第五章  幻想

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 クリステリアそっくりの女、アンリが叫びを上げる。 「ザイーーーン。変態がキレイな女の人を襲ってる! 助けてぇぇぇぇ!!」  こんなときには頼れる騎士さまに登場していただこうと、アンリが地面で悶絶しているア ストンに対して身構えたままで背後の森に向けって叫ぶ。  するとすぐに足音が駆け寄ってくる。 「アンリ殿、どうされましたか」  走り寄ってきた騎士ザインは、いかにも力強そうな太い腕に大剣を抜き身で下げ、ぶざま なアストンを嫌悪の表情で見おろす。 「キサマがか弱き女性に不貞を働こうとした下賤の者か!」  凄味のある低く押し殺した声がザインの口から発せられる。  それを聞いたアストンが、涙を滂沱と流して顔を地面に押し付けた不格好な姿勢で振り返 り、今にも魂が抜け去ってしまいますという悲鳴を上げる。 「ひぃぃぃぃ。ぼくは別に悪い人じゃないです。ただロクサーヌに――」 「自分の悪事も認められないなんて、情けない上に卑怯者ね」  ザインの登場で居丈高になったアンリが鼻をフンと、尻もちをついたまま呆然とした顔を しているロクサーヌに近寄り、膝をついて肩に手を置いた。 「お姉さん大丈夫? でももう大丈夫だからね。すごい強い騎士さまが助けてくれるから」  あんぐりと口を開け、大きな目でじっと自分を凝視しているロクサーヌを、きっとショッ クでおかしくなっているに違いないと思ったアンリが、かわいそうにと眉を下げ、そっと抱 きしめて背中をポンポンと叩いてやる。  その後ろでは、アストンがザインに首根っこを掴まれて吊るされ、今にも殺されるという 悲鳴を上げる。 「ぎゃぁぁぁぁ、殺さないで。本当にぼくは怪しいものじゃないんだって。ロクサーヌも言 ってよ。ぼくはロクサーヌのプロポーズしたんであって、襲ってたわけじゃないって」  見苦しく鼻水と涙を惜しげもなく撒き散らしているわりに、アストンはしっかり言い訳し ている。  その声に我に返ったロクサーヌが目の前で自分を慰めるように見つめるクリステリアそっ くりなのに明らかに親切しぎる女と、アストンを猫の子のように吊るしている美丈夫な騎士 を見やった。  そこに呑気に馬に乗って現れた王子が一人。 「何やってんだ? またアンリが呪いグッズでも見つけたのか?」  だが欠伸交じりに現れた王子トゥールも、ザインの発する剣呑な空気とアンリの前の怯え た顔の女性に良からぬ事件に遭遇したらしいと顔つきを改める。 「何があった?」  馬から下りて声を掛けたトゥールは、だが地面に座り込んだ女の発した言葉に顔色を変え た。 「クリステリア様ではありませんよね?」  アンリの顔を恐ろしいものを見るように見ている女のその言葉に、トゥールは歩みを止め て振り返る。 ―― 今、クリステリアと言ったか?  自分の聞き間違いかといぶかしがった間に、ザインに吊るされている男が叫ぶ。 「ロクサーヌ! 早く正気に戻って!! 何言ってるの。クリステリアもぼくの股間はけり 上げそうだけど、こんな騎士をどっから連れてくるのさ。クリステリア付きの騎士はロクサ ーヌ自身じゃないかぁぁぁきゃぁぁぁ!!」  威勢よく叫んだアストンだったが、最後はザインに首根っこを回転させられて視線だけで 殺せそうな眼力で睨まれて悲鳴に変わる。  メソメソと顔を手で覆って泣き始めたアストンを呆れた顔で見たザインだったが、目の合 ったトゥールの目と、助けた女と目の前の泣き虫男の言葉を思い返してハッとした顔になる。 「………王子」  その呼びかけに頷いたトゥールは、今度は現れた自分を凝視するロクサーヌと呼ばれた女 に近づき、視線を合わせるために片ひざをついた。 「わたしはグラナダ王国第三王子のトゥール=ティム=グラナダ。エアリエル王国の第一王 女クリステリア姫を求めて旅してまいりました」  その言葉に一気に目覚めたように立ち上がったロクサーヌが膝を折って頭を下げる。 「これはご無礼をお許しください」  ロクサーヌは目の前の男が本物にグラナダの王子であることを、その耳の紋章を刻んだカ フスで確認すると、急激に引き締まっていく気持ちに身震いを感じるほどだった。  クリステリアがただの思いつき、いや、お見合いから逃れるための方便として始めた逃亡 劇に始まる無理難題に、こうして乗り越えてやってくる王子が現れてしまったのだ。  ということは………。 「そうかしこまらないでくれ。こちらは、クリステリア姫に認めていただけるためにやって きた挑戦者でしかないのですから」  頭を上げるように促されて顔を上げたロクサーヌは、その驕らぬ言葉と物柔かな王子の顔 立ちに内心でホッと胸を撫で下ろした。  この王子なら、もしかしたら面食いで注文の多い姫も気に入るかもしれない。  いよいよ始まるクリステリアの結婚への険しい戦いの道に先を見通す光が見えた気分でロ クサーヌが告げる。 「わたしくしはクリステリア姫つきの騎士、ロクサーヌと申します。トゥール王子、姫の元 へご案内いたします」  かしこまって立ち上がって先に立って歩き出そうとしたロクサーヌだったが、困惑した咳 ばらいが聞こえて振り返った。 「あ、あのロクサーヌ殿。この男はいかがしましょう」  ダランと手足を伸ばして吊るされている悲愴な顔のアストンが、ザインの腕に吊るされた ままだった。 「ロクサーヌぅ」  情けなく救いを求める顔に、ロクサーヌは険しく眉間に皺をよせる。 「……怪しくないか怪しいかは知りませんが、とりあえず害のある男ではありません。…… 放してやってください」  その一言でザインから解放されて地面に足をつけたアストンが、ロクサーヌ目掛けて走り 出す。  ママの背中に隠れたい子どものような仕草だったが、他国の王子を前に余裕のなくなった ロクサーヌには受け入れられずに手の平で突進を押し止められる。  無言だが、明らかにいい加減にしろ! と恐ろしい目線で恫喝してくるロクサーヌに、泣 きそうになりながらアストンが後退る。 「ロクサーヌぅ」  寂しく呟くアストンの前を、悠然と王子トゥールが通り過ぎ、その後を軟弱な男の存在な ど許せないという横目で睨んだザインが通り過ぎ、最後に股間を蹴り上げたアンリが通りか かる。  そのアンリがじーっと検分するようにアストンの顔を覗きこむ。  それにも怯えた顔で身を引いたアストンだったが、その仕草に不意に表情を変えたアンリ に気づいた。  それまでの怪しい男だと思っていた目が、幼い男の子を見やるお姉さんの目になる。 「あんた、本当に悪い奴じゃないみたいだね。……さっきは大事なところ蹴っちゃってゴメ ンね」  アンリはそう言うと、アストンに向かって手を差し出す。 「一緒に行こう」  その手を見つめ、ブワっと涙を浮かばせたアストンが「うん」と頷いてその手を握る。  その顔には、ついさっきロクサーヌに向けていたはずの淡い恋心に揺れる瞳があった。  
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