chapter 3  Child like a mechanical doll



 ピクリと顔を上げたピースの気配に、寝入っていたカオスも警戒の態勢で上体を起した。
 いつのまにやら同じ毛布の中に入ってきていたマメの頭が目の前にあった。マメは呑気な鼻息を立て
て熟睡中だ。
 カオスはさかんに耳を左右に動かすピースの動きを見つめていた。
 とそのとき、階下からカラカラと大きな金属音が連鎖して鳴るのが聞こえてきた。
「チッ。侵入者か」
 カオスは舌打ち一つで素早く起き上がると、毛布に包まったままのマメの肩を揺すった。
「マメ、起きろ! 誰か来る!」
 だが乱暴に肩を揺すられガクガクと首をゆするマメは、いっこうに起きる気配がない。
「クソ!」
 カオスは悪態をつきつつマメを毛布ごと肩に担ぐと、部屋の片隅で壁が崩れてできたコンクリートの
山の向こうにマメを横たえた。
 死んでいるのかと不安になるほど身動き一つしないマメに、そっとその顔の上に手を翳す。その手の
平に、マメの温かい鼻息がかかる。
「全く、呑気なお子様だ!」
 わずかに浮ぶ苦笑を押し込め、カオスは自分の得物のナイフを取り出すと入り口に罹ったボロ布の横
の壁に身を押し付けた。
 階下の階段からは、すでにカオスの仕掛けておいた仕掛けにかったことで気配を殺すことをやめた侵
入者たちが、大声と荒い足音を立てて階段を昇ってきているのであった。
「おい、ワンコロの鳴き声がするぜ!」
「うひょーー。赤い犬だったらうめぇぞ。今日は犬鍋だ!」
「俺たちの宿敵の犬を噛み砕いてクソにしてやれ!」
 嫌にざらついた声が雄たけびを上げて階段を駆け上がってくる。
 その足音の数を数え、カオスは眉間に皺を寄せた。
――数が多い。でもなぜだ。こんななにもない廃ビルに入り込んだところで獲物があるわけでもない。
「この部屋だ、この部屋。俺がワンコロをしとめてやる!」
 叫びを上げて殺到する足音に、身を低くしたピースが唸り声を上げて歯を剥き出しにする。
 そして侵入者の足にピースが噛みついたところで、横からカオスが男の顔目掛けて膝を蹴りだす。
 グッシャっという音を立ててつぶれた鼻から、鼻血を噴出しながら奇声を上げて仰け反る男に、今度
は首筋に手刀を叩き込む。
 あっけなく気を失った男が床の上に音を立てて沈む。
「お、なに? おまえ犬にやられたの? まぬけーー!」
 爆笑を上げながら続いて布を押し上げて侵入した男は、だがその先の言葉を凍らせて立ち尽くす。
 男の首には、深々とささったナイフが二本。
 カオスは男の体を廊下に向って蹴り飛ばす。
 廊下に蹴りだされた男の血を口から噴出した死体に、一瞬辺りが静まり返る。
「おい、誰かいるぞ! 犬だけじゃねぇ」
「イエローがやられた! イエローがやられた!!」
「うるせぇ、バカザルがやられたって構わねぇ。俺は犬が喰いてぇ!」
 キーキーと甲高い言い合いの声が続く。
 それを黙らせる銃声が一つ上がる。
「バカどもは黙れ! これはお遊びじゃねぇんだ!! 任務だ! 理解できずにまだ騒ぐやつがいたら、
そいつは生きながらグアルグに心臓を掴み取られると思え!」
 まともな男の一声で、喧喧諤諤の言い合いは沈黙へと変わる。
 そして男のため息の後に聞こえたのが、機械音のピッ、ピッという定期的な信号音。
「CK11はこの中だ。いいか、生け捕りだ」
「犬は?」
「………好きしろ」
