Chapter 8   Little hand has a big gun 
(小さな手に大きな銃)



「メリラ見っけ」
 明かりの灯されていない暗い部屋の中に犬走りで飛び込んでいったマメが叫んだ。
 部屋の中央に座り込んだメリラがマメの声にビクっと体を震わせる。
「?」
 あまりにぎこちない、錆びたブリキの人形の首の動きで振り返ったメリラに、マメは首を
傾げた。
「どうした、メリラ」
 闇の中でも色をなくして蒼白の顔で震えるメリラの姿が見てとれた。
 そのメリラが前方の壁を指差して震える声を漏らす。
「……ヘ……ヘ……」
「ヘ? おなら?」
 見当はずれな返答にメリラが首を振る。
「ヘビが……」
 その声と同時にズルズルと蛇腹を砂に擦りつける音が闇の中で響いた。
 音に反応して低い姿勢のままに身構えたマメは、天井から伝い降りようとしている巨大な
ヘビの姿を認めて息を飲んだ。体調はゆうに3メートルはある。
 チロチロと二つに割れた舌を突き出した白いヘビは、しかも頭が二つある双頭のヘビだっ
た。
 床に降り立ったヘビは、ゆっくりとマメに向って鎌首を上げるとシャーと威嚇音を立てた。
 鋭く尖って湾曲した牙からは毒の雫が滴り落ちている。
「マメ、それ猛毒持ってるから」
「………わかった」
 マメは身構えたままに返事をすると、腰にさしていた銃を引き抜いて一気に六連射した。
 全弾が片側のヘビの右目に命中し、叫びを上げてヘビが仰け反る。
 そして片割れの苦痛を感じとったヘビが、マメにむかって牙を剥き出しに突進する。
 そのヘビに向って、マメは逃げるのではなくかえって突進する。
「マメちゃん!」
 メリラは両手で顔を覆って叫びを上げた。
 マメはヘビの口の下に身を滑り込ませると、全身をバネにして拳を突き上げた。
 それはヘビの皮を打ち破るほどの威力だった。
 そしてその皮の隙間に手をねじ込ませたマメは、殴られた衝撃で倒れそうになって持ち上
がる首に掴まって上昇すると、片目から血を流している隣りの首の上に飛び乗った。
 ダンと頭の上に飛び乗られた首を揺らしたヘビは、次の瞬間に眉間をナイフで貫かれて雄
たけびを上げていた。
 マメは突き刺したナイフで魚の腹を捌くかのようにヘビの頭から背中を駆け下りて二枚に
開いていく。
 内側のピンクの肉を空気中にさらけ出しながら、ヘビが地響きを立てて崩れ落ちるのに時
間はかからなかった。
 指の間から目を覗かせたメリラは、へへへと得意げに笑っているマメの姿を見て安堵の笑
みを見せたが、その背後の解体されたヘビを見るにつけ、泡を噴いてぶっ倒れたのであった。


 硬い地面に押し倒されたカオスは後頭部を強打してクラリとまわった視界に目を回す。
 そのカオスの腹の上に馬乗りになったハンナが、舌なめずりしそうな顔でカオスを見下ろ
す。
「どうぞ、お好きにして」
「それがお好きにしてって態度じゃないと思うけど」
 痛む頭を摩りながら言うカオスの目の前で、着ていたシャツを何の躊躇もなく脱ぎ捨てる
ハンナに、思わず目を剥く。
「お、おい」
 まだ大きな双丘は黒いブラの下になっていたが、溢れんばかりの胸が身を乗り出せばたわ
わに揺れる。
「好きにしていいって言ってるでしょう」
 両肘をカオスの顔の横についたハンナの胸が、カオスの頬に触れる。
「ま、待って。本当に待って。おねがいだから待って!」
 泣き出しそうな勢いで懇願したカオスに、ハンナがチッと舌を鳴らす。
「おまえ本当に男かよ。据え膳喰わねばって言うだろう。っていうか、もしかしてお前、女
ダメだとか……男しか反応しない体?」
 そう言って何かを思いついた勢いで身を離したハンナが手を伸ばす。
「ぎゃああああ!!」
「なんだよ。ちゃんと勃ってるじゃん」
 安心したように言うハンナの横で、カオスは両手で自分の股間を庇って叫びを上げる。
「だからそう言うところがやる気をなくさせるんだって言うんだよ。ハンナはデリカシーな
さすぎ!」
 文字通り目尻に涙をためて叫ぶカオスに、ムッとした顔をしたハンナだったが、やりすぎ
だったと反省したのか言い返さずに俯く。
「……悪かったよ。ちょっといじめ過ぎた」
 すっかりハンナに怯えた様子で身を縮めていたカオスは、ハンナの謝罪にわずかに顔を上
げて頷く。
「わたしも、……どう接していいのか分からなくて。同い年くらいの男なんてどこにもいな
かったし、手本の母さんと父さんは、子作り宣言もいつも母さんの方で」
 ぐずぐずと鼻を鳴らしていたカオスも、なんとなく想像できるキャンディス母さんと鯉蔵
父さんの関係に頷くばかりだった。
「分かってるよ。わたしだってもって女らしく、しおらしくしなくちゃおまえに引かれちゃ
うことくらい。でも、今までそんな風に生きてこなかったから。いつも家族を守るために女
を捨てて戦ってこないといけなかったから」
 途方にくれた顔で告白するハンナに、カオスは返す言葉が見つからずに俯いた。
 もちろん同意もなく迫ってくるハンナには困ったものだと思っていたが、怯えて抵抗する
自分も相手をひどく傷つけたのではないのか。
「ゴメン。俺も酷いこと言った」
 カオスは唇を噛みしめ自分の気持ちを整理すると、尻餅をついた格好から立ち上がり、キ
ッとハンナを睨むように見た。
 そして地面に蹲って座ったままのハンナの前に片膝をつくと、上がったハンナの顔をじっ
と見つめた。
「迫られるのは好きじゃない。でも、自分から迫るなら別」
 ハンナの両の頬に手をあて、余裕のないキスをぶつける。
 勢いよくぶつかった唇と唇に痛みすら感じ、二人して顔を顰める。
 それを至近距離でお互いに見合った二人は、キスを交わしたままに微笑み合うと、今度は
そっと啄ばむように唇と重ねた。
 柔らかく厚みのある下唇を口の中に含み、そっと舌を纏わせて吸う。
 ハンナの腕がカオスの首に回る。
 離れた口の間でハンナの吐息が漏れる。
 うっとりと目を閉じたハンナの顔に、カオスは心臓をドキンと跳ねさせた。
 下腹から掻痒が駆け上がる。
 目線をしたに移せば、まだカオスの触れたことのない胸の膨らみがそこにある。
 どんな感触なんだろう。
 ごくっとカオスが唾を飲む。
 だがそんな甘い空気を打ち砕いて、部屋の外でズルズルと不気味な音が近づきつつあった。
 カオスとハンナが顔を見合わせる。
「何の音?」
 尋ねるカオスにハンナが首を傾げる。
「カオスーーーー。ハンナーーーー。どこ? 助けてーーーー」
 助けてと訴えている割に呑気なマメの声が聞こえる。そして再び始まるズルズルという音。
「行って見よう」
 素早く脱ぎ捨てていたシャツを羽織って歩き出した背中に続き、カオスが部屋を出る。
「マメちゃん。ここよ。何があったの?」
 ハンナの声に、ズルズルの音が止まり、ついさっきカオスがマメに追い込まれた部屋の入
り口をマメが覗く。
「あ、カオス、やっぱり、ここ」
 そう叫んだマメは背中に脱力したメリラを背負っていた。
「メリラ?」
 近づいたハンナに背中のメリラを預け、マメが興奮した顔でカオスの手を引く。
「あのね、あのね。でっかいヘビ。蒲焼食べれる」
 飛跳ねながら叫ぶマメに手を引かれて歩きながら、カオスにはマメの言いたいことが分か
らずに眉間に皺を寄せて顎を突き出す。
「マメ、意味分からないけど」
 だが言った直後にマメの言いたいことを理解したカオスだったが、やっぱり悲鳴をあげず
にはいられなかった。
 ベロンと紫色の舌を下げたヘビの顔が、カオスの目の前に横たわっていたのだった。

