎と美知子が振り返る。
「あ? ネックレス?」
「時ちゃん、アクセサリーになんて興味あるの?」
 明らかに時人の普段ではありえない言葉に、二人の興味をひいてしまう。
 そうだ、ぼくは科学の分野では天才かもしれないけれど、人間関係を築くのは大の苦手だったのだ。
当然自然で友好的な会話の技術など持ち合わせてはいない。
 途端に自分の舌がしどろもどろに言葉をつむぐ。
「あ、うん。え、ていうか、まあ、なんていうか。それ何の金属でできてるんだ?」
「プラチナ」
「プ、プラチナか。さすが、幸太郎は高いもの身につけてるな」
「………まあな」
 時人から出た褒め言葉に、幸太郎が目を丸くする。
 自分でも、まさしく有り得ない。
 ネックレス作戦は失敗だ。
 だったら、他にこの男が常に持ち歩きそうなものを見つけなければ。
 慌てて幸太郎のだらけて椅子に座った体に目を走らせる。
 その視線に晒された幸太郎は、明らかに挙動不審でブツブツと呟きながら自分を舐めるように見る時
人に面食らいながらも、特にケチをつけるでもなくそんな時人を逆に観察する。
 その横では、まったくのマイペースを貫く美知子が、いつの間にやら奢ってもらったオレンジジュー
スをストローでジュルジュリと吸いながら、足をばたつかせて学食のメニューを眺めていた。
「ねえ、本当に幸太郎ちゃん、ランチおごってくれるの?」
「いいよ。なんでもお好きにどうぞ」
「デラックスフレンチコースでもいいの?」
「おお、いいねぇ。三人で学食のシェフご自慢のコース食べちゃう?」
「え。本当にいいの? 三人で9000円だよ」
「別に安いもんだろ?」
 幸太郎がパンツの尻のポケットから財布を取り出す。
 それを見た瞬間に、時人はこれだ! と目を光らせた。
「幸太郎!」
 叫び声を上げて立ち上がった時人に、幸太郎が再び目を丸くする。
「な、なに? 愛の告白なら、もっと人目のないところにして」
「は?」
 かみ合わない会話に見つめあいながら、時人が幸太郎の財布を指さした。
「ぼ、ぼくが注文に行って来る」
「時人が?」
「そう。奢ってもらうんだから、そのぐらいするさ。ほら」
 時人はそう言って、幸太郎の前に手の平を差し出す。
「………おまえがそう言うなら」
 幸太郎の財布が時人の手にのせられる。
 やった! 
 瞬間、笑顔がはじけそうになるのを堪え、時人は踵をかえすと、いそいそと学食の食券を買いに走る。
 食券を買う振りで財布を開き、チャックのジッパーに犬型装置をキーホルダーのようにつけてやる。
 あとは、リモートの起動スイッチを入れて送られてくる情報を解析していけばいいだけだ。
「注文してきたぞ」
 幸太郎に財布を返し、にこやかに時人が告げる。
「時ちゃん、急にご機嫌じゃん」
「ほんと、笑ってるとこなんて、初めて見た」
 ほとんど不気味なものを見る幸太郎の視線は失礼千万だが、実験の被験者であることを考慮して目を
つぶろうという気にもなる。
 次々と運ばれてくるランチコースの料理に、小食の時人は持て余しぎみだったが、細い体のわりに大
食漢の美知子は、デザートまで止まることなく口の中に放り込んでいく。
「時ちゃん、チョコレートケーキ食べないの?」
「………いらない」
「だったらわたしに頂戴」
「お好きにどうぞ」
 コーヒーをゆっくりと楽しむ幸太郎を挟んで、食べすぎて青い顔の時人と、口の周りにチョコレート
を付けた美知子が皿のやりとりをする。
「ちょっと失礼」
 幸太郎は席を立つと、学食のケーキを全種類注文して箱に詰めてと頼む。気持ちのいいたべっぷりに、
美知子へのプレゼントと思ったのだ。
 そして、財布を開いたとき、零れ落ちた見たことのないキーホルダーに目をパチクリさせた。
「なんだこれ」
 銀色の犬型のキーホルダーが、財布から下がってユラユラと揺れる。
 幸太郎は後ろの学食の席で胃のあたりを苦しそうに押さえた時人と、笑顔でチョコレートケーキを食
べる美知子を振り返って見て、うなずいた。
 このキーホルダーは時人のものに違いない。時人の作ったロボットも、たしか犬型だったのだから。
「ほらよ。爆発100回のイブプレゼント」
 ケーキの箱を美知子の前に差し出しながら、幸太郎はそっと時人の白衣のポケットにキーホルダーを
放りこんだ。
「うわ、幸太郎ちゃん、ありがとう。大感謝!」
 美知子が歓喜の声をあげ、ケーキの箱を目の前に掲げる。
 その箱をうろんげに見上げ、思わず吐き気を覚えて時人が口を手で覆う。
「あ、ごめん。ぼくはこれで失礼する。幸太郎、ごちそうさま」
「ああ、もったいないから、吐くなよ」
 時人が青白い顔で去っていく。
 その時人の白衣のポケットの中で、愛の時限爆弾がコロコロと揺れていた。



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