Chapter 2  Arkadhia


 空高く上昇してゆれるヘリの中へと足を踏み入れたグアルグを、出迎えた男が嫌悪の顔で見上げた。
グアルグに拡声器で呼びかけた男だった。
 まだ随分と若い、きれいだとさえ言えそうな容貌の男が、ヘリの上げる激しい風に束ねた長い髪をか
き乱しながら闇色の瞳でグアルグを見上げていた。
「なんだ?」
 揶揄するような笑みを向け、グアルグが男に鋭い犬歯を見せつけながら笑う。
 グアルグは殺した子どもの生き血でも啜ったのだろうか。白いはずの歯に付着する血。「悪趣味もい
いかげんにしろよ」
 どうせヘリの爆音できこえるはずもない。
 男はグアルグから目を背け、口の動きも最小限にとどめて愚痴る。
 なぜ俺がこんな変態野郎とペアを組まなきゃならないんだ。
 はらわたが煮えくりかえるほどに不快な相手と四六時中ともにいなければならないことほどストレス
がたまることはない。
 が、そんなほんの一瞬のストレス解消の油断までもを、グアルグはいやらしく攻めてくる。
 ガシっと骨が軋むほどの力で顎をつかまれ、強引に顔をグアルグへと捻じ曲げられる。
 鼻先2センチの位置に迫ったグアルグの顔から、生臭い血と興奮した男の汗臭さが伝わる。
 うっと息がつまり、恐怖に体が強張る。
 この男に逆らってはならない。だが、身をゆだねるつもりは毛頭ない。
 条件反射のように体が動き、握り締めた拳がグアルグの顔に向う。
 だが拳がグアルグの頬を掠める位置で身を反らされ、おまけにいつの間にやら元に位置に戻ったグア
ルグの口から突き出された舌で拳を舐め上げられる。
「随分と短気な坊やだ」
 グアルグは男から興味を失ったように顎にかけていた手を離すと、正面のシートに腰を下ろした。
 だらしなく弛緩した手足でシートに座るグアルグを睨みつけ男が言う。
「坊やじゃない。俺はトニーノ。おまえのパートナーだ」
 ヘリの爆音に負けないように声を張り上げる。
 その声にチラっと目を上げて男、トニーノを見たグアルグだったが、興味がなさそうに目をそらす。
「俺のパートナーはCK11。それ以外は認めない」
 グアルグが聞こえなくても構わないと思っているのか、声を張り上げるでもなく言う。
 当然トニーノにも聞こえる声ではなかった。だが唇の動きを読んだトニーノがムッと眉を顰める。
「CK11が消えたのはおまえのせいだ。おまえの悪趣味に嫌気がさして逃亡したんだ」
 だがそう呟いた瞬間、トニーノはグアルグから立ち上った殺気に息を飲み込んだ。
「おまえにCK11の名を呼ぶ権限は与えていない。殺されたくないなら黙っていろ」
 細められた目から発せられる凶悪な意志に、トニーノは硬直して口を閉ざした。
 高速で飛ぶヘリの下を、乾燥して精気の失せた砂漠の空気とは違う、活気と熱気をともなった空気が
漂い始める。
 開け放たれたままのヘリの側面から下を覗いたトニーノの目に、巨大保護都市アルカディアの威容が
見え始めていた。


