「葬送曲」



 ガタンゴトンと音を立てて揺れる電車が、みこはとても好きだった。
 所々にみえる黒こげに焼け落ちた家や、大きな荷物を担いだお母さんに
手を引かれた家族が車窓の向こうに見えては流れていく。
 戦争中の、一種あきらめに似た疲労感と、それでも生きていこうとする
昂揚感が入り混じった景色だった。
「ねえ、みこ。将来は何になりたいの?」
 みこの隣りに座るのは、同じ女学校に通う万里。黒い髪をおさげにした、
とても可愛らしい女の子だった。
 もんぺに大きな名前の入った着物を着ていても、万里ちゃんは可愛らし
い。
 みこは万里を見つめて、そう思った。
「みこはね。普通のお嫁さんになりたいな。勉強とか好きじゃないし、運
動も得意じゃないから。万里ちゃんは?」
「わたしね、学校の先生になりたいの」
「へえ〜。万里ちゃんは頭いいし、かけっこだって早いもん。きっと人気
者の先生になれるよ」
 みこの素直な賞賛に、万里は顔を赤くして笑った。
 二人並んで座った電車の座席。つないだ手が、みこには宝物だった。
 みんなと会える女学校。そして、その道中に使うこの電車。
 いつまでもこの時間が流れて欲しいとみこは思うのであった。


 手に手に箒や雑巾を持ち、掃除に赴く。
「ねえ、みこ。今日はあの秘密の場所通って帰らない?」
 長い木の廊下を雑巾がけで駆け抜けながら、万里が言った。
「秘密の?」
「ほら、あの場所」
 そう言って万里が指さした方向を見れば、音楽室とその中にあるピアノ
が目に入る。
 もうこの学校では長いこと音を奏でていないピアノ。
 ピアノの弦もお国のためと徴収され、音をたてることのできなくなった
ピアノ。
 でも、みこと万里はピアノの音を聞くことのできる場所を発見したのだ。
 原宿駅へと向かう裏道に、きれいな白い洋館が建っていて、その中から
いつもピアノの演奏の音が漏れていた。
「うん。いいよ」
 ぞうきんをバケツで濯ぎながら、みこは頷いた。
「あの曲きれいな曲だよね」
「うん。静かでちょっと悲しいかんじだよね」
「葬送曲っていうんだって」
「そうそうきょく?」
「亡くなった人をね、送る曲なんだって」
「……そうなんだ」
 戦争で亡くなった人たちを見送るために弾いているのか。
 みこの心に厳粛な、それでいて締め付けられるような悲しみが沸きあが
っていた。



 学校帰りの新宿駅までの道筋を、みこと万里、妙子の三人が並んで歩い
ていた。
「朝顔の花の中に生まれた朝顔姫は、ある男の子に恋をしたの。でも、朝
顔は朝早くにしかその花を開かないでしょ。だから、朝顔姫がその男の子
に会えるのはほんの一瞬。でもその一瞬が朝顔姫にはとても幸せな時間な
の」
 妙子はお話を作って話すのが上手だった。
「ねえ、その朝顔姫って、妙ちゃんのことでしょ」
 話を聞いていた万里が、空想の世界にうっとりした目をしていた妙に
言った。
「朝の電車の中で、妙ちゃんがある男の子に恋をした」
「ちょっと!!」
 とたんに顔を真っ赤にした妙に、みこと万里は顔を見合わせて笑った。
 そのときだった。
 鳴り響く空襲警報。
 空から降って来る爆撃機の超音波のような高い飛行音。
 周囲で上がる悲鳴と怒号。
「防空壕へ走れーーーー!!」
 数十メートル向こうの防空坊の入り口で、軍服を着たおじさんが叫んで
いた。
 三人は殺到する人一緒になって防空壕を目指して駆け出した。
 背後から迫ってくる爆撃機の音が、いつもに増して大きかった。
「ねえ、待って!!」
 走るのが苦手なみこが前を行く万里と妙に手をのばした。
 その瞬間。
 バリバリ、ダダダダダダ!!!
 耳朶をつんざく悪魔の音。
 みこは耳を覆いたかった。目もつぶってしまいたかった。
 目の前を走っていた人たちが、突然人形になったように弾けとんでいく。
 万里の体が飛び、妙の体から赤い煙が上がって倒れる。
 その上空を、爆撃機の腹が駆け抜けていった。



 呆然と立ち尽くしていたみこを助けてくれたのは、防空壕の入り口で
叫んでいたおじさんだった。
 防空壕の中に駆け込み、空襲が去るまで抱きかかえてくれていた。
 だがみこにそんな記憶はなかった。
 ずっと見開いた目に見えていたのは、さっきまで笑っていたはずの万
里と妙の倒れた姿だった。
 あれは万里ちゃんでも妙ちゃんなはずがない。
 そんな考えがずっと心の中をめぐっていた。
 だが、防空壕から出て見たのは、大人たちが銃弾に倒れた死体を担架
に乗せて運び去る姿だけだった。
「万里ちゃん、妙ちゃん。いるなら返事して」
 小さな声でつぶやいた。
 だがそれに答える声はなかった。
 みこの目に涙が浮び、流れ落ちた。止めることのできない滂沱の涙が。
 そのみこの耳に、ピアノの旋律が聞こえた気がした。
―― 葬送曲
 死者をおくる荼毘の曲。



 次の日から、万里と妙が、女学校に現れることはなかった。


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