第六章  集結のとき

      
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              天幕の中での一晩は、思いのほか快適で、クリステリアはご機嫌で目覚めた。  城のベッドと比べれば、比較にならないくらいに硬いし、豪華な天蓋もない。だが、城の ベッドよりもずっと強い太陽の匂いがして、一晩中天気のいい野原で遊びまわる夢を見られ るくらいに気持ちがいいものだった。  実際、現在ノードが天幕を張っている宿営地は、風が吹けば草が海原のように波打つ草原 の中で、すでに朝早くから年少の子どもたちが遊びまわっている声が聞こえてくる。 「ねぇ、ロクサーヌ。ノードには小さい子どももいるの?」  ロクサーヌがコップに注いでくれたミルクを飲みながら、クリステリアが尋ねる。  朝搾りたてのヤギのミルクだと言われたそれは、飲みなれたものよりもずいぶんと匂いが 強い乳だったが、それもクリステリアにはいつもとは違うところにいる好奇心を刺激してく れる、素敵な要素だった。 「はい。ノードには術師の素養があると見込まれて引き取られてくる子どもたちがたくさん います。幼い時から両親と離れてこのギルドで生活し、術の研鑽に努めるようですよ」 「へぇ。じゃあ、学校とかもあるんだ?」 「そのようですね」  ロクサーヌがパンの間にチーズとハムをはさむと、クリステリアの手に差し出す。  それを受け取って齧りつきながら、フムと頷く。  ひとまずここに居ても暇だ。ぜひとも遊び相手を捜さなくてはならない。それも、ロクサ ーヌみたいな小言を言う堅物ではなく、一緒に悪さもおもしろがってしてくれるような相手 を。  このノードみたいな真面目さんが集まっているところに、そんな人物がいてくれるだろう か。その捜索から開始だな。  クリステリアはゴクリとパンを飲み込み、ヤギのミルクで口に白いヒゲを作りながら、今 日一日の計画と楽しみを思い浮かべる。  その顔ににんまりと笑みがあるのを横で見ながら、眉をしかめるロクサーヌがいることに は、気づいていなかった。  今日ばかりは姫らしい煌びやかな衣装を着せられ、ノードの中を案内されて歩く。  顔にはレースのベールがかけられ、長い髪もこれもでかという本数で三つ網にされて結い あげている。  衣装も色目は抑えたベージュだったが、質素倹約を旨としるノードの中では浮き上がるの に十分なほど、レースやリボンがふんだんに使われたドレスだった。  こんな服では歩きまわるのに不便ではないかと、クリステリアは思うのだが、今回は大人 しくロクサーヌに従っておく。  今日は正式にノードの長老衆に面会する日であり、身分的には上位にあるクリステリアで はあるが、保護を求める側であることを考えれば、正装であることがふさわしい。そのうえ、 自分の上位者である威厳を見せつけるにも、外面から固めるという手法はかなり有効である ことを、クリステリアも熟知していた。  初めの一撃が大事なのだ。  ここで舐められたおしまい。どちらが主人であるかを、関係を築いていくうえで最初に植 えつけることが大事なのだ。 「こちらにノードの長老方がお集りです。どうぞクリステリア様」  先導してきたカタリナがとりわけ大きな天幕の前にクリステリアとロクサーヌを案内する と、入口の前で振り返る。  それにクッと顎を上げた姿勢のままで頷いたクリステリアが、掲げ上げられた天幕の入口 を潜る。  入室した天幕の中には大きな長テーブルが据えられ、そこに十人あまりの男女が集まって いた。  平均して年齢が高いのだろう。大半が白髪頭であった。  女性も何人か混ざったノードの長老衆が、クリステリアの登場に立ちあがり、敬意を示し て頭を下げる。  その誰もが穏やかな泰然とした雰囲気を全身から醸し出し、それでいて王宮では常に誰も が競い合う傲慢さがない。それでも自尊心という自身の鎧は一つの傷もなく体の芯としてし っかりと持っている。  クリステリアが今までに会ったことのない種類の人間たちであることが、一歩室内に入っ た時から感じられた。  カタリナに勧められた椅子に腰を下ろし、ロクサーヌがクリステリアの背後に立ったとこ ろで、長老衆も頭を上げ、椅子に腰を下ろす。  クリステリアに一番近いところに座ったウィンザー老が目の合ったクリステリアの微笑み かける。  それにうっすらと口元に笑みを浮かべ、瞬きだけで頷き返したクリステリアが口火を切る。 「ノードの長老の方々。今回はこのような非公式の方法での訪問、また保護の要請に応じて くださり、心より感謝いたします。  どうかわたくしのために、またこのノードとエアリエル王国の末長い友好関係のために、 この難局を乗り切るための協力を乞います」  形式的ではあるが、クリステリアの宣言によってノードの介入が正式に要請されたことに なる。  長老衆の間にも、より一層の緊張と意識の集中がなされていく。 「クリステリア姫が申された通り、今はこの大陸で何年も保たれてきた平安が破られた危機 的な難局であることは皆も承知のこと。  三大国、エアリエル王国とグラナダ王国、そしてオイノール公国。この三国の均衡の崩れ は誰もが懸念しつづけてきたこと。  その危うい均衡を破ったのは、おそらくマイノール」  ウィンザー老がクリステリアに続いて語る穏やかな、だが低く胸の内に蓄積していく言葉 に、室内の空気が重く固くなっていく。  ウィンザー老の横に座った長い白髪を結った老女が、緊張した面持ちのクリステリアにリ ラックスするようにと諭すようにほほ笑むと、静かに話しだす。 「クリステリアさま。我々ノードは長くエアリエル王国とともに歩んできました。あなたさ まの母君も、とても快活で人を惹きつける魅力的な女王でした。きっとあなたも母君さまに 劣らぬ女王になられるでしょう」  母王と既知であったことを感じさせるもの言いに、クリステリアは肩の力が少し抜け、強 張っていた頬を緩めると頷く。  それを見てさらに微笑みを深くし、眼尻に皺を寄せた老女がクリステリアとロクサーヌに 目を向け、ウィンザー老の頷きに合わせて言葉を発する。 「ですが、クリステリアさま。今は姫に死んでいただくことにします」
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