chapter 3  Child like a mechanical doll


 パチパチと爆ぜる焚き火の前で膝を抱え、こんがりと焦げて焼けていくネズミを眺めていた。
 赤々と燃える火はカオスの顔を朱に染め、確かに熱を放って体を温めてくれているはずなのに、震え
る体は止まることがなかった。
 脳裏に焼きついているのは、あの首から切断された子どもの精気の抜かれた顔と、その首を掲げ持っ
ていたリザルトの男の凶悪な顔だった。
 今も立ち上っていた生臭い血の匂いが鼻について消えてはくれなかった。
 あの後カオスは泣く泣く子どもの頭部と切断された体を引きずってきて埋めてやったのだ。閉じるこ
とのない瞳に見つめられ、カオスは目をそらして埋めるための土をその体にかけてきた。死んでいるの
だとは分かっていながら、土に埋めることで完全にこの世の中から消滅させる作業に手を貸しているよ
うで、カオスの心は酷く動揺したのであった。
 カオスが生きてきたのは、すでに文明が滅亡した日本という国の中だった。
 保護都市にさえ入ることのできなかったカオスにとって、死も死体も日常のひとこまに過ぎなかった。
殺人も強姦も横行し、殺られるほうに落ち度があるのであり、それを取り締まろうなどと考えるものは
スラムにも、当然そこからはじき出された者の間にもなかった。
 保護都市に入ることができたのは、被爆からも病原体からも完全にクリーンだと判断された人間だけ
であった。そもそも収容できる人間の人数に限界があったのだから、そこからあぶれる人間はおのずと
発生する。
 そんな人々が形成したのがスラムだった。
 だがそのスラムからすらはじき出されたのがカオスだった。
 この荒廃した東京で決して近づいてはならないと恐れられているものが三つあった。それは、未だ高
濃度で放射能が残留する砂漠と真夜中にその砂漠を徘徊する殺人鬼。そしてリザルトだった。
 リザルトと呼ばれる半獣の人間が目撃されるようになったのはいつの日の頃からか。伝説のように語
り継がれるリザルトに関する話はどれもが残虐で血なまぐさいものだった。
 被爆し狂っていった人間が動物との獣姦という忌むべき行いを繰り返す中で生まれたのだとも、アル
カディアの秘密の研究体が逃げたのだとも言われていた。
 だが同時にそれはあくまで伝説で、その姿を実際に見たというものはいなかった。
 だからカオスも思っていたのだ。リザルトなどと呼ばれる存在は実在ではないのだと。
 現実という今があまりにも苦しいために、リザルトなどという忌むべき存在を生み出し、それをたと
え思いの中だけでも虐げることで自分の存在意義を保とうとしたのではないかと。
 だが彼らは確かにいたのだ。自分のこの目で確かに見たのだ。
 カオスは火にあたり自分の隣りに寝そべっていたピースを抱きしめると、その腹に顔を埋めて寝転が
った。
 柔らかい毛の間から聞こえるピースの心臓の音を聞いて、なんとか恐怖心を忘れようとしていた。
 そのとき、不意にカオスの部屋の入り口にかけたボロ布を捲って入ってくる人間がいた。
 ザンバラな黒髪の小さな人影が当たり前のように部屋の中に入ってくると、焚き火の前に座り込む。
 まだ幼い顔だちと小さな体をした女の子だった。ただまったく表情というものがない子どもであった。
 その女の子の存在をピースの腹から顔を上げて確認したカオスは、再び毛の中に顔を埋める。
 女の子がカオスの袖を引いて何かを訴えかけてくる。
「……なに、マメ」
 ぞんざいに返事を返しながらも顔をあげたカオスに、マメが焚き火に立てかけられた肉を指さしてい
る。
「ああ。食べていいよ。俺は食欲ないからいらない」
 そう言い捨てて、カオスはピースの横に寝転がる。一度は、今夜はご馳走だと喜んでいたはずのネズ
ミやコウモリの焼ける匂いに腹がなっている。だが食べる気になれないのだ。
 女の子、マメはカオスの了解が取れたことでよしとしたのか、焼けたネズミの一つを手に取ると、大
