第四章 逃亡、逃亡、逃亡



「本当に彼女はクリステリア姫本人じゃないのか?」
 ザインと二人きりになった途端に、王子然とした気品ある佇まいは崩れ、ソファーに寝そべる王子ト
ゥール。
「はい。それは、わたしよりも日頃クリステリア姫の肖像画を舐めるように眺めていらっしゃる王子の
方がお分かりになると思いますが」
「……人を変態みたいに……」
 寝そべった姿勢のままにザインを睨んだトゥールだったが、ザインの言う通り、自分の中で今会って
きた女とクリステリアの違いはすぐに見つけられた。
 まず髪の色が違う。クリステリアが見事なストロベリーブロンドなら、アンリは赤みがかったくすん
だ金髪だ。
 瞳の色もクリステリアが高貴なアメジストなら、アンリは沈んだ色のブルー。
 そして何よりも決定的に違うのは、自分が選ばれた血筋の姫であるということを自覚した、優雅で人
の上に立つ者としての王者の風格。それがアンリには全くない。着飾ることに目は輝かせていたが、慣
れ親しんだ装いというよりも、夢の国に来てしまったかのような夢見ごこちの顔つきだった。
 その方が親しみがあると言えば、そうなのだけれども。
 自分自身が王家の人間だという自覚などこれっぽちも持っていないトゥールは、フンと鼻息一つでソ
ファーの上で起き上がると、足と腕を組んで考え込む。
「だったら、あのアンリという女が持っていた宝石はどうなる。あれは、エアリエル王国の刻印があっ
たではないか」
「それはわたしも解せないところですが……」
 ザインは直立で立ったまま、王子に同意して懐に持っていたアンリの宝石を取り出して王子に手渡し
た。
 皮の袋に入れられた宝石を取り出した王子は、それを手の平に乗せて転がして眺める。
 重量感もあり、手の上で転がる丸い宝石が日の光の帯の中に掲げ上げられると、王子の手の平の上に
エアリエル王国の紋章を描き出す。
「これは王家の人間だけが身につけることを許されている種類のものだろう」
 トゥールは自分の右耳についたイヤーカフスを示すと、指で弾く。
 銀の繊細な細工の施されたそれは、グラナダの王位継承者の第三位までに許されるものだった。やは
りトゥールのものにもグラナダの紋章である双頭のヘビがオリーブの枝に絡んだ紋章が彫り込まれたブ
ルーの石がはめ込まれていた。
「あの女はトレジャーハンターなんだろう? だったらこの宝石もどっかで盗んできたとか?」
 王子は宝石を皮袋の中にしまってザインに放って返しながら言う。
 それをこともなげに片手で掴んだしたザインは、それを懐に戻しながら笑う。
「それはないでしょう。トレジャーハンターなどと言っていますが、あれではスリもろくにできないで
しょう。子どもの冒険ごっこに毛が生えた程度のものです」
「だったら王家の人間のもとから盗むことなど、決してできぬか」
 考え込む王子を眺めながら、ザインも王子の想像にのってアンリが大邸宅にしのびこんでいるところ
を想像してみるが、絶対にうまくいかないだろうと確信して笑ってしまう。
 あの娘のことだから、よく考えもせずにどこかの木によじ登って窓から侵入しようと企て、木の枝に
服を引っ掛けて破き、その拍子に木から落ちて番犬に追いかけられる。あるいは、窓の中に運良く入り
込めたとしても、あまりに豪華な室内の装飾に見とれて「ほへ〜」などと言っている間に住人に見つか
って捕縛だ。しかも、おまえは何者だと聞かれれば、素直に「トレジャーハンターです」などと答えそ
うだ。
 というよりも、あの性格ならそんな泥棒まがいの事には興味は示さないだろう。あくまで子どもの冒
険ごっこのルールで、危険艱難の待つ未踏の場所を探検して手に入れる秘宝なるものにロマンを燃やし
ているのだろう。
「ところで王子、あの娘、どういたしましょう?」
 ザインは珍しく真剣に考え込んでいるトゥールに問い掛ける。
 それになぜそんなことを聞くのだと面食らった顔で、トゥールがザインを見上げる。
「盗賊として捕えるというのか?」
 本来トレジャーハンターなるものは、国を治める者からしてみれば国家所有の財宝を勝手に盗掘する
輩であって、ひっ捕えて裁判もなしで罪人として強制労働につかせるものなのだ。
 だがあのへにゃりとした娘を強制労働の農場や採掘場、砂漠の井戸掘り労働などに送っても役に立つ
とは思えない。
 それになにより、ろくに財宝も見つけていない上に世間も知らずのまま、そんなところに送り込むの
は気の毒でならない。
 王子のそんな思いを「いえ」と否定すると、ザインが微笑みを深くする。
「あの娘、王子好みの顔立ちなのでしょう。でしたら、王子の愛妾としてはいかがでしょう?」
 その言葉に、トゥールはただ目を丸くするばかりだった。


