第二章 運命に魅入られた娘



 顔がパリパリに乾いている。でも暖かい。
 半覚醒状態のうつらうつらした意識でそう思ったアンリは、幸せな心地でモゾモゾと体を動かすと寝
返りをうった。
 が、その鼻先を掠めた匂いが自分がいつも使っている毛布の匂いではないのに気付いてうっすらと目
をあけた。
 目に入ったのは、大好きなチューリップの刺繍入りの毛布ではなく、暖かく高価な織物ではあろうが、
可愛げも素っ気もないラクダ色の毛布。そこに自分のヨダレが作った濃い色の染みが浮んでいる。
 おっといけない……。お嫁入り前の娘がヨダレを垂らした間抜けな顔で寝ていては……。
 そう思いつつも、大口をあけて欠伸をするアンリ。
 そのアンリに声が掛けられる。
「どうやらぐっすり眠って体力は回復したらしいな」
 低いが安心感を与える穏かな男の声が背中から掛けられ、アンリはのっそりと後ろを振り返った。
 そこにはパチパチと音を立てて燃え盛る焚き火と、それに枝を折りながらくべている美丈夫な騎士さ
まが一人。
「はぅあ!」
 その顔を見た瞬間にアンリの脳裏に蘇る映像があった。自分があの腕に取り付いて、確か歯を立てて
いなかっただろうか。いや、だろうかではない。やった。だってかじりついたときの筋肉の弾力とか味
とか覚えてるし……。
 アンリはガバっと起き上がって土下座の体勢になる。
「あの、申し訳ありませんでした。助けていただいたのに齧ったりなんかして」
 だがその行動にびっくりして立ち上がった騎士がアンリの土下座をした体を抱き上げる。
 ぎゅっと筋肉質な胸に顔を押し当てる結果になったアンリが、一瞬の脳裏に戸惑いとときめきをない
交ぜにした感情を抱く。
 が、その後に続いたのはバシバシと背中のあたりを力いっぱいに叩かれる痛みだった。
「何をしているのです。せっかくの美しい髪が」
 耳元で騎士様が何かを慌てた声で叫んでいる。
 美しい髪? それってわたしのこの赤みがかった金髪のことかしら? たしかに北のオイノールには
白く肌や金髪は多いらしいけど、ここいらじゃ、ここまで色の薄い髪や肌は珍しいのかしらね。
 そんな呑気なことを考えていたアンリだったが、明らかに焦げ臭い匂いに顔をしかめた。
「あんなに勢いよく頭などを下げるから焚き火の中に髪が飛び込んでしまったではないか」
 火を叩き消してくれた騎士がアンリに焼け焦げてチリジリになっている髪を示す。
 あ、美しい髪が焦げて悪臭を放っている上によたってヘロヘロ。
 伸ばした指の下で脆く崩れる様子に、アンリはあららと呟く。
 だが盗賊稼業に美しさはそれほど必要ではない。まぁいいやと思うと騎士を見上げてニヘラと笑う。
「これまたお手数をおかけしてしまって申し訳ありません。なんとお礼を申し上げればいいのやら」
 再び頭を下げたアンリだったが、極至近距離にいたために騎士の分厚い胸板にオデコをぶち当ててイ
タタと叫ぶはめになる。
 そんな極度のうっかりもののアンリを見下ろし、騎士は苦笑を浮かべた。
「まぁ落ち着かれよ。血もだいぶ失っているのは確かだ。何をするにしても、資本は体だ。弱ったから
だで旅など続けていては、どんな危険に合うか分かったものではないからな」
 騎士はそう言ってアンリの手をとると火の側に座らせる。あまりにも危っかしい娘だと思ったのか、
老女を気遣うように火の側に座るまで手を添え、アンリの着衣が火に触れないかを注意してから焚き火
の反対側に座る。
 焚き火には騎士がどこかで手に入れてきたのだろう、肉が枝に刺さって焼かれていた。
 今さらにしてグーとなる腹に気付いたアンリがじっと肉を見つける。
 これを食べさせてもらえるのだろうか。目が真剣に願望を伝えていた。今にも口元からヨダレが流れ
出てきそうな勢いだった。
 それを見ていた騎士が、美しいがおかしな女を拾ったものだという目で見ながらも、憎めないその姿
に微笑みを浮かべた。