きく口を開いて齧り付く。
 マメを拾ったのは三日前のことだった。
 獲物を捕らえることができない日がつづき、カオスは仕方なしに禁忌とされていた場所へ足を踏み入
れたのだ。それはアルカディアの地下下水道。
 ここは、アルカディアから流れ出た残飯や使える物資を見つけることができる希少な場所なのだ。も
ちろんそれだけに危険もあるのだが。
 そこで見つけたのが倒れていたマメだった。
 最初完全なる死体だと思ったカオスは、無視して先に足を進める決意をして、マメの死体(だと思っ
たもの)を跨いだのだった。だがその足を掴んで顔を上げたマメにカオスは悲鳴を上げて尻餅をついた
のだった。
 あまりに苦しそうなその顔に、自分のなけなしの水と食料のマメを差し出すと、貪るように食べたの
だった。だから名のらない女の子をカオスは勝手にマメと命名したのだ。
 予想外だったのが、その子どもが下水道から出てもカオスの後に着いて来てしまったことだった。一
緒にいれば食い物にありつけると思ったからなのか、それともヒヨコの刷り込みならぬ、目を覚ました
ときに最初に見た人間である上に、食い物までくれた存在になついてしまったのか。つかず離れずで砂
漠を横切ってカオスのヤサまでついてきてしまったのだ。
 それからというもの、日中はどこにいるのか姿を消すのだが、夜になるとメシと寝床のために帰って
くるのだ。
「なあマメ。どうせ食べるならもっとおいしそうに食べろよ」
 寝転がったまま細めた目で振り返りながら言うカオスに、チラっと目線だけはよこしたマメだったが、
聞いているのかいないのか分からない顔でプイっと目をそらす。その動作がカオスにはカチンとくるく
らいに可愛げがない。
「ああ、そうか。俺のことなんか無視ですか! いいよ、マメなんて友だちでもなんでもないし。勝手
についてきただけの薄汚い子どもだもんな。俺の友だちはピースだけだし。な、ピース」
 カオスは一人文句を吐き出すと、ピースの腹に抱きついた。
 だがそんなカオスなど無視でネズミの骨までしゃぶっていたマメが、不意にその一部をピースに向っ
て差し出す。
 すると肉の匂いにつられたピースが、カオスの頭を床に叩き落して起き上がる。
「あ、痛! あー、マメ。てめえ汚ねぇぞ、食い物で釣るなんて。だいたいピース! 食い物で俺様を
裏切るのか!」
 だが怒られたピースは骨に夢中で、マメにいたってはそ知らぬ顔で次の獲物、コウモリに向って手を
伸ばしている。
 それに気付いたカオスは横からコウモリを掠め取ると、これ見よがしに齧りついてみせる。
「あ〜、うめえな。ねずみなんかよりずっとうまい。でも残念だったな。コウモリは一匹だけなんだな」
 笑顔でマメに顔をすり寄せ言う。
 だが顔色を変えることなくマメが顔を背けると、次の獲物へと目を向ける。
 その手がゴキブリに伸びる。
「おい、それまだ生焼け!」
 だが止める間もなく、マメが口の中に放り込む。
 マメの口から聞こえるバリバリという咀嚼音。
 捕えては来たが、実はあまり好きではないカオスは、その音にわずかに顔を顰めつつ見ていた。
「まあ、おまえがそれでいいならいいけどさ。明日腹こわしても、俺は知らないからな」
 そう言いつつ、カオスはいつの間にやら自分が物を食べている事実に一瞬呆気にとられ、それから笑
った。
 マメのおかげで、少し恐怖心が和らいでいる。
「俺、こんな小さい女の子に縋っているつもりないんだけどな」
 大体において、食欲もないのに獲物を火にくべたのも、思えばマメのためだった気もした。マメがま
た飯を食いにやってくるから用意しておかないとなという、習慣。わずか数日のうちにカオスの内で当
たり前になりつつあった事実に、声を上げて笑う。
 真っ黒にこげたコウモリの顔と目が合い、カオスがその顔をじっと見つめる。
「おまえ、結構いい味してんのな」


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