第四章 逃亡、逃亡、逃亡


「ほら、しっかり歩いて」
 肩に担いで帰ろうとしたところで目を覚ましたアンリが、自分で歩けるというので肩を貸して抱え
るようにして歩いているのだが、自分で歩くと言ったわりに意識が覚めたり寝てしまったりを繰り返
していて、歩きにくいことこの上ない。
「だから担いで行くっていったのに」
「女の子を担ぐとは何事ですか? 王子様ならいつでもお姫様抱っこ! それ以外は認めません」
 寝ていると思っていたら、いきなり叫ぶようにしてトゥールの独り言に返事をする。
「お姫様抱っこって、あれすごく重くて大変なんだからさぁ」
「重いとはなんですか、重いとは! 女の子にむか………」
 そして再び言いかけのまま眠りにつく。
 ある意味非常に器用なことをやってのけるアンリに、トゥールは本当に眠ったのか顔を覗きこんで
確認した。安心して眠っている、気が抜けそうになる穏やかな鼻息が聞こえてくる。
「全く………」
 アンリを横抱きにしながら歩きだした王子だったが、同時に自分以外の足音が後ろを付いてきてい
ることに気づいて、そっと背後を窺った。
 姿は見えない。が、人数は五、六人いるのだろう。荒れた足音と立ち止まる度にお互いに止まれと
指示を出しているらしい、慌てた急制動。
「はぁ、全く………」
 先ほどとは込められた気持ちが違う、同じ台詞と吐きながら、ゆっくりと歩きだす。
 人数はやはり五人。隠しきれない足音の種類で男と分かる。それも粗野な部類の男たち。
 なら自分の身分を知るゆえの襲撃とは違うはずだ。ただの物取り。
 きっと先ほどの酒場で金を持っていそうだと目をつけられていたのだろう。
 というのも、まともに立っていてくれない、担ごうとすれば嫌だとごねるアンリに、値のでかい金
を差し出し、釣りをいいと言って出てしていたのだ。
 それを見ていれば、格好は汚くとも、金を持った人間が酔狂に町に出てきて遊んでみていると思わ
れても仕方がない。
「ああ。詰めが甘いってザインに怒られそうだな」
 その場にいれば説教くれそうなザインの顔が思い浮かぶ。
『潜入においては、ありとあらゆる事態を想定し、事前の準備と細心の注意を怠ってはならないので
す。王子、あなたの心構えは緩過ぎる。どこかいつも気配の中に王侯貴族の子息ゆえの緩さがある。
よくいえば穏やかな品なのでしょうが、一般市民を扮しているおつもりなら、全くなっていない!』
 そこにいなくても脳内ザインがしっかり説教してくれるなんて、すごい刷り込みだなとトゥールは
感心して笑ってしまう。
「確かに甘かったな。もっと周囲の目を意識していないと」
 次第に人の数が減ってきている道に入り、背後の男たちの動きが大胆になってくる。
 そろそろ接触してくるかな。
 そう思っていた矢先に、背後でバタバタと大きな足音を立て、男たちが走り寄る。
「おい、そこの坊ちゃん」
 酒で焼けてしゃがれてしまった声がトゥールにかけられる。
「ん? 俺?」
 アンリを肩に吊り下げたまま、トゥールが振り返る。
 やはり五人のいかにも町の半端者ですという顔をした男たちが、先頭のボスだろう男を囲んでニヤ
ニヤと笑っている。
 それぞれ手にナイフを持っていたり、はたまた半分砕けてしまった木製のハンマーを肩に担いでい
たり、たいした戦闘力はなさそうだが、暴れてやろうという野蛮さだけは全開だ。
「な、分かるだろう。俺たちに逆らわないほうが坊ちゃんの身のためだぜ。かわいい女の子も連れて
ることだ。俺たちにやられてボッコボッコのとこなんて、彼女に見せたくないもんなぁ」
 先頭の男がニヤつきながらそう言うと、手を差し出す。
「持ってる金、みんな置いていきな」
 空中で金の入った袋を揉む動作をする男を、トゥールは嫌悪のこもった顔で見ると、何もなかった
かのように背を向けて歩き出す。
「おい、てめぇ。ボスの言ったことが聞こえなかったのか」
 別の男ががなり上げる。
 へぇ、ボスかぁ。大した組織になってるんだねぇ。
 おかしくて鼻で笑ってやりながら、トゥールが顔だけを背後に向ける。
「あんまりつけ上がると正義の鉄槌でぺったんこにされるよ。少しは自分の力量を見知って、真面目
に鍛練するとか、働くとかしなよ」