 カオスは男たちの言いたいことが理解できずに、壁に開けておいた穴から外の様子を伺った。
 そしてそこに見えたものに悲鳴を上げそうになって、勢いよく吸い込んだ息を飲み込んだ。
 リザルトだった。
 全身が茶の長い毛で覆われた、顔が真っ赤で皺だらけの生き物がたむろしていた。
 カオスは自分が手刀で眠らせた男の顔を足で蹴り起すと、そこにあるサルの黄色い牙を剥き出しにし
た顔に唾を飲み込んだ。わきの下を冷や汗が流れ下りていく。
 なぜよりによって今日はこんなにリザルトに出会わなければならないのか。今まで16年生きてきて
初めて目にした伝説の生き物に、なぜこんなに大量に出会うのか。
 猿たちの中で唯一普通の人間の容貌をした男が、手にしていた機械から顔を上げ顎をしゃくる。
「行け!」
 男の指示に猿たちが一斉に動き出す。
 カオスも苦しい戦闘を覚悟してナイフを身構える。
 猿たちが部屋の中へと入り込もうと殺到する。
 だが部屋の入り口は狭い。一斉に入り口を潜ろうとした猿たちが入り口で詰まって奇声を上げる。
 それはカオスには格好の的だった。
 ドスドスと音を立てて放たれたナイフが猿たちの体に突き刺さる。
「ウキャーーーーー!」
 猿独特の奇声を発して自分の体に刺さったナイフに手をかける。だがその手の甲をも貫いて追い討ち
をかけてナイフが襲う。
 喉を掻き切られて血しぶきを上げて倒れるもの、倒れた体を後方から来た仲間に踏み潰されて悲鳴を
上げるもの。
 効率の悪い大混乱が繰り広げられる。
 だがその猿の大群の後ろから構えられたボーガンが天井付近に撃つ込まれたところで騒ぎは終息する。
 ストストっと音を当てて刺さった二本のボーガンの間で張られていた捕獲用の網が猿たちを一網打尽
に包み込み、巻き上がる鉄線に天井へとすくい上げ吊るされていく。
「だからこんなサルどもはいらないって言ったんだ。役立たずが。CK11捕獲用だった網をこんなバ
カどものために使っちゃったじゃないか!!」
 ボーガンを手に下げて現れた男が、網の中でキーキーと不満の声を上げる猿たちを見上げて言う。
 その隙だらけの脱力した体を側面から狙ったカオスは、男の頭目掛けてナイフを振り上げた。
「結構かわいい顔してるのに、こわいなぁ」
 ほんの数瞬の攻撃の間に笑顔でそう言った男は、振り向きざまでカオスの渾身の力を込めたナイフの
刃を指で止める。人差し指と親指の間で止められた刃を、いとも涼しい顔で眺める。
 止められたほうのカオスの方が震えるほどに力を込めているのに、ナイフは微動だにしない。
「うん。結構いい格闘センスだね。もしよければアルカディアの正規軍に推薦しようか?」
 長い金の髪を結わえた束を肩の後ろに払いながら男が微笑む。
「でも俺の敵じゃない」
 男は笑顔のままに体を捻ると、カオスの腹直撃で回し蹴りを喰らわせる。
 見事に宙を舞ったカオスの口から血が吐き出され、瓦礫の上に投げ飛ばされる。
「あ、やりすぎちゃったかな? ごめんね。でも肋骨は折れてもそのうちくっつくから心配しないで」
 穏か過ぎる声を聞きながら、カオスは動かない体にもがき、顔を上げた。
 そしてカオスの上げる苦鳴りを聞いたピースが男に飛び掛る。
 牙を剥き出しに男の喉下を狙ってピースの体が床を蹴る。
 だがその存在になど気がついていない風だった男が、ピースには目もくれずにボーガンを向ける。
 僅かな発射音で放たれた矢がピースの足に突き刺さる。
―― ギャン!
