第六章  集結のとき

      
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 足を広げて座り込んだ野原で、クリステリアはただぼぅっと空を見上げていた。  空をたなびく雲はふんわりと柔らい。風も穏やかにクリステリアの頬を撫でていく。 「ああ、平和な景色だなぁ。……そんなはずはないのに」  とても大国三国が睨みあいをしている開戦間近であるとは思えないほど、心休まる景色だ
った。 『今は姫には死んでいただくことにします』  ウィンザー老の言葉が蘇る。  当初から、クリステリアの死は、そのまま利用するという心づもりではいた。その計画に
沿って、アストンとアンリがマイノールに向かっているのだし、トゥールとザインもグラナ
ダに潜入してくれているのだ。  それは分かっていた。だが父であるエアリエル王国国王、ランドビンスにも、自分の無事
を伝えられないということが、少なからずクリステリアの心を揺さぶった。  今頃父はどんな思いでこの時を過ごしているのだろう。  それを思うと、自分が今、ただ守られて安穏としていることに罪悪感を覚えた。  妻を亡くし、そのうえたった一人の娘を失ったと思っている父は、どれだけ心に痛みと絶
望を抱えていることか。 『このままでは、あらぬ罪でオイノール公国が父に攻められることになってしまいます。そ
れが明らかになったとき、ことはエアリエル王国の存亡に関わることになりませんか?』  問いかけたクリステリアに、ノードの面々は、心配は無用だと太鼓判を押した。そんな事
態にならないために、ノードがエアリエル王国の側にあるのだと。  あの老人たちがそう断言するのだから、エアリエルのことは彼らに任せておけば大丈夫だ
ろう。  だが、だからといってただ黙って事が沈静するまで大人しくしているつもりはなかった。  なぜなら、自分こそが次なるエアリエル王国の女王なのだ。国の一大事に、なぜ蚊帳の外
に置かれなければならないのか。それも自分の生死が事の中心にあるのだというのに。 「ふん。とにかくこの戦争の思惑がなんなのか。それを探らないと」  独り言で小さく呟いたクリステリアだったが、すぐ後ろでした足音に口をつぐんだ。 「クリステリアさま」  自分より年少だろう男の子の声が頭上から降ってくる。 「ん?」  とても姫がするとは思えない返答で振り返ったクリステリアは、緊張の面持ちできっちり
と姿勢を正して立っている少年を見上げた。  年はおそらく11,2歳といったところ。細く編んだ黒髪を肩に垂らした少年は、ノード
の一員らしい質素な服装ではあったが、上品な雰囲気を持っていた。 「わたしはペルーシュといいます。姫のお相手をせよとウィンザー老に申し付かりました」  畏まって頭を下げる少年を、クリステリアが上から下まで眺めながら、品定めする。  ノードの者らしく真面目で、賢そうな顔をしている。おまけにウィンザー老がクリステリ
アの相手にと送りこんできた少年だ。彼がノードの中でも将来有望な術師として見込まれて
いることは明らかだ。だが、同時に気弱で、とてもクリステリアに助言などできそうにない、
別の言い方をすれば、クリステリアのいいように使えそうな雰囲気を持っていた。 「ペルーシュ。……あなたも術が使えるの?」  姫に名前を呼ばれたペルーシュは、「はい」と緊張に上ずった声で応えると、両手を
組んで三角形を描く。そして何事かを口の中で唱え、ボゥと音を立てて炎を出現させた。  だが、緊張のせいか、その炎が予想以上に大きく出現してしまい……。 「あ、ああ、あああああああ!」  クリステリアの目の前を大きな赤い炎が通り過ぎたと思った次の瞬間、泣き叫ぶような声
を上げて蒼白な顔をしたペルーシュがクリステリアの顔に手を伸ばす。 「ク、クリステリア様。申し訳ありません」  額の辺りに伸ばされたペルーシュの指がぶるぶると震え、次の瞬間にガクッと膝をついて
泣き崩れる。 「ごめんなさい。ごめんなさい。わざとじゃ……。どうしよう、ぼくどうしよう!!」 「ん?」  あまりの悲愴感漂う様子に、クリステリアは上向かせた目で額の辺りを探り、指を伸ばし
た。  指先で、何かがチリチリと崩れた。  崩れたものが鼻先に落ち、黒く顔を汚していく。 「あ」  手の中で崩れていくものが自分の前髪だと知り、クリステリアがさして驚くでもなく声を
上げる。  その声にガバっと顔を上げたペルーシュが、蒼白な顔のままで立ちあがり、駆け出してい
く。 「クリステリアさま〜〜、待っててください。必ず元に戻して差し上げますから〜〜」  半狂乱と言っていい叫びを上げて走っていくペルーシュを、まるで爆発の嵐にでもあった
のかという顔で、クリステリアが見送っていた。  ペルーシュが駆け込んでいった幕屋をそっと覗きこんだクリステリアは、中で交わされて
いる会話に聞き耳を立てた。 「お願いですから、一枚分けてください」  泣きだしそうな声で訴えているペルーシュに、もう少し年上な声の少年が答えている。 「ヤダよ。すごい貴重品だって知ってるだろ? だいたい、おまえはリーナルなしで術発動
できるじゃん。リーナル必要なほど、大きな術なんて今は必要ないだろう」  芯がしっかりしている強気な返答に、ペルーシュが半泣きで少年に抱きつくと訴える。 「それが必要だから頼んでるんです。お願いです」 「だったらどうして必要なのか説明しろよ。ぼくだってリーナルが無いと困るんだから」 「それは………、あの、ぼくが大変なことをしてしまって」 「だから何?」  少年は、はっきりしない返答に苛立たしげに声を荒げた。だが、不意に背後の気配を感じ
た様子で振り返ると、幕屋の入口の隙間から目を覗かせていたクリステリアに気づいて声を上げ
た。 「誰?」  今やまっくろの顔に、衣装だけは豪華なクリステリアは明らか不審人物だったが、気づい
てもらえたことに気を良くして笑顔で幕屋の中に入っていく。 「こんにちは、ノードの見習い術師さん。わたしはクリステリア」  にこやかに挨拶したクリステリアに、少年は怪訝に眉をしかめた。それから自分にしがみ
ついてブルブルと震えているペルーシュをみやってから、初めて目の前にいるその人が誰かを理
解して口をあんぐりさせた。 「ク、クリステリアさま? あの………、そのお顔はどうされたので?」  上ずって高くなった声の少年に、クリステリアは笑顔でペルーシュを指差す。 「そいつにやられた」  その一言に、ついにペルーシュは泡を吹いて倒れたのであった。
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