 日本を未曾有の危機が襲ったのは二十年の前のことだった。
 米軍の打ち上げていた偵察衛星が捉えたのは、中国によるミサイル発射準備の様子であった。即時攻
撃ミサイルを用意した政府は警告に反応を示さなかった中国にミサイルを発射。
 だが直後にミサイル発射の偵察衛星による警告は誤作動であったことが分かったが、すでにときは遅
し。
 中国側を応戦のミサイルを用意した。それも関係の悪化していた資本主義国の頂点アメリカからの宣
戦とあって、自分たちの力を示すための過剰な力の応酬として核を搭載したミサイルを。
 その二つが激突したのが日本上空であった。
 強烈な爆風で吹き飛ばされた大阪を中心とする神戸、奈良エリアは一瞬して壊滅。その後風によって
運ばれた放射能をふんだんに含んだ雨雲は、関東エリアに黒い雨を降らせ、日本中に汚染された空気を
運んでいったのであった。
 次々と被爆する日本国民を襲ったのは、さらなる恐怖。変異病原体による感染症の異常発生であった。
 以前ならただの風邪と済ませることができたはずの病気で、老人、子どもが次々と倒れていった。
 医療現場はパンクし、政府の機能は麻痺。
 誰もが予想だにしなかった平和の崩壊に、打たれ弱い精神が救いか安楽な死を求め始めたとき、世界
各国からの支援がはじまった。
 この大災害をもたらしたアメリカを最大の支援国として、ドイツ、イギリス、フランス、中国が生き
残った人々を収容するための施設の建造をはじめたのだ。
 そして日本最大の保護都市として東京に建てられたのがアルカディア。
 50万人の一般人と米軍関係者が混在して暮らすアルカディアは、時の変容とともに日本最大にして
最強の軍事保護都市としても発展を遂げたのだった。
 巨大な円形建造物である保護都市の上空へと到達したヘリが、緩やかに降下を始める。
 窓一つない灰色の壁の上へと下りていく。
 そしてヘリポートに降り立って数秒でガクンと音を立てたエレベーターが、ヘリ格納のために降下し
ていく。
 長い長い直線の降下の気を紛らわすように、壁をオレンジの回転等が下から上へと流れ星のように流
れていく。
「我らがねぐらの秘密の地下ドッグ」
 ヘリのパイロットの男が振り向きざまに二人に言う。
 彼の笑った口からは、異様なほどに突き出た犬歯があった。
「ああ。アルカディア最強の軍隊は俺たちだ」
 グアルグが応じ、正面で真っ直ぐと前を見据えたまま微動だにしないトニーノが、バカな考えだと皮
肉るような笑みを口の端にのせて鼻で笑う。
 ガクンと大きく揺れて停止したエレベーターに、グアルグとトニーノが降り立つ。
 カンと甲高い音を足の下で立てた金属の床から見下ろす基地内を、無数の人間が動き回っていた。い
や、人間ではない。リザルト。そう呼ばれる動物の特徴を兼ね備えたキメラたちがその地下施設の中で
立ち働いていた。
 アルカディアの、人類の敵とされるはずのリザルトたちは、アルカディアの最強の軍隊としてここに
存在しているのだった。
「グアルグ。部隊長からの呼び出しがかかっている」
 足音高く階段を下りだしたグアルグに、背後からトニーノが声をかける。
 グアルグは振り返りもせずにトニーノ向って手だけを上げて了解の意志を示す。が、足の向っている
方向は居住区であって作戦本部のある方向ではない。
「グアルグ、どこへいく」
 腕のモニターから顔を上げたトニーノが叫ぶ。
「寝る。ひと運動したら疲れた。ほんの二時間ばかりだ。部隊長殿には待っていただけ」
 悪びれるでもなく言い放ったグアルグに、トニーノは、だが叱責の声を上げることができなかった。
 ヘリの中で殺気を向けられたことだけで、すでに逆らうことへの恐怖心が育ってしまっていたからだ。
 俺は直接の戦闘向きな人間じゃないんだ。頭脳戦のための補助技官。バカで暴走するグアルグに指示
を与えるだけの人間なんだ。
 だがそう思った瞬間に、とてもじゃないが暴走するグアルグに指示など出せる人間がどこにいるのだ
とため息をつく。
「本当に貧乏くじだよ。よくCK11はあんな男と一緒にいられたもんだ」
 トニーノは肩を落として足取りも重く階段を下りると、一足先に怒鳴られるため、部隊長の待つ作戦
本部へと歩いていくのであった。


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