第三章 やってきたカモ



  足元の草を踏みつけるようにして、勇ましい勢いで歩いていくクリステリアの後を追いながら、アス
トンは自分は一体どうしたらいいのか途方にくれながらその背中を見ていた。
「ちょっと待ってよ。クリステリアはどこに行きたいの?」
 苛立たしそうな足の運びにビクビクしながら声をかけたアストンに、急停止で足を止めたクリステリ
アが振り返る。
 その形相があまりに恐ろしく、アストンはビクっと震えて腰を引く。
「……あの、……殺そうとしたりしてゴメンネ。でも世の中には利害というものがあって、クリステリ
アのことは嫌いとかでなくても暗殺して欲しいなんてお仕事が舞い込むわけで……」
 言いながら謝っていないことに気付いたアストンが尻つぼみで言葉を引っ込める。
 上目遣いでクリステリアを見たアストンだったが、赤い顔で目を吊り上げているクリステリアが自分
を睨んでいないことが分かり、逃げ腰をわずかに元に戻す。
「何を怒ってるの?」
 ぎゅっと手を握って指の関節が白くなるほどに力を込めている姿に、アストンは怖いと思ってばかり
だったクリステリアにほんの少し同情を覚えた。
 普通の娘なら、こんな風に交渉の道具として扱われる理不尽さに晒されることもないだろう。自然と
好きになった男と恋に落ち、相手の気持ちを知りたいと胸をときめかせ、一緒にいられる時間に一喜一
憂する毎日を送る日々があったはずなのだ。
 だが大国の一姫として生まれたクリステリアにそんな日々はない。
 そう思っていたアストンに、クリステリアが目線を落とすと言う。
「わたしは何よりも負けることが大嫌い。真向勝負で負けるのなら納得のしようもあるけれど、姑息に
手をまわす相手に負けるのなんて、死んでもイヤ!」
 語気荒く言うクリステリアだったが、なんとなくアストンにはほんの少しの怯えがあるように感じた。
 自分の力でも知恵でも対抗のしようのない力が自分に迫っていることに、戦いたいと思いながらも勝
てないかもしれない、自分のあずかり知らぬ間に命を奪われるかもしれないという恐怖。
 それはただ単に命の危険への恐怖というよりは、戦うために生まれた騎士のように、自分の力を試す
機会もなく断たれる自分の可能性への恐怖であるように感じられた。
 そしてそんなにクリステリアを恐れおののかせているのが、おそらく自分の存在なのだと分かって、
アストンは申し訳なくなって胸の内が苦しくなるのを感じた。
「クリステリア、ごめんね。ぼくは、もうクリステリアを傷つけるようなことはしないから」
 うな垂れているクリステリアに近づき、恐る恐る手を伸ばしてその髪に触れる。
 そうしても反撃してこないのを確認すると、子どもにするように頭を撫でてやる。
 太陽の熱で温められた髪がアストンの手の下で乱されながら、クリステリアにアストンの柔らかな愛
情の感触を伝えていた。
 男にしては繊細な手つきで、壊れ物を撫でるようにゆっくりと頭を撫でてくれる。
 それに頑なに俯いて反応しなかったクリステリアだったが、やがて上目遣いでアストンを見上げる。
 その目に今にも溢れ出しそうな涙があるのに気付いて、アストンが撫でる手を止める。
「アストンは、わたしのこと嫌いでしょう?」
 言いながらギュッと目を瞑って涙を零したクリステリアに面食らいつつ、アストンが首を横に振る。
「ウソ! だって、わたしアストンのこといっぱい虐めたもん。逆さ釣りにしたし、拷問かけるとか脅
したし、昨日の夜も無理に人形作らせたもん!」
 癇癪を起した子どものように叫ぶクリステリアに、だがアストンはびっくりしながらもしっかりとそ
の様子を見守っていた。そしてギュッと握られた拳で殴られそうになって、その手を受け止めて握った。
「ぼくはウソなんて言ってないよ。そりゃ、虐められるのは嫌だし、脅されれば怖いけど、別にクリス
テリアが嫌いってことはないよ」
 思いがけず自分よりも強い力で拳を止められ、反撃できないクリステリアは悔しそうに泣きながら俯
いていたが、込めていた力を弱めて大人しくなるとアストンに尋ねた。
「じゃあ、わたしのこと、好きになってくれる?」
「うん、たぶん。クリステリアがどんな人から分からないから確約はできないけど、でも、友だちにな
ろうよ。ダニーとチェリーのことを好きになってくれたクリステリアだもん、きっといい人だし。女の
子としてもかわいいんだしね」
 再びクシャクシャにするように髪を撫でられ、クリステリアは「うん」と頷くと、アストンの胸に飛
び込んだ。
 そして顔をぎゅっとその胸に押し付けると、声を上げて泣き始めた。
 あまりに悲しいその泣き声に、アストンはもらい泣きしそうになりながら、妹を抱きしめるように優
しくその背中を抱きしめた。
 いつだって強気で悪巧みばかりしているようなクリステリアだったが、その胸の内では目には見えな
い葛藤や思いがあったのだろう。
 いたずらだとて、ただの意地悪でしているだけではないのかもしれない。
 大国の姫だということで近づく人間を自分に寄せ付けないための防御、あるいはその真意を見出すた
めのクリステリアなりの方法だったのかもれない。
「クリステリア、今度はダニーとチェリーの着せ替えの服を作ってあげるからね」
 自分にできるなかでクリステリアを喜ばせることのできることを考え、アストンが言えば胸で頷く気
配を感じる。
「じゃあ、泣かないで。一緒に散歩するんでしょう」
 アストンの言葉に、クリステリアが赤くなった目と鼻で、恥ずかしそうに顔を上げる。
 その涙に濡れた顔を、ポケットから出したハンカチで拭いてやりながら、アストンはクリステリアの
右手を握る。
「ねぇ、昨日の湖のところに行ってみようか」
「うん。………一緒に裸で泳ぐ?」
 本気で尋ねているらしいクリステリアに、一瞬言葉を無くしたアストンだったが、丁重にお断りして
首を振る。
「一応ぼくも男なので、クリステリアはぼくの前で裸にならないでね。でも、そうだな。水の上を歩い
たことないでしょう?」
 アストンが良い事を思いついたという顔で人差し指を立てると提案する。
「うん。ボートに乗ったことはあるけど」
「ねぇ、一緒に水の上を歩いてみない?」
「できるの?」
「うん。ぼくはこれでもマイノールの術士だからね」
 自信満々で胸を張るアストンに、泣き顔だったクリステリアの顔に好奇心の赤みが戻ってくる。
「やってみたい」
「まかせとけ!」
 手をつないで森の中を歩きだした二人は、スキップをしながら湖へと急いでいく。
 だが、その先に待っていたのは、楽しい水上散歩ではなかった。
 なぜなら、それはやっぱりアストン。失敗は彼の専売特許だったのだから。
「アストンのバカ!!!」
 空高く舞い上がったクリステリアは叫びながら湖に頭から落ちていく。
「ゴネンネ、クリステリア!」

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