 ピースの体が床に落ち、転がる。
「なかなか忠実な犬だね。俺も犬は好きだよ。だから殺さないであげるね」
 男が未だ戦意を失っていないピースを蹴り飛ばし、カオスの横に落とす。
「ぼくちゃんもわんちゃんも静かにおねんねしてなさい。俺が用があるのはCK11だけだから」
 男は腕の機械で信号音で位置を探りながら歩き出す。
 そしてその足がこの騒ぎの中でも眠り続けているマメの前で止まる。
「CK11、起きろ。迎えに来た」
 マメの横に膝をついた男がその肩に手をかける。だが揺すられるだけで目を覚まそうとしない様子に
首を傾げる。
「ん? こいつ壊れたまんまなのか?」
 男は少しの逡巡の後で不意に背後のカオスに目を向けた。
「はっは〜。おまえがこれを運んでここまで持ってきたのか。まぁ、おまえもお年頃の男だもんな。気
持ちは分かるよ。うんうん」
 男は一人納得したように頷く。
「は? なんだよ」
 苦しい息の間に憎まれ口を叩くと、男がマメを抱え上げて微笑む。
「こんなに汚れててもこの子も女の子だ。抵抗しない女の体があれば性欲処理にはもってこいって考え
て盗んだんだろ? でも盗みはいけないよ」
 微笑む男にカオスが吠える。
「ふざけるな!」
 だが叫んだカオスの目の前で、ゴトリと何かが音を立てて落下した。
 重量感のある音で床の上に落ちたものに、カオスと男の目を剥く。
 そこにあったのは人間の手首だった。
「うわ! 俺の腕!」
 マメを抱えていた男が叫び、その腕の中からマメを落とす。
 続いて噴出した血に男が腕を抱えて後退さる。
「CK11。俺だ。トニーノだ」
 床に蹲っていたマメがゆらりと立ち上がる。そして閉じられていた瞼がゆっくりと開いていく。
 そこにあるのは、いつもの黒い犬のような大きな濡れた瞳ではなく、眇められて冷気を発する瞳だっ
た。
「トニーノ? そんな奴は知らない」
 カオスが初めて聞くマメの声は、子どもの高い声でありながら大人の女のようなしゃべりだった。
「なんだよ。おまえが小さいときに遊んでやったじゃないか!」
「遊んだ? いたぶったのまちがいだろう」
 背筋の寒くなるような笑みを口の端にのせマメが笑う。
 そして次の瞬間に姿を消したマメが、誰も反応できない速さで男の背後に立つと、その首に腕を回し
た。
 力をこめて捻られた腕の中で、男の首がボキという音を立てて折れる。
 そして腕を解いたマメの前で男の体が人形のように崩れ落ちる。
「……マメ……」
 暗く沈み、陰鬱な光だけを宿したマメが、カオスを見上げる。
「……おまえ」
 だが声をかけたカオスに、一瞬笑いかけたマメが白目を剥いて倒れる。
 その一部始終を見ていた猿たちが、沈黙を破って叫び声を上げ始める。
 痛む体に苦労して立ち上がったカオスは、うるさい猿たちを横目にマメの傍らに行くとその体を背中
に背負った。
 脱力して揺れるマメの体はやけに熱を持って熱かった。
 わずかばかりの荷物をカバンに詰めて首にかけ、ピースに合図を出して部屋を出る。
「行くぞ、ピース」
 その一声で足を引きずりながらピースもカオスの後に従う。
 そして部屋の入り口で振り返ると、網の中の猿たちに向って笑いかけた。
「おサルさんたち、さようなら〜。逃げたきゃもうちょっと頭使いな。網の中に仲間の死体があるだろ。
そこに俺のナイフ刺さっているけど」
 カオスの一言に、脱出方法を見つけた猿たちが再び大騒ぎで網の中で暴れはじめる。
 それを苦笑とともに見上げたカオスはピースを伴って歩き出す。
 そのカオスの背中で「う〜ん」と唸ったマメが首に手を回す。
「……俺の首は折らないでくれよ」
軽いマメの体から発散される高い熱を背中に感じながら、カオスは慣れ親しんだねぐらを後にした。
 建物の外は、まだ開け切らぬ夜にひんやりとした湿気を含み、空にもまだ星が煌めいていた。
「さて、どこに行くかな?」
 カオスの目の先で、陽炎がゆれる砂漠が広がっていた。




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