第五章  幻想



 王子様御一行様を小屋に案内しながら、ロクサーヌはチラっと後ろを振り返った。
 そこにはアストンがにこやかに会話しているクリステリアそっくりの女がいる。
 あれは一体誰だ?
 その疑問に気づいたようにトゥールが共に後ろを振り返ってから声をかけてきた。
「彼女がなぜクリステリア姫そっくりかってことですか?」
 ロクサーヌは王子の問いかけに畏まって「は」と頷くと、にこやかな王子の返答を待った。
 だがトゥールも少し弱った顔で小首を傾げる。
「それがわたしたちにも分からないのです。本人は捨て子で人買いに売られて娼館で小間使
いで働かされていたっていうんです。それで客をとらされそうになって逃げてきたと。今は
トレジャーハンターだと言い張ってますけどね。名前はアンリといいます」
 そっと後ろの女、アンリの姿を見ながら言う王子の声に、ロクサーヌが頷く。
 だがその王子の横顔や声の調子に交るある色合いに気づいて、目を伏せた。
 どこでどんな経緯があってトゥール王子がアンリと共に行動するようになったのかは分か
らないが、今はただの拾っただけの娘というわけではない空気感がある。当然、ザインと呼
ばれた騎士のように配下の家臣というわけでもない。
 気づきながら尋ねることのできないことに、ロクサーヌは胸の内で苦苦さを感じた。
 大国の女王候補。その立場ゆえに望むような結婚ができるとは限らないことは分かってい
た。
 政治において婚姻は最大の外交手段であり、国と国を結び、時として有効な人質を確保す
ることになる。
 クリステリアとてそれは承知しているのだろうが、本心でどこまで受け入れているのかは
分からない。
 そして側にいてそれを教えこまなければならない立場の自分が、ここへきて本当はクリス
テリアに愛のある結婚をして欲しいと願っていることに気づかされる。
 もし目の前のこの王子がクリステリアの未来の夫となる人であるのなら、クリステリアだ
けを愛して欲しい。たとえどこの王族でもたくさんの愛人を抱えているのが通例だとしても。
 そんな思いを抱えながらロクサーヌは小屋の前まで王子をお連れする。
 そしてそっと小屋のドアをノックすると中に声を掛けた。
「クリステリア姫」
 ロクサーヌの予想では、小屋の中からクリステリアの声が厳かに入室を許す言葉を告げ、
王子を先導して部屋の中にはいるものだと思っていた。
 だが、現実はロクサーヌを余りに正反対に裏切っていた。
「ねぇねぇロクサーヌ! わたしってやっぱり天才! グラナダ倒しちゃう最強戦術考えつ
いちゃった」
 言葉の最後にルンと跳ねる音符マークが付きそうな弾んだ声が言い、ダンと音を立ててド
アが開けられる。
 そのドアに額を強打しながら、本日二度目の星が目の前を無数に飛んでいくのを見たロク
サーヌ。
 そして後ろに倒れかかったロクサーヌの体を抱きとめてくれているトゥールを思う。
 姫、ここにそのグラナダの王子様がいるんですけど………。


