第二章 運命に魅入られた娘



 「実は――」
 興味津々といった大きな目で自分を見る王子の前で、ザインは語りだしたものの、どういったらこの
王子の気をひくことができるのだろうと試案していた。
 だいたいにおいて、なぜにクリステリア姫に執着するのかが分からない。
 やはり顔か。それならば、あのアンリとかいう娘でも王子が満足する可能性もなくはない。もとより
権力に振り回されて今の宙ぶらりんな自分がいる王子にとっては、血筋や権威というものへの忌避感は
あっても、執着はないはずだ。
 だったらなぜに。
 母親の身分が低いために、王宮ではなく母親の実家である城と呼ぶには粗末な家で育ったトゥールに
は、それゆえにクリステリア姫に直接会うなどという機会は一切ないはずなのだ。
 この王子のことだから、妄想の中のクリステリアに恋している可能性もなくはない。
 ザインは沈黙の一瞬の中で様々な可能性を探り、伏せていた顔を上げて王子を見た。
「実は王子から離れて任務についておりましたここ数日で、ある女性に会っていました」
 その言葉に一瞬、ん? と首を傾げたトゥールだったが、次の瞬間にニンマリと笑う。
「なんだ。もしかしてザインの恋愛相談にのって欲しいの? へぇ〜、ザインにも想い人とかいるんだ
」
 どんな人なんだろうなぁ、などと現実から逃避してブツブツと呟く王子に、ザインは自分の言葉選び
が間違ったことに気付いてため息をついた。
「いえ、そうではなく。……王子、偶然に森の中で助けた娘なのですが」
「ええ?! 偶然であった娘と一夜のうちに恋に落ちちゃったわけ? 情熱的だな。っていうか、やる
なぁ」
 ますます王子の妄想は拍車をかけて疾走し、馬のひずめの音も高く駆けていく。
 ため息をついてやきもきするザインと、頬を赤らめて妄想する王子を見ながら、侍女がクスリと笑い
を漏らす。
「王子、真面目に聞いてください。わたしの話ではないのです。いいですか。とにかく、わたしが助け
たその娘、王子の想い人のクリステリア姫にそっくりだったのです!」
 ザインの口からクリステリアの名前が出た瞬間、彼方を走っていた王子の妄想馬車は、全速力という
よりも、ワープでザインの目の前に戻ってくる。
 真顔になった王子がソファーから仁王立ちで立ち上がると、ザインを見下ろす。
「なに? まさかクリステリア姫、ご本人なのでは」
 トゥールの脳裏にあるのは、クリステリアが家出同然で城から出奔していることだった。自分を見つ
け出した王子と結婚してくれるらしい旨の書簡が届いていたはずだ。
「ザイン………。おまえも貴族の息子だよな。王子じゃないけど、クリステリア姫とまさかすでに愛し
たってしまったとか恐ろしい話では……」
 蒼白になって呟く王子に、立ち上がったザインがその両肩に手を置いて断言する。
「断じてありません。とりあえず、落ち着きください」
 再びソファーに腰を下ろしたトゥールが不信げにザインを上目遣いで睨んでいたが、相手がかなりの
堅物であることを知っているだけに、信じてみようかと腕で組む。
「確かにクリステリア姫とそっくりな容姿ではありましたが、その立居振舞、言動、持ち物、どれをと
っても姫であるとは思えませんでした。本人も自分がトレジャーハンターだと名乗っていましたし」
「おまえ相手にトレジャーハンターだと名乗ったのか?」
 王子が呆気にとられた顔になったあとで、ふむと考え込む。
 どうやらその女、バカなのか。だったら断じてクリステリア姫じゃないな。
 そう確信した様子で、トゥールは一気にザインへの信頼を取り戻して考え込む。
「で、おまえはそのバカな娘をどうしたいのだ?」
 もうバカ扱いで言う王子に、ザインは再び失態したことに気付いて顔をしかめた。
 自分への王子の不信や嫌疑を解こうと言葉を紡ぐうちに、アンリへの王子の期待を消してしまったで
はないか。
 次の言葉を探して無言になっていたザインに、侍女が横から声をかける。
「あの、僭越だとは思いますが、一言よろしいでしょうか?」
 救いの手だとザインが頷く。
「わたくし先ほどからお話を窺っておりまして思ったのです。クリステリア姫のような高貴な血筋のお
方と似ておられる女性など、そうそういるものではありません。
 わたくしもクリステリア姫さまのお顔は、肖像画などでしか拝見したことはありませんが、エアリエ
ル王国の中でも、特異な髪の色や瞳の色だと思います。もしや、クリステリアさま本人ではないにして
も、血縁のお方である可能性はないでしょうか? あるいは、クリステリアさまの影を務めるもの」
 さすがだ!
 振り向いて侍女を見れば、王子には見えないように、目だけでこれでよろしいでしょうか? と合図
までしてくれる。
 再び王子を見れば、今度は侍女の言葉に再び心を揺すられた様子で考え込んでいる。
「ふむ。それもあるかもしれないな。バカな振りをしてザインの目を誤魔化したか」
 あっさり騙されてくらた王子の単純さにホッとしながら、同時に少し悲しいザインだった。これでも
王位継承権のある王子。物事をあらゆる角度から思慮する聡明さも持って欲しいものだ。
 だが今はその単純さに救われているので目を瞑ろうと小言を飲み込むと、ザインは「よし!」と声を
あげる王子を見た。
「ではその娘を追ってみよう。そうすればもしや姫の元にたどり着けるやも知れぬ」
 今すぐにでも旅立とうとする王子に、ザインが思い通りにことが運んだと微笑む。
「王子。すでにその娘を追うように手配は済ませております」
 ザインのその言葉に、トゥールの顔が晴れやかに輝く。
「よくやった、ザイン! さすがだ」
 手離しで褒める王子に、ザインは満足して頭を下げた。


