第一章 鳥かごの中で牙を剥く、美しき姫


 姫の部屋からは盛大な泣き声が聞こえていた。 「クリステリア様、いかがされたのですか?」  あまりの勢いで部屋に飛び込み、それっきり閉じこもって泣き続けている姫に、侍女たちがドアの前 でオロオロと集まっては声を掛けているが、いっこうに返事もない上に、尚一層ヒステリックになる泣 き声に弱り果てていた。  そこへ現れたロクサーヌに、全ての目が救いを求めて注がれる。  それに手を上げて応えたロクサーヌは、侍女たちに取り囲まれながらドアの前に立つとノックをして 声を掛けた。 「姫様、ロクサーヌです。入りますよ」  そう声をかけたロクサーヌに対する返事はなかったが、ノブに手を掛けて回す。  が、押したドアはわずか数ミリのところでガタンと音を立てて止まってしまう。  どうやら姫がドアの前に障害物を積み上げて侵入を拒むバリケードを築いたらしい。  苛立たしげに力任せにドアを押したところで、どれだけのものを押し付けたのか、いっこうに動く様 子がない。  思わず側に侍女たちがいるのを忘れて舌打ちしそうになって、ロウサーヌはため息でそれを誤魔化す と、すぐ隣りにある侍女の期待が破られた失望顔に苦笑を浮かべて見せた。  いつもは非力でか弱い女の子を演じているくせに、どれだけのバカ力を発揮してバリケードを築いて くれたのかと呆れとともに、憤りが沸々とロクサーヌの中でわき上がっていた。 このロクサーヌを甘く見ていただいては困ります。  いったんドアを閉じたロクサーヌは、側にいる侍女たちにここで声を掛け続けるようにと言い置いて 城の外へと出て行く。  姫の部屋は四階にある。そのバルコニーの直下に立って、ロクサーヌは不敵に笑う。  このロクサーヌを締め出そうなどと百年は早いことを思い知らせてやりますわ。  そして側の木に取り付くとスルスルと登り始める。  あっという間に枝から枝へと足をかけ、二階のバルコニーの柵に飛び移ると今度は壁の細工飾りや縁 に手をかけ、宙吊りになろうが片手で体を支えなければならないだろうが、一瞬たりとも進むことを止 めずに姫の部屋目指して登り続ける。  途中庇の下に作られた鳥の巣から雛たちに物珍しいものを見るように怯えた目を向けられたが、そん なことには構っていられない。たとえ親鳥に突かれようとも!  そんなロクサーヌの努力あって、ものの数分でクリステリアの泣き声が聞こえる窓辺にたどり着き、 バルコニーの柵の中に転がり落ちる。  それまでは意地と闘争本能だけで一気に上り詰めていたので気付かなかったが、息はすでにゼェゼェ と喘息のように絶え絶え、汗を滴らせた額を手の甲で拭えば、どこでつけてきたのかくもの巣が顔に張 り付くような始末だった。  ここまでやったからには、なんとしてもあの我がまま姫をとっちめてやらなければ!  心に決めてレースのカーテンが揺れる窓辺に身を寄せると、益々大きく姫の泣き声が聞こえてくる。  なんともワザとらしい泣き声だ。かわいそうな自分を装って、悲劇のヒロインを演じて酔っておいで になるに違いない。  フンと心の中でつぶやき、怒りモードで部屋の中をのぞき込む。  そこには、さっき自分が入ろうとして締め出しを喰らったドアを封鎖している家具の数々が見える。 上に乗っていたものを叩き落した鏡台に姫お気に入りのソファーと机。  そのソファーに膝を抱えて座っているのが張本人のクリステリアその人だった。  よくも短時間であれだけのものを運んだものだと感心するが、同時にその姿に今まで怒り一色だった ロクサーヌの胸のうちに別の感情が湧き上がる。  ソファーに膝を抱えて座り、顔をうずめた姫は本気で泣いているようだった。  子どものように全身を小さく縮め、息も発作のように震わせながら、顔を真っ赤にして泣いているで はないか。  それがただの演技ではないことは、日頃から側に仕えているロクサーヌには分かった。  本気で悲しくて泣いているのだ。あの笑顔の底でいつも闘争本能を燃やしているような姫が。  だまし討ちのようにして部屋に侵入して叱ってやろうと思っていたロクサーヌは、毒気を抜かれた気 分でカーテンをそっと開けると、部屋の中に一歩足を踏み入れた。  その足音に気付いたクリステリアが顔をあげ、赤い目でロクサーヌを見ると怒鳴る。 「ロクサーヌも知ってたんでしょう! それで父上とわたしを騙すような計画立てて」  滝のように涙を頬に流しながら、ぎゅっと目をつむった癇癪を起こした子どもの顔で叫ぶクリステリ アに、ロクサーヌは何も言わずにその前に立った。  ひいいっくと息を震わせて顔を膝に押し付ける姫の前にしゃがみこみ、じっとこちらの言葉を聞く気 持ちになってくれるのを待つ。  それがロクサーヌのいつもの手であることは知っていても、クリステリアはやっぱり黙って見つめら れることに堪えられずにその顔を見てしまうのだ。  すると少し困った顔で微笑むロクサーヌを見つけてしまい、それ以上の雑言をいう気が削がれてしま うのだ。 「見合いの話」  それだけでビクっと震えたクリステリアの肩に気付きながら、ロクサーヌが姫の涙にぬれている手に 手を添える。 