チュンチュンとすずめの声をともなって明けている空を眺めながら、初日の出を見るには
遅すぎる時間に目覚める。
「う〜〜ん、新年かぁ」
 ぐしゃぐしゃになった髪を掻きながら、慎は起き上がって欠伸をする。
 窓の外は薄らと降った雪で白く覆われ、初詣にでも行くのだろう、赤い着物を着た女の子
が父親と手をつないで歩いていた。
 金髪頭にピアスがいたるところにつく今どきのバンドマンな慎だったが、古き良き日本の
風景に、微笑みを浮かべる。
「いいねぇ。正月はやっぱり家族で団欒ってのがいいんだよな」
 窓辺に立って飲み残しのコーラを片手に語った慎だったが、そういえばと自分の現状を思
い出し、思わず笑みを凍らせた。
「うぉ、さみぃ。心がさみぃ」
 階下から聞こえる音は皆無だった。
 そうなのだ。
 今慎の家族は、慎を残して家族旅行に行ってしまっているのだ。きっと今頃温泉とおいし
い料理にウハウハしているに違いない。
「全く汚ねぇよな。俺に貧乏くじ引かせるなんてよ」
 なぜに慎だけが温泉旅行に行けなかったのかといえば、ハチの世話をする人間が必要だっ
たからだ。
 雪が降った昨夜は寒いだろうということで、玄関に毛布を敷いてやったので、今もそこで
寝ていることだろう。
 ペットホテルに預けるという案もあったのだが、旅行の費用でもういっぱいいっぱいだと
大蔵大臣の母が断固主張し、誰か一人を人身御供にしようということになったのだ。
 そして家族による公平な勝負、じゃんけんで負けたのが慎だったのだ。
「別にいいし。うるせぇジジィもババァもいねぇ家で、一人のんびりと過ごしてやるし」
 寒く冷え切った家の中を、半纏を羽織って階下へと降りていく。
「ハチ、おはよう」
 玄関に通りかかると、ハチが尻尾を盛んに振りながら新年の挨拶を返してくれる。
「腹へっただろう。すぐに朝飯持ってきてやるからな」
 寒さに背中を丸めながら、ハチの頭を撫でてやると、ハチもペロリと慎の顔を舐める。
「俺も朝飯作って食わないとな」
 昨夜の年越しソバは、かなり虚しくカップめんだったし、冷蔵庫には出来合いのパック詰
めのお節料理があるにはあるが、そんな冷蔵庫で冷え冷えになったものを食べたら、もっと
心が寒くなってしまいそうだった。
 まずはハチのエサ皿にドックフードを山盛りにし、さらにお正月ということで、かまぼこ
を三切れサービスで入れてやる。
 それをハチの前に持って行けば、一心不乱に食べ始める。
「さぁ、俺はどうしようかな。正月の朝くらい温かいお雑煮とか食べたいのにな」
 冷蔵庫の中身を思い返しながらため息をつく。
 日本の良き姿、家族の絆はどこにいったのだぁ。なぁ、ハチよぉ。
 寂しくなって餌を食べるハチに抱きつけば、かなり迷惑そうな顔でエサを食べさせろと暴
れられる。
「なんだよ。ハチ。おまえまで俺を拒絶するのかぁ」
 恨み事を言ってみても、ハチはフンと鼻息荒く背を向けるばかり。
 本当に心の中に吹雪が吹き始めてますけど……。
 慎がそう嘆いた時だった。
 ピンポーン。
 一月一日の朝早くから、玄関の呼び鈴がなる。
 ん? 誰?
 来客の予定はないのにと思いながら、慎は寝ぐせだらけの半纏姿である自分を見下ろし
たが、こんなときに来る奴が悪いのだと責任を転嫁して、迷惑そうな顔でドアを開ける。
 と、そこに立っていたのは大きな風呂敷包みを抱えた絵美だった。
「慎ちゃん、あけおめ〜」
 えっと、おまえ七五三に行くところ?
 赤い着物で白い毛皮の襟巻をしているというのに、成人式よりも七五三に見えてしまうと
ころが悲しいところ。
 でも、それも慎にはかわいらしく見えるのだから、惚れた弱みというものか。
「ああ、あけおめ」
 そう返しつつ、花のかんざしを飾った頭を撫でてやる。
 それを嬉しそうに笑って受けた絵美が、風呂敷包みを持ち上げてみせる。
「あのね。慎ちゃんのためにお節料理作ってきたの。後ね、お雑煮の材料も持ってきたから
作ってあげるよ。お汁粉も作れるし、ハチ用のお節セットもあるの」
 随分と誇らしげに、褒めて褒めてとねだって振られる尻尾が見える気がする顔で、絵美が
慎を見上げる。
「絵美も新年そうそうがんばるねぇ」
「だって慎ちゃんのためだもん」
 絵美が満面の笑みを浮かべて言いきるのを見つめながら、家の中に招き入れる。
 代わりに持ってやった風呂敷が異常に重いのにびっくりしたが、これも絵美の俺への愛だ
と、一人感動に心で涙する。
 ああ、絵美。おまえって本当にかわいいよ。俺にメロメロなところが、もう食べちゃいた
いくらいにかわいい。
 本当は抱きしめて頬ずりしたいくらいの気分だったが、一応クールを装い、台所に絵美を
連れていく。
「ここが台所。なんか必要なものあったら、勝手に使っていいし」
「うん、ありがとう。じゃあ、慎ちゃんは居間ででもテレビ見て待っててね」
「わかった」
 慎は着物の上に白いエプロンをする絵美に、内心新妻という言葉を思い浮かべたが、口に
はせずに台所を後にする。
 なんか、本当に新婚さんって感じ?