 一方その頃、ザインと別れたアンリは呑気に歌を大きな声で歌って歩いていた。
 ザインが使って一晩を過ごした毛布をマントのように背中に背負い、それを舞わせながら軽快にステ
ップを踏んで踊ってもいる。
 旅のために体力を温存しようなどという気は毛頭ない。ひたすら心の赴くままに、楽しく本能全開に
突っ走る。
 盛り上がってきた歌の高音部を力を込めて歌い上げたアンリだったが、一歌歌い終えて満足して頷く。
 そしてふと足元に咲いていた春を告げるスミレの花に気付いて、今度はしゃがみこんで「うわ〜」と
叫ぶ。
「もう春が着てるんだね。がんばって咲くんだぞ」
 薄い紫色の目立たないような品種の野生のスミレが枯れ草の間から顔を覗かせている姿に、アンリは
すっかりご機嫌になって歩き始める。
 少し喉が渇いた気がして森の中に入り込んで川を見つけると、川面に顔を近づける。
「あ、そういえば今日は顔をまだ洗ってなかった」
 そう言うやいなや、顔面まるごと水の中に浸ける。もちろん、同時に水も飲んでいる。
「ぷはぁ〜〜〜〜」
 数十秒水の中に顔を浸けていたアンリが顔を上げると、滴る水を犬のように首を振って払う。
 一応旅の知恵もあるらしいので、水筒を取り出して水を汲むが、どう考えても水の飲み方はなってい
ない。普通危険と隣り合わせの旅の最中は、川面に直接口をつけて水を飲むことはない。賊や野生の動
物に襲われたら即座に対処できないからだ。
 それをアンリは頭まで水に入っていたのだから、論外だ。

「この娘、よくいままで生きてこられたな」
 ザインの指令でアンリを追っていた部下は、呆気なく見つかったアンリを観察しながら呟いた。
 そして娘をみつけた旨を伝える手紙をつけた鳥を放つのであった。
     
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