 
 その晩の夕飯がヘビの蒲焼だったことは言うまでもない。
 だが原形を知るメリラとカオスは一口も食べることができなかった。
「おいしいよ、カオス。ジューシー」
 マメが頬いっぱいに頬張りながら顔を米だらけにして微笑んでいた。


 その晩。
 穏かな暖かさの中でたゆたっていた意識が、不意に覚醒させられる。
 口をふさがれた状態で、強く肩を揺すられる。
「んん!!」
 息苦しさと驚きの中で目を開ければ、すぐ側にハンナの顔があった。
 だがその顔が緊迫した表情でカオスを見つめ、唇に指を立てる。
「静かに! マメちゃんを追ってる奴らかもしれない」
 手で口をふさがれたままに、カオスが目を見開く。
 見やればマメはすでに起き上がり、見たこともない真剣な面持ちで外の気配を窺っていた。
そしてその手には、大きすぎるほどの拳銃が握られていた。
 カオスの横から立ち上がったハンナが、カオスに向って何かを放る。
 毛布のかかったカオスの胸の上に落ちたのは、マメが握るのと同じ拳銃。
 酷く重い重量感を持ったそれが、胸に沈む。
「自分の身は自分で守りな。下手なりきに」
 ハンナはそう言うと、二人について来いと手で示す。
 マメが無言のままに頷き、ハンナの後を追う。
 ただカオスだけが、事態を完全に飲み込めずに、ただ呆然と胸の上の黒光りする拳銃を見
下ろしていた。
「マジか」
 今までも、何度も命のやり取りの場面には立ち会ってきた。人を殺したことだってある。
 でもやはりそれは個対個の戦いでしかなかった。弱肉強食。そう、食べるための戦いに過
ぎない。
 だが、今目の前に迫っているのは、もっと強大な力と意志をもったものとの戦いであった。
 マメがアルカディアに追われているのだとしたら、自分が今から対峙しようとしているの
は、この荒れ果てた国が誇る最強の軍隊なのだ。
「マジかよ」
 拳銃を手の中に握る。
 ずっしりと重いその重みが、これから自分が直面する事態の重さであるかのようだった。
 カオスは立ち上がると、部屋を出ようとした。そして、入り口で待っていたマメと目が合
う。
 マメの小さな手には余るほど大きな拳銃。
 強張った顔で見返したカオスに、マメは拳銃を肩に構えると笑ってみせる。
「カオス、マメが守る」
「おまえが俺を?」
「うん。マメ、カオス好き」
 マメが手を差し出す。
 その手を握り、カオスもやっと浮んだ笑みで頷く。
「俺もマメのこと守るよ。マメのこと………」
「マメのこと?」
 続きを求めて首をかしげるマメに、カオスが笑う。
「自分のペットだと思ってるから」
「ペット!? ペット、ピース!」
「いや、ピースは相棒」
「カオス、マメのこと好き好き!!」
 不満だと口を尖らせて胸を叩くマメに、カオスが笑う。
 笑いは、手の中の拳銃を少し軽くしてくれたように、カオスは感じた。


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