Chapter 8   Little hand has a big gun 
(小さな手に大きな銃)



 右手にはパン。左手には厚切りのハムを持ち、カオスとマメが貪るように夕飯にありついていた。
 その様子がおかしいと声を上げて笑うメリラを除いては、そんなに飢えていたのねと、少し憐れな
生き物を見る視線が二人に注がれていた。
 長女のハンナがカオスの横に座ると、すでに空になっているボールにキャベツのスープを注いでく
れる。
「はるがほー」
 口一杯につめられた食べ物の隙間からお礼を言えば、いやに視線の絡む微笑みをむけられ、さり気
なく太ももに手が置かれる。
「うっ!」
 思わず喉にパンを詰めたカオスだった。
 そんなカオスにマメは全くの無関心でがぶがぶと音を立ててスープを飲み干し、カオスは水を苦し
げに喉へと流し込む。
 そんな様子を鯉蔵お父さんはビックリした顔で見つめ、キャンディス母さんは腕組みして品定めす
るようにカオスを上から下まで眺める。
 セリに掛けられた魚の気分だと思いつつ、カオスは居心地悪く身を竦める。
「ハンナ、その男が気に入ったのかい?」
「……そうねぇ。顔はかわいいわ。でもあっちの方はまだ成長途中ってとこかしら?」
「まあ、若い男は性技はないけど活きはいいわな。子どももできやすいかもしれん」
 その会話にカオスは口の中のパンとキャベツのミックスを吐き出す。そしてぎゅっとつかまれた腿
に、悲鳴を上げて飛び上がる。
「まあまあ二人とも。彼が怯えているではないか」
 そうだよ、鯉蔵パパさん、助けてよ〜!!
 必死の視線で頷きながら、鯉蔵お父さんがキャンディス母さんとハンナを宥めるのを祈るように見
つめる。
「失礼な男だ。女から誘ってやってるのに、悲鳴あげるなんて。だらしない!」
 まさしく女鬼神と化したような形相のキャンディスお母さんに、カオスはマメの後ろでもいいから
隠れたい気分になってくる。
「この辺りは子どもの出生率が悪くてね。うちは三人も生まれて幸せなほうだ。それにハンナもお年
頃だからいいお婿さんを探してあげたいと思っていたところなんだがね。こんな所ではなかなかまと
もな男を探すのでも大変なんだ。そのうえ、うちのお姫さまは面食いらしくてね」
 鯉蔵お父さんの説明に、カオスがチラっとハンナを見れば、妖しくウインクが返される。
 カオスの腕をサブサブイボが駆け上がる。
 もちろんハンナが不細工だというわけではない。鍛え上げた腕や足は太いが、黒く焼けた肌は健康
的に光っていたし、短く切られた髪も、伸ばせばきれいな美女になるのかもしれない。顔だって切れ
長な瞼の中の大きな瞳が魅力的だとも言えた。おまけに服の下の胸も大きな丘を描いている。
 だが、明らかにカオスよりも強そうな戦士然としたその雰囲気が苦手だった。
 絶対夜のベッドの上での様子を想像してみても、下敷きにされたカオスの方が悲鳴をあげてムチ打
たれているようなイメージしか浮んでこない。妊娠するのも、もしかしたら自分の方かもしれないな
どと、無体な想像まで浮んでくる。
―― ピンクのエプロンをした自分が
  「あなた、いってらっしゃい」
   そしてライフルを肩に担いだハンナが
  「おう!」
   足元には首輪をつけたマメが
  「ワン!」

「ああ、いかんいかん」
 目くるめく妄想の世界で自分が虐げられていく姿を頭から振り払い、カオスは大きくため息をつい
た。
 そして腿の上のハンナの手を下ろさせると、ごめんなさいと頭を下げる。
「ぼくにはとてもあなた様のお相手は務まりませんので、他を当ってください」
 丁寧に頭を下げれば、ハンナがおもしろくなさそうに肩をすくめて眉を上げる。
「おまえの成長を待つという手もあるけど」
 思わぬ食い付きをみせたハンナに、カオスが唸る。
「それまでこの男が生きていたら、わたしがロープで縛り上げてでも捕まえて来てやるよ。で、思う
存分子作りに励みな」
 キャンディスお母さんが大魔王の宣旨を下す。
「はーーーい」
 そしてなぜかこんな時ばかりは素直に返事を返すハンナ。
 カオスが再び救いを求めて鯉蔵お父さんを見やる。
 だが鯉蔵お父さんは困った顔で眉を下げると、カオスから視線をそらしてお茶を飲む。
 み、見捨てられた………。
 がっくりと肩を落としたカオスに、横でハンナがかいがいしく世話を焼き始める。
 口の端についていたキャベツを指でつまみ、自分の口に入れてにっこりと笑う。
 そんなハンナにカオスは「ははは」と乾いた笑いを漏らす。
「カオスとハンナ、らぶらぶ?」
 三女メリラのつぶやきに、マメまで唱和しはじめる。
「らぶらぶ」
「ラブラブ、ラブラブ」
 手を取り合って踊り始める二人に、場は一気に和む。
 ただ一人和めないのは、カオスだけだった。
 こうなったら自棄で飲んでやる!!