「わたくしも今日まで知らされていませんでした」 「ウソ」  膝に顔を埋めたまますぐさま言い返したクリステリアだったが、触れられた手を払いのけることはし なかった。 「本当です」  優しく言ってハンカチを取り出すと、涙でぬれた顔をそっと上げさせ、ほんの少し抵抗を見せる姫の 目をのぞきこんで笑いかけると拭ってやる。  体のなりは大きくなっても、泣き顔は昔のままだと思って腫れた目元を拭う。  そして手を差し伸べると、バリケードと化したソファーの上から姫を連れ出す。  自分で歩けばいいものを、甘えて抱っこをしてきたクリステリアの重さに苦闘しつつもベッドまで運 んで座らせる。  ズズズと鼻をすする姫にハンカチを差し出せば、遠慮もなく思いっきり洟をかまれてしまうが、ぎゅ っとそのハンカチを握って俯く姿にしょうがないかと小さくため息をつき、その前に膝をついて、泣き 虫の顔を見上げる。 「クリステリア様。お見合いは嫌ですか?」  その問いに、クリステリアが子どものようにコクンと頷く。 「素敵な王子様がその中にいらっしゃるかもしれないですよ」  それにはブンブンと首を横に振る。  そしてじっとロクサーヌの目を見つめると、甘える子どものように潤んだ瞳で言う。 「ロクサーヌお願い。お父様にお見合いは嫌だって言って」  言いながら涙を滲ませる姿は、いつもの悪戯者の本性を知っていてもグラリと心を動かされるくらい に可哀相だと思わせる姿だった。  その目に困った顔で微笑み返せば、フンと鼻を鳴らしてクリステリアが横を向く。 「どうしてお見合いが嫌なのですか? ロクサーヌにも想像ができませんが、まさかすでに心に決めた 殿方がいらっしゃるとか?」  その一言には、姫の方が面食らった顔で顔を赤くしてブンブンと音を立てて首を横に振る。 「わたしのどこに素敵な男性と知り合うチャンスがあるというのですか。そんなことはロクサーヌが一 番知っているでしょう」  半分怒りと照れが入り混じるクリステリアの言葉に、ロクサーヌもそうだろうと頷く。  姫を溺愛する王は、ダンスパーティーなどの際も姫に近づく男に目を光らせているし、当の姫自身が うまいこと接近できた王子の度肝を抜くような悪戯を仕掛けてくれたので、誰一人ロマンスを味わうこ とができなかったのだ。  そうなのだ。姫自身が恋愛事に積極的でない。意欲を燃やすのは日々の巧妙な悪戯のみ。一度などパ ーティーで姫を庭園の中までシャンパングラス片手に誘い出すことのできた騎士がいたのだが、なんと その騎士の叫び声に駆けつけたロクサーヌが見たのは、見事に尻にバラの枝を刺した姿だったのだ。  あの時のクリステリアの一瞬の爽快感いっぱいの笑みをロクサーヌは見逃さなかった。 『あの、急にお顔を近づけてこられたからびっくりして押してしまったの。そしたらそこにバラの枝が あって』  上目遣いでロクサーヌを見て、タンカーで運ばれていく騎士に申し訳なさそうに涙をみせたクリステ リアだったが、どこの世界の庭園に都合よく棘だけを残して葉っぱが一枚もついていない枝が都合よく 尻の高さに用意されているというのだ。準備したのも、ここに誘い込んだのも姫だということは疑いよ うがなかった。  そのくらいに姫はロマンスを求める気配がなかったのだ。  そこまで考えてロクサーヌはハッと顔を上げた。  ま、まさか。姫は男がダメなのでは!   そう思って見れば、自分の胸に甘えるように抱きついているクリステリアがいる。 「クリステリア様。まさかと思いますが、姫は男性よりも女性が好きなんていいませんよね」  その一言に、クリステリアの全身からボワっと音を立てたかのように怒りが噴き上がり、しまったと 思った次の瞬間にはハンカチではなく、ロクサーヌの服で鼻がかまれてしまう。 「なんて失礼なことを言うの! わたしはちゃんと殿方と恋をしたいのです!」  ロクサーヌの胸につけた鼻水と自分の鼻をつないだまま、自信満々に胸を張る姫に、ロクサーヌはば っちい鼻におそれをなして両手を広げたぶざまな格好のままで固まった。  クリステリアは自分の鼻だけをロクサーヌのハンカチで拭うと、それをロクサーヌに投げ返す。 「いいこと、ロクサーヌ。わたくしは一国の女王を継ぐものとしての勤めくらい分かっています。結婚 はします。子どもも産みます。でも、おしつけのバカな王子と結婚することは絶対にしません。わたく しと結婚できるのは、知恵と勇気と力を持った優秀な王子のみ。それから、わたくしに甘い甘いロマン スを味あわせてくれた王子。  この条件を満たした方だけとお会いします」  姫は絶対の宣告だというように、ベッドの上で仁王立ちしてロクサーヌを見下ろして言う。 「で、そんな完璧王子をどうやって見分けるのです?」  姫の投げ捨てたハンカチを拾い、胸の鼻水を拭いながらロクサーヌが言う。 「実力を見せていただくのよ」  新たな悪戯を思いついた、キラキラと輝く目でベッドの上から飛び降りたクリステリアが極上の笑み で振りかえると言う。 「ロクサーヌ、家出するわよ!」  
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