第三章 やってきたカモ



 どんよりと淀んだ目でミルクを飲むのは、目の下にどす黒い隈を作ったアストンだ。
 同じ部屋のソファーの上には、アストン作のクマのぬいぐるみ、ダニーとチェリーを両手に遊んでい
るクリステリアがいる。
 それを見るとはなしに見ているアストンが、それでも自分の作ったぬいぐるみを大事に抱いて遊んで
いる姿が嬉しいのか、ほのぼのとした空気でイスに座っていた。
「アストン、ちょっといいか?」
 昨晩はろくに寝ていない様子のアストンを気遣って声をかけたロクサーヌだったが、アストンはお人
好しなのか、嫌な顔一つせずに笑顔で頷く。だが、疲れきった笑顔がかえって痛々しい。
「……その前に少し寝たほうがいいか?」
「いえいえ、ぼくは元気な男の子ですから、一晩の徹夜くらい、なんでもないです」
 明らかに何でもなくはない顔で、胸を張る。
「そ、そうか……?」
 本人がそういうのだから、それに従おうと思って咳払いしたロクサーヌが、姿勢を正すと尋ねる。
「おまえが悪い奴でないことは分かった。でも、おまえは姫を殺そうとした。その理由を聞いておかね
ばならない」
 目の前にいる青年だけを見ていると、とても昨日の出来事は夢だったとしか思えないほどに落差のあ
る姿だったが、今も湖の周りの森は、完全に木々がなぎ倒されて破壊されつくされているし、目の前の
青年はれっきとした術士なのだ。
 怒られた子どものようにうな垂れたアストンが、それでも素直に答えるつもりでいることを示して
「はい」と頷く。
 今日は朝から曇り空のせいで太陽光が森の中まで届かず、窓の外はどんよりと薄暗かった。鳥の声も
せず、今にも空からしとしとと雨の雫が落ちてきそうな湿った空気で満ちていた。
 薄暗い部屋の中から、外に目を向けいたロクサーヌがアストンに目を戻す。
「おまえ個人の意思ではないだろう? だったら誰に依頼されたんだ?」
 そんなことを簡単に明かすようでは、術士としても誰かに仕える者としても半人前なのだが、アスト
ンはビクリと肩を震わせると、俯いたままに言う。
「誰かに依頼されたわけじゃないです。自分で姫を殺したいと思ったわけでもないけれど」
 それはそうだろう。殺したいと憎んでいる相手であれば、徹夜までしてぬいぐるみを作ってやるはず
がない。
「じゃあ、どういう経緯でわたしたちの元に来たのか順を追って話してくれ」
「はい」
 はっきりと先の見えない返事しか返さないアストンに苛立ちを悟られないように、ロクサーヌは優し
く穏かな声で問い掛ける。
 それにアストンは、母親に悪事を告白する子どものように頷いて、小さな声で続ける。
「ぼくは本当にダメな術士で、この前も大失敗をしてしまって……」
 アストンは自分がマイノールに所属する術士であること、そしてそのマイノールへ依頼される仕事を
こなすのが自分の務めでありながら、ことごとく失敗してきたことを語った。そして、無期謹慎を言い
渡された事件についても。
「それで、ぼくは大きな仕事をやり遂げて名誉挽回しようと思ったんです」
 そこまで話したところで急にその時の大きな決意を思い出してか、顔を上げて高らかに言ったアスト
ンんだったが、結局また自分が失敗したことを思い出し、シュンと肩を落とす。
「長老たちが話しているのを聞いたんです。エアリエル王国の姫、クリステリアが国から出た。この機
会を利用しようって。姫を捕えるか、あるいは殺して手に入れようって」
 そこまで語った瞬間、ロクサーヌの体から溢れる冷気を感じるほどの怒りに、アソトンがハっと顔を
あげ、言葉を失ってその顔を凝視した。
 それに気付きながら、ロクサーヌは溢れる怒りと急激に神経の中を駆け巡る緊張を隠そうともせずに、
アストンの目の奥を探って鋭い目を向けた。
「マイノールは非公認の術士ギルドだろう。公認のギルドのノードとの間で確執があるのは知っている
が、なぜそれがエアリエルに関係してくる」
 問われたアストンが首を傾げ、そう言えばと言うように考え込む。
「エアリエル王国はノードと強い結びつきがあるでしょう?」
 原則的に俗世とは関係を断っているノードとの間に政治的な関わりが公的にあるわけではないが、そ
こに持ちつ持たれつの関係がないわけではない。
 識者として名高いノードの長老には、王が個人的な関係において相談を持ちかけることは大いにある
ことだし、戦乱の時期には、ノードは正義ありとみたエアリエルの王侯の護衛についたこともあった。
 対してマイノールは俗世とのかかわりが強いギルドであり、庶民から王侯貴族にいたるまで、様々な
問題の依頼を受けて解決のために力を貸す営利組織と化していた。
 実りに恵まれない土地の改良のための知恵や天候の先読みといった仕事から、祭の出しものの一つと
して炎や水を操る余興まで行う。
 裏では、暗殺、人心操作、違法は薬物の調合、小国同士の小競り合いの戦力として力を貸す。そんな