 手にした器いっぱいに手酌で酒を注いで一気に飲み干す。
「くそ〜! どうにでもなりやがれ!!」

 ドンちゃん騒ぎの様相を呈してきた夕食の席で、不意に鯉蔵お父さんが口を開いた。
「そうそう。この頃この辺りで起きてる女の子を狙った猟奇殺人事件知ってるかい?」
 まるで天気の話をするような気安さで、大根の漬物を頬張った鯉蔵お父さんが、膝にメリラを抱き
ながら言う。
「え? 猟奇? この辺じゃ、殺人なんて日常茶飯事でしょう?」
 手酌でどんどんと浴びるように酒を飲んでいたカオスは、座った目で鯉蔵お父さんを見ながら言う。
「まあ、ねえ。でも大抵は殺人といっても、食べるのが目的みたいなもんで、強姦されることってな
いんだよね。それが、そろいも揃って7、8歳くらいの短髪の女の子ばかりが殺されて見つかるんだ
よね。しかも、殺しかたが鋭い刃物を横に4本並べて一突きみたいな傷痕なんだそうだよ」
 もしゃもしゃと口の中のハムを咀嚼していたカオスだったが、鯉蔵お父さんの話を頭の中で反芻し
ているうちに、次第にその口の動きが鈍っていく。
「7、8歳の短髪の女の子」
 カオスは口の中で呟いて顔を上げる。
 目の前には、盛大に食べ過ぎて苦しくなったのだろう。やけに膨らんだ胃袋の辺りを押さえながら
倒れているマメが目に入る。
 風呂に入って大分きれいになったマメだったが、もちろん子ども子どもした体つきで髪もザンバラ。
とても一見で女の子と分かるかと問われれば疑問だが、それでも肩や腰の骨格から言えば女の子だと
分かるかもしれない。
 じっと見つめたその視線に気づいてか、マメがこちらに目を向け、にへらと笑う。
「カオス、マメ、おなか苦しい。なんか喉の奥、時々すっぱいもの、出てくる」
「……単なる食い過ぎだ。もったいないから吐き出すなよ」
「わかった」
 マメは口を両手で押さえると、床の上でゴロゴロと転がって消化に努め始める。
 そんな平和な場面を目にしながらも、次第にカオスの頭は酔いから冷めて、陰鬱な気分へと引きず
られていく。
 思い出すのは、あの子どもの惨殺現場だった。はじめて目にしたリザルトの男との出会い。あの男
は、確か豹の特徴を持ったリザルトだったはずだ。
 肌に浮いた豹紋と、縦に光る細い瞳孔。鋭く尖った長い爪。
 そして子どもを犯すことを好む歪んだ性的趣向をもった男だったはずだ。
「まさか……」
 固まってしまったように宙で杯を止めたカオスを、ハンナが横から不思議そうな目で見ていた。
「どうした?」
 その声に、ハッと我に返ったカオスが手から杯を落とす。
 膝の上にぶちまけられた酒に、呆然とした顔で見下ろすと、ハンナが「マヌケ」と耳元で意地悪く
言いながら、側にあった雑巾で濡れたズボンを拭いてくれる。
「おーーい。こんなところも拭いちゃうぞぉ」
 膝の上から次第に上がっていった雑巾を、腿の上から股間へと伸ばそうかとしながらハンナがカオ
スの顔を見上げる。
 だが、そこにあったカオスの顔は、再び何かの思考に捕らわれ、現実のものは何一つ見てはいなか
った。
「おい!」
 ハンナが実力行使で、がつんと拳でカオスの顔を殴る。
「あ、いてぇ!」
 クリティカルヒットしたパンチに、カオスが顔を手で覆いながら倒れこむ。
「何を呆然とした顔してやがる。人が面白おかしくおまえを玩具にして遊ぼうとしているのに!」
「そんな論理に乗っかってたまるか!!」
 口の中に広がる嫌な鉄錆びの味に顔をしかめながら、それでも般若の形相のハンナに恐れをなして
体は後退りしてしまう。
 そのカオスの体の上に馬乗りになって、ハンナが襟首を掴み上げる。そして鼻先3センチまで顔を
寄せる。
―― ああ、俺様の唇が奪われる!!