 サシャに先導されて通された部屋に、アンリは口を開けた惚けた顔で目をめぐらせた。
 月の光で青白く発光しているバルコニーから続いている石造りの部屋の中は、そこがまるで庭園の中
にいるのではないかと錯覚させるほどに緑と花で溢れていた。
 南国の極彩色の大ぶりの花がアンリの頭上から微笑みかけるように頭を垂れ、足元にも多肉な緑の植
物が絨毯のように広がり、滑らかなその肌を惜しげもなく晒していた。
「アンリ殿。お待ちしておりましたよ」
 王子はバルコニーへと通じる大理石の円形に掘り込まれた入り口に立ってアンリに手を差し伸べる。
 その立ち姿の美しさに、アンリはその手を取っていいのか迷って立ち尽くした。
 月夜の光を受けて輝く王子の黒髪は、あまりの美しさに闇の中に溶け出してしまいそうで、浅黒い肌
の中で濃紺に光る瞳に魅入られてしまいそうになる。
 本当にわたしは夢でも見ているのかもしれない。
 そう思って出しかけた手を宙で止めてトゥールを見つめるアンリに、王子がクスリと笑う。そして不
意にグイっと顔を近づけると、間近でアンリの瞳を覗き込む。
「アンリ殿? 生きてますか?」
 トゥールはそう言ってアンリの目の前で手を振る。
「あ、はい」
 その少し子どもっぽい仕草にハッと我に返ったアンリが目を丸くする。
 そして王子の方もついさっきまで見せていた気品溢れる王子の顔のときは見せなかった満面の笑みで
アンリの手を握るとテーブルまで引いていく。それはエスコートというよりも、子ども同士が手をつな
いで歩いているような感覚だった。
「さぁ、どうぞ。座って」
 アンリのためにイスを引いてくれる王子に礼を言って腰を下ろせば、すかさず座りやすい位置にイス
が押される。
 アンリは目の前のテーブルに並んだ銀色のフォークやスプーンの数に圧倒されながら、自分の正面に
座った王子の顔を見る。
 やっぱり美しい顔をした、しなやかな野生の黒豹のような姿なのに、その顔にある臆面のない笑みが、
それを精悍な大人の黒豹から子どものやんちゃ盛りの黒豹へと変えている。
「あ、そういえば、これはお返ししておきますね」
 トゥールはそう言うと、アンリの前に皮の袋を差し出した。
 テーブルの上でコツンと音をたてたそれは、アンリの宝石だった。
 それを見下ろし、アンリが手を伸ばしかけてから王子を上目遣いで見上げた。
「あの……、これって呪いのアイテムなんですか?」
「呪い?」
 恐々と聞いてくるアンリに、トゥールが首を傾げる。
 それにアンリはザインと知り合った経緯とそれに関わった吸血石の話を聞かせると、トゥールは興味
深げに頷きながら耳を傾けた。
「それで呪いですか。いえ、これはそう言ったものではありませんよ。というよりも、とても高価で希
少なものです。大切に持っていてください」
 親しみやすい笑みで言われ、気をよくしたアンリが笑顔で「はい」と素直に頷く。
 そして今自分が王子の目の前にいるのだということを忘れて、いつも通りに宝石入りの皮袋を抵抗も
なくドレスの胸の中に押し込む。
 それを目のあたりにした王子の目が、ついアンリの手の中で揺れる胸元へと注がれる。
 それに気付いたアンリが目だけを王子に向け、目の合ってしまったトゥールもどこを見ていたかに気
付かれたと理解して、お互いにニヘラと笑う。
 その二人の脳裏に浮んでいたのは、ともに言われた愛妾という言葉だった。


 
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