仕事もあるのだという。
 もちろんノードとマイノールでは人々の尊敬の念も違えば、与えられている地位や権限も天と地ほど
に開きがある。だがそれゆえに、住み分けができているし、利害が衝突することも稀だと思っていた。
 ましてや、術士のギルド同士なら衝突もあるかもしれないが、魔術とは関係のないエアリエルになぜ
に火の粉が飛ぶのか理解ができない。
「マイノールがノードの地位を我が物にしようとしているとしても、エアリエルを攻撃することが得策
とは思えない。ノードの地位を得た後にエアリエルが大きな力の後ろ盾となっても、敵になることはな
いはずだ。もしノードとマイノールが闘うことになったとしても、クリステリアさまにマイノールが手
を出していると知れれば、マイノールはエアリエル王国も敵に回すことになる。それはどう考えても得
策ではないはずだ」
 理論整然と説明するロクサーヌに、アストンも考え込んでから頷く。
「クリステリア姫がマイノールの手にある方が良い事って、なにかあるのかな?」
 アストンが自分で言って首を傾げる。
 クリステリアは、性格を除けば誰もが手に入れたくなるような美姫かもしれないし、エアリエル王国
という後ろ盾を考えればカモがネギを背負っているような存在かもしれない。だが、俗世とのかかわり
が強いとはいえ、マイノールの誰かが姫を妻として得ようなどと考えるとは思えない。普通、術士は独
身と決まっているものだ。
「なぁ、そういえば、どうして術士は独身なんだ?」
 思いついたことを問いにしたロクサーヌに、不意にアストンが顔を赤くする。
「え? ……ああ、その、術の力が衰えるからだと言われてますけど」
「術の力が衰える?」
「は、はい。……女性は身篭ると術の力が消えるんです。子どもを身篭るというのが人間に与えられた
最高の神秘の力だからだと言われています。男の場合は、その………精を放つことが、イコール力の損
失であると」
「へぇ」
 赤くなるアストンとは反対に、ロクサーヌは特に変化も見せずに普通の会話のように頷く。
「じゃあ、マイノールの中に姫を妻にして迎えることで力を得ようとしているものはいないということ
だな」
「それだったら、殺していいとはいわないでしょう?」
「まぁ、そうだな」
 二人揃って腕組みして考え込む。
 どう考えてもマイノールがクリステリアの手を出す意味が分からないのだ。
「姫を欲しがっている国があって、その国がエアリエルの力を手にすることで、狙われるような国があ
るとか? それでマイノールに依頼があったりとか………」
「姫を抹殺して国と国の結びつきを断とうと? どうかな? ……マイノール的には、戦乱になっても
らった方が金になるから、あえてその金の芽を摘むかな?」
 意外にダークな考えを語るアストンに目を丸くしながら、ロクサーヌも納得して頷く。
「じゃあ、なんで?」
「さぁ?」
 暗殺しに来た本人のアストンが、一番呑気に首を傾げる。
「おまえなぁ」
 呆れと怒りを感じて呟いたロクサーヌだったが、不意に耳に入った言葉に振り返った。
 そこには、二人の真剣な話などつゆ知らず、楽しそうに人形遊びをするクリステリアがいた。
 一見はかわいらしい姿だったが、耳をそばだてた瞬間に、ロクサーヌは頭から湯気を上げて立ち上が
った。
「まぁ、ダニーいけませんわ。こんなところで」
「いいじゃないか、チェリー。ぼくのはちきれそうな思いを受け取っておくれ」
「あ〜れ〜」
 ソファーの上でダニーがチェリーに馬乗りになっている。
「クリステリアさま!」
 仁王立ちして怒鳴るロクサーヌに、顔を上げたクリステリアがにやりと笑う。
「まぁ、続きを見ててよ」
 そういうと、クリステリアの人形劇が再開される。
「もう、ダニーいけませんわ。はちきれそうなのは、心じゃなくて、ココでしょう!」
 チェリーをダニーの下から引き出したクリステリアは、チェリーの手に持たせていたまち針を構えさ
せる。そしてあろうことか、ダニーの股間に突き刺したのだ。
 呆気にとられるロクサーヌと、自分が刺されたように腰を引いているアストンを見上げ、クリステリ
アが言う。
「わたしを利用しようとする男なんて、みんなこうしてやるから、ロクサーヌ、安心していろ!」
 宣言したクリステリアが人形を放り出すと、外へと歩き出す。
「アストン、散歩に行くぞ。お供しろ」
「は、はい」
 我道を行くクリステリアに、アストンが振り回されながら着いていく。
 それを見送りながら、ロクサーヌがかわいそうなダニーを見下ろす。
「威勢のいいことで」
 簡単には負けそうにない強い姫に育ってくれたことは嬉ことだった。
 だが、男の股間を切り落としそうな姫の気性には、少し困惑するロクサーヌだった。


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