「もうすぐ焼けるからお待ちくだされ」
 食べたい願望に取り付かれて身を乗り出していたアンリは、それでも乙女の恥じらいを思い出してか
、身を引いて頷くとおとなしく膝を抱えた。
 すっかり陽が落ちて暗くなった森の一角で、空にむかって真っ赤に焼けた火の子が美しい舞いを見せ
ながら空へと登っていく。
 揺らめく火の影が騎士の顔を濃い陰影をつけて照らしていた。
 浅黒い肌の腕はほんの少し枝を折るだけの動作でもその筋肉の動きをあらわにしていて、美しい機能
美を見せていた。黒い髪は短く切られているが、少し硬そうだ。ヒゲがなく皺のない肌を見ると、纏っ
ている雰囲気は落ち着いて礼節をわきまえた紳士だが、まだ若いのかもしれない。今は地面に横たえら
れた大剣も業物で、身につけている衣服も騎士のそれらしい簡素だが丈夫で丁寧にあつらわれたものだ
った。
 火の向こうの騎士をしげしげと観察していたアンリだったが、目を合わせないままでクスリを笑われ
たのに気付いて目を上げた。
「わたしの姿が珍しいですか?」
 それにあまりに舐めるように見つめてしまったかと思ったアンリだったが、いいえと首を振る。
「あまり今までの人生でお会いすることがなかった素敵な男性だったので、眼福に目に焼き付けておこ
うかなって」
 その正直な物言いに、問い掛けた騎士の方が目を丸くしたが、今度は照れたように笑った。
「わたしなど眼福になどなりますかな? わたしの主人は美しい方ですが」
「騎士さまのご主人様?」
 さぞこの騎士を従者とするのだから高貴な人なのだろうと思ったアンリだったが、騎士がアンリを正
面から見つめられて問いの先を聞きそびれた。
「申し送れましたが、わたしの名はザイン」
「ザインさま。わたしはアンリです。トレジャーハンターしてます」
 胸を張って言うアンリだったが、トレジャーハンターはほとんど盗賊だと自己紹介するものだという
ことは分かっていないらしい。
「……トレジャーハンター……」
 そうだろうと思っていた騎士ザインは、目の前のお気楽そうな娘を心配そうに見つめた。
 見るからに騎士である自分は、トレジャーハンターたちを狩る側の立場の人間であると分かっている
様子はない。
「その仕事であの石を?」
 そう言われてアンリは目で指し示されたザインの背の茂みに横たわる赤い石を見た。
「あ」
 確かにあれは自分が探し当てたお宝の宝石だった。
 だが記憶にある限り、あれは氷のように透き通っていたはずだ。
「あれはヒル石とも呼ばれる吸血石生物だ。危険指定のされている半生物だ。それを知っておいでだっ
たか?」
 聞かれたアンリはプルンプルンと首を横に振る。
 それでもトレジャーハンターか?
 聞き返したいザインだったが、言っても仕方ない。よくこれで今まで誰にも捕えられなかったものだ
と感心さえしてしまう。というよりも、対した捕り物ができないからこそ、生き残っていたのだろうが。
「アンリ殿。トレジャーハンターには危険がつきもの。それも膨大な知識を掌握する必要もある。……
悪いが、とてもあなたに向いている仕事だとは思えないのだが……」
 アンリを思って言ったザインだったが、その言葉がアンリの叫びで途切れさせられる。
「あ、ああ!」
「どうされた?」
  尋ねるザインにアンリが焚き火の中の肉を指さす。
「焦げちゃう……ですよ?」
「………どうぞ」
 呑気すぎる上に、人の話を聞いていない。
 アンリは嬉しそうに「いただきまーす」と言ってザインに向かって手を合わせると、枝の一つを掴み
とる。
 そして大きな口をあけて齧りつくと「うまい!」と叫んでニコニコと笑う。
 それにつられて笑い返したザインだったが、胸のうちでは大きくため息をつくのであった。
 この娘、この後どうしたものかな。



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