 観念して目を瞑れば、柔らかなキスではなく、目から星が飛び出そうな頭突きが食らわされる。
「何か悩み事があるなら、ちゃんと相談しな」
 目を開けた瞬間には、掴まれていた襟首が離され、カオスの頭がゴンと音を立てて床に落ちる。
―― くそ! 痛いことだらけじゃねえか!
 再び後頭部を襲った星の煌めきに、頭を抱えて蹲る。
「おまえは今まではいつも一人で、何をするにも自分だけで決定を下さなければならなかったかもし
れない。でも、ここには少なくとも6人の人間がいるんだ。みんなで相談しあえば、最良の答えが見
つかることもあるんだ」
 ハンナがカオスの落とした杯に酒を満たして、豪快にグイっと飲み干す。
 勇ましい姿を床に転がされたまま見上げたカオスは、実はその言葉に散りばめられた気遣いに気づ
いて、ハンナの顔を見つめた。
 男みたいな話し方に、過激な人間関係の築きかた。そのどれもがハンナの持っている母性の照れ隠
しの反動なのだと気づく。
「優しいんだな」
 つい声に出ていた感想に、ハンナが顔を赤くしながら、キッと眦を釣り上げてカオスを見下ろす。
「おい! 人の話をちゃんと聞いてやがったのか? 相談したいことはあるのか、ないのか?!」
「ああ、相談?」
 カオスは転がされていた体を起してあぐらをかくと、思案するように腕を組んだ。
 リザルトが怖いし、殺人鬼も怖い。それに。
 顔をあげ、ハンナを見上げる。この姉ちゃんも怖い。
 でもそんなことを言えば、リザルトや殺人鬼よりも先にハンナに八つ裂きにされること間違いなし
だ。
「ええっと、あの〜。………」
 言い淀むカオスに、じれたようすのハンナが腕組みして見下ろす。
「えっと、マメがですね」
「マメちゃん?」
 その名前のあがったマメはすでに床の上で寝息を立てていた。
「うん、マメ。あいつを拾ってから、ろくな目に合わないんだ。リザルトに襲われて、それから逃げ
るために砂漠を彷徨う羽目になって。その砂漠では殺人鬼の群れに遭遇しちゃうし」
「あの子は拾ったのか?」
 言い逃れのように思いついたことを言い出したカオスに、なぜかキャンディス母さんが眉を顰めた。
「どこで拾ったんだい」
 上目遣いの威圧感たっぷりの声に、カオスも言葉に詰まる。
「アルカディアの下水」
「ああ」
 キャンディス母さんが納得したように頷き、ハンナもやっちまったかとがっくりと肩を落とす。
「連続している幼女の殺人事件は、マメを探して起こってるな」
 キャンディス母さんが酒瓶を傾け、ダンと音を立てて床に下ろす。
「え? マメを狙って?」
 カオスの声が裏返る。
「そう。きっとマメはアルカディアの実験体の一つなんだろうね。逃げてきたんだよ、きっと」
 今は呑気に腹を出して寝ているマメだったが、そう言われれば、カオスを襲った数々の惨事の理由
もわかるというものだった。
「ここにも来るかな?」
 ハンナの呟きに、ハッとしてカオスが顔を上げた。
「あの、迷惑ならすぐにでも出て行きます」
 思いついたらすぐに行動せよと、カオスは立ち上がりかけたのを、キャンディス母さんが引きとめ
た。
「待ちな。せっかく出会ったのも何かの縁だ。ハンナもおまえのことが気に入ったらしいしな。厄介
者だからって追い出すような真似はしないよ」
 キャンディス母さんは鯉蔵お父さんにも「文句ないね」と目配せする。それに答えて鯉蔵お父さん
もにっこりと笑う。
「さあ、今夜の酒盛りはお開きだ。いつ始まるか分からない戦闘に備えて体を休めときな」
 上官の絶対命令に、カオスは思わず敬礼したくなる思いだった。




back / 失われた彼らの世界・目次 / next
inserted by FC2 system