 男たちがこの程度の説得で、はいそうですかと引き下がるわけがないと分かっていたが、一応は言
ってみる。
 そしてやはり男たちは「なにぉ!!」と額に青筋を立てて、手にしているおんぼろ武器を振り上げ
る。
「この小僧、痛い目に合わないと自分の立場っちゅうやつがわからねぇらしいなぁ」
 脅すつもりで寄り目になりながら顎をしゃくって言うボスに、一斉に取り巻きがトゥール目がけて
走りだす。
「痛い目見るのは、どっちだか」
 トゥールは小さく呟くと、腰に忍ばせていたナイフを手に取ろうとした。
 が、颯爽と抜き取ろうとしたナイフがない。
「なにぃぃ!」
 裏返った声で叫んたトゥールは、腰のバンドに止めておいたはずの場所を見て目をむく。
 ナイフがなかった。
 代わりに、ナイフは座った目でそれを眺めるアンリの手の中にあった。
「何これ〜〜。おいしそうなバナナぁ」
 ナイフを鞘ごと握って「あ〜ん」と口を開けたアンリがいる。
「待て、食べるな。っていうか、離せ!」
 トゥールは目の前に迫ってくる男たちとアンリを交互に見ながら叫んだ。
 だが酔っ払いのアンリが言うことを聞くはずもない。
「ヤダぁぁぁ。これはアンリが見つけたの。取っちゃヤダ!」
 そう言って、なお一層握る手に力を込め、男のトゥールが引っ張ってもびくともしない。
「お願いだからアンリ離せ!」
 絶望的に叫びながら、目の前に迫った男が悪漢そのものの顔で醜い黄色い歯を見せながら笑うのを
見る。
 デブで食べこぼしの油で汚れたヒゲの男がトゥールの頭目がけて、砕け気味だが巨大な木製ハンマ
ーを振り上げる。
 あんなものでも頭に振り下ろされれば致命的だ。
 トゥールはアンリを脇に抱えたまま、デブ男の腹目がけて蹴りを繰り出す。
 するとまるで巨大な弾力に満ちた風船を蹴り上げたように、足が男の脂肪たっぶりの腹にめり込み、
次の瞬間にボブヨーーーンと後方にすっ飛んで行く。
 そしてその反動で後ろに走りこんできていた手下その1がデブ男の下敷きになり、手下その2がデ
ブ男の手から離れたハンマーの直撃を食らって昏倒する。
 なんかラッキー。
 トゥールは面白いように蹴り一撃で倒れ去った三人を眺めながら思う。
「てめぇ、よくも俺たちの大事な仲間を三人も!」
 手下その3が怒気を孕んだ叫びをあげる。
「三人って、俺は一人だけ防衛のために蹴っただけで、あとはあんたたちの仲間が自滅してっただけ
じゃん」
 呑気に言い返したトゥールだったが、次の瞬間、言わなきゃ良かったと後悔する。
「屁理屈こねてんじゃねぇよ!」
 手下その3が武器を構える。
 その武器も見事に手作り感たっぷりの、折れた箒の柄や畑を耕す鍬の柄、そこらで拾った木の枝な
どを針金で束ねただけの棍棒だったが、ずいぶんと重量感たっぷりで、殴られたらさぞ痛そうな武器
だった。
 そしてさすがはゴロツキでもボスはボス。腰に穿いていた剣を抜く。
 錆びて歯こぼれが著しい剣で、とても大根一本切れそうにない剣だったが、やっぱり刃物だ。甘く
見ると痛い目に合う可能性がある。
「あれ〜、このバナナ、すっごく固いんだけど。さてはわたしに食べられるのに恐れをなして固くな
っているな」
 一人この事態を分かっていないアンリが、王子のナイフの鞘部分を齧りながら、場違いなコメント
を述べている。
「てめぇら、ぜってい地面にのたうち回らせて、泥ダンゴ口ん中に詰め込んでやる」
 そう啖呵を切った男とボスが、一気にトゥールとアンリ目がけて肉薄する。
 その勢いと、未だアンリの手と口の中にあるナイフに、トゥールは顔を顰めると、アンリを肩に担
いで走りだす。
「クソ。敵前逃亡など俺の趣味じゃないのに!」
 叫ぶトゥールの肩の上で、アンリがキャッキャと楽しそうに声をあげて笑う。
「トゥール、そんな揺すられたら、さっき食べたものがみんな胃からダッシュで逆走してきちゃうよ
ぉぉぉぉ」
 ってことは肩からゲロが降ってくるのか? そりゃ勘弁!
 トゥールは背後を悪態をつきながら追いかけてくる男たちよりも、アンリのゲロ攻撃のほうが恐ろ
しいと思うのであった。

 
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