「ロクサーヌって、騎士ってわりに意外に鈍臭いよね」
 そう言って意気投合して頷き合っているのはクリステリアとアストンの、二大ロクサーヌ
卒倒事件の犯人たちだった。
 その言葉に額にビシッと怒りの血管が浮かび上がりそうになったが、そっと額においたタ
オルを返して冷やしてくれるアンリの優しい微笑みになんとか堪える。
 いつもなら王子様と名のつく人の前では深窓の王女を演じるクリステリアも、最初からあ
の出会いでは繕いようもないと諦めたのか、いつもの意地悪な姫のままでアストンとソファ
ーに座っている。
 そしてお客様であるはずのアンリがロクサーヌの手当をして、ザインは入口を守る騎士と
して立っているし、トゥールは立ったまま何かを手にとって読んでいた。
 険しい眉間に皺を寄せた神妙な顔で読むほど価値のあるものがこの家にあっただろうか。
 そう思った瞬間、脳裏に閃いた映像にロクサーヌは額のタオルをすっ飛ばして起き上った。
 王子が手にしているのは、クリステリアが勉強と称して書き連ねた用紙。おそらくそこに
あるのは、王子にとっての祖国グラナダを落とす計画という不穏なものが書き連ねられてい
るはずだ。
「あ、あの、それは」
 場合によっては王族であり、次期女王が書いた文章として二国間の関係を一気に破綻させ
かねないものであるのだ。
 まずいとは思ったが、もう時は遅し。
 この王子がどんな反応をするかの予想が立てられずに、固唾を飲んで見守る。
 そんなロクサーヌの心配など露知らず、クリステリアがソファーから立ちあがると、トゥ
ールの横に駆け寄っていく。
「あ、それわたしが書いたんだよ。ゲームみたいで面白かったよ。グラナダの地形と気候を
考えて、我が国の軍隊をどう配置すれいいかとか、グラナダの得意な戦術の裏をかく戦法は
どんなのがあるんだろうとか考えると、ちょっとワクワク」
 子どもそのものの興奮した物言いで言うクリステリアに、ロクサーヌは顔面蒼白で心の中
では最大限の悲鳴を上げる。
 だがクリステリアの言葉に頷いたトゥールは、感嘆したように唸り、ザインを呼ぶ。
 そして手にしていたクリステリアによるグラナダ攻略の計画書を手渡す。
 それを受け取って真剣に読みだしたザインを横に、トゥールは机いっぱいに広げられてい
た地図を見入る。
「これはなかなか手ごわい戦術ですな」
 ザインも苦笑交じりで言うと、計画書をクリステリアに返す。
「へへへ。そうでしょう」
 そしてクリステリアの方は褒められたのだと思って得意満面だ。
 だがそのクリステリアに、トゥールが地図を見下ろしながら声をかける。
「ですが姫。その計画では一点、穴があります」
 トゥールのその言葉に得意げだったクリステリアの顔が剥きになった負けず嫌いなものに
なる。
「え? うそ。どこどこ」
 クリステリアがトゥールの隣に立って言う。
 その反応に微笑みを見せたトゥールだったが、すぐに真剣な顔になるとじっとクリステリ
アの目を見つめた。
「知りたいですか?」
「うん。知りたいです」
 真剣に教えをこう生徒のように目をきらめかせて頷いたクリステリアにトゥールが言う。
「そうですか。ではそれをお教えする前に、姫もわたしに教えてください」
「うん? 何を?」
 そこで一層真剣みを増した顔でトゥールが言う。
「姫はなぜこの計画を? 将来姫はグラナダと戦をするおつもりで?」
 その問いに、それまで子どもを装っていたクリステリアの顔もスッと温度を下げて王者の
顔つきに変わる。
 そして冷ややかともとれる探るような目つきを乗せた仮面のような笑みを見せて答える。
「今現在の平穏を自ら破るつもりはございません。国の平安、民の幸せを守るのが王族の務
め。無用な戦で命も土地も焼くつもりはございません。ですが、現在の大陸における二大勢
力であるエアリエル王国とグラナダ王国の均衡が崩れる日が来ないとも限りません。その日
のために予行を立てておくのも悪くないかと。もちろん、そんな日が来ないことを願ってお
りますわ」
 ロクサーヌも目が点になるほど、完璧な返答を返したクリステリアが、トゥールに向かっ
て手を差し伸べる。
「そのためにも、わたくしとグラナダの王子であるあなたが友好関係を持つことは最善の方
法ですわね」
 そう言ってほほ笑むクリステリアの手を取り、トゥールが跪くとその手の甲に口づける。
「はい。グラナダ、第三王子トゥール=ティム=グラナダ。姫にお会いすべくここまでやっ
て参りました」
 それに鷹揚に頷いたクリステリアだったが、すぐにこの王族らしい会話に肩が凝ったよう
に首を傾けると、王子の手を引いて立ち上がらせて強請る。
「で、何がわたしの計画の穴なの? 教えて!」
 欲しいものは一瞬でも我慢できない子どもの顔で王子の腕に縋りついて言う。
 その変化に目を見張ったトゥールだったが、すぐに笑みを浮かべると頷いた。
 そして地図を指差しながらクリステリアに説明し始める。
 それを眺めていたクリステリアは、ホッと胸をなでおろす。
 とりあえず大事にはならずに済んだようだ。
 そして同じように二人のやり取りを眺めていたアンリが起き上がってしまったロクサーヌ
をソファーに横たわらせると、何か考え事をしている様子で額のタオルを水に浸して絞る。
 その様子を見ながら、ロクサーヌは複雑な思いで目を閉じた。

 
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