 テーブルの上に、慣れないお手伝いをする夫という感じで、お節のお重と取り皿、そして
割りばしなんかを並べておく。
 台所からは、絵美がまな板で何かを切っている包丁の軽快な音が聞こえてくる。
 あんな七五三な女なくせに、なんだかお母さんを連想させてくれる。
 慎の母親はといえば、あまり料理上手ではないせいで、朝に味噌汁の香りで目覚めるなん
ていうありふれた幸せ風景を経験したことがなかった。朝はトーストと牛乳。うまくすれば
目玉焼きが付くくらいだ。
 近頃は、成人した姉が時々ソーセージを焼いたり卵焼きを作ったりしているが、それもあ
の母の娘なので味はいまいち。
 そのせいかなのかは分からないが、慎はずっと将来の夢と聞かれて、平凡な家庭を持てれ
ばそれで幸せなんて言ってる奴の気がしれなかった。
 夢ってのは、もっとビックなものだろう。自分の可能性を試して、世の中に自分を認めさ
せる。それが夢ってもんだろうと思っていたのだ。
 だから、今でも慎はミュージシャンとしてデビューすることを夢みているし、絶対に実現
してやると心に誓っていた。
 が、今はじめて、平凡な家庭を自分が築くことができるということの幸せを感じてしまっ
ていた。
 う〜ん。俺がいて、絵美がいて、そして二人の子どもがいたりして?
 つい慎の脳裏に妄想が走る。
『はーい、慎ちゃん。お雑煮だよ〜』
『ああ。うまそうだな』
 やっぱり着物で、でも少し大人チックに髪を結った絵美が、お盆に載せたお椀を差し出し、
やっぱり大人になって落ち着いた黒髪になった俺がそれを受け取る。
『パパにばっかずるい。僕のも、僕のも』
 そして俺の膝の上には、絵美そっくりの男の子がいる。やんちゃそうな気質は俺に似てて
……。
 そのとき。
「はーい、慎ちゃん。お雑煮できたよ」
 本物の絵美が、妄想そっくりのシチュエーションで、お盆に載せたお雑煮を持ってくる。
「ああ、うまそうだな」
 つい慎も自分が妄想で言ったのと同じ言葉を口にしてしまう。
 ということは、どこかからパパなんて言って現れる子どもがいたりして?
 思わずキョロキョロと辺りを見回してしまう慎を、絵美が首を傾げて見ている。
 その視線に気づいて恥ずかしくなった慎が、お雑煮の汁を啜りながら上目づかいで絵美を
睨む。
「何?」
「ううん。……あのね、慎ちゃんも半纏とか着るんだなって思って」
「そりゃ寒けりゃ着るさ。っていうか、家の中でまで窮屈な格好してられっか」
 フンと鼻を鳴らして自分の格好の酷さへの恥ずかしさを紛らわせた慎だったが、体の中に
入っていく暖かい汁と、鰹の出汁のおいしい味わいに、自然と笑顔になっていく。
「おいしい?」
 モチにかじりつく慎に、隣に座った絵美が尋ねる。
「ああ。うまい」
 それに心底嬉しそうな笑顔を見せ、絵美がお茶を入れてくれる。
「オモチは良く噛んで食べてね。のどにつっかえたりしないようにね」
「分かってるって」
 絵美がお重の蓋を開ければ、見事な彩りのお節料理が並んでいる。
「慎ちゃん、どれが食べたい? 絵美が取ってあげる」
 絵美の至れり尽くせりおもてなしに、思わずにんまりと笑ってしまう。
「俺、伊達巻好き」


 お茶を一気に飲みほし、ふぅ〜と満足の息をついた慎は、まったりと流れる時間に浸って
いた。
 テレビからは新年を迎えためでたい雰囲気が流れだし、寒い冬にあってぬくぬくと暖かい
家の中で、二人並んでおこたつに座り、お節やお餅を腹いっぱいに食べられる。
 なんて幸せなんだろうなぁ。
 朝の冷え冷えと隙間風が吹き荒れていた心が、今や春の暖かさで包まれていた。
 これも、こうやって絵美が来てくれたからだな。
 慎は炬燵の中で手を伸ばし、絵美の手を握る。
「ん?」
 手を握られた絵美が、不思議そうな顔で慎を見つめるが、恥ずかしがり屋の慎は素知らぬ
顔でテレビを眺め続ける。
 小さな手だった。
 でも、慎の気持ちを優しく覆ってくれる、大きな手だった。
「絵美、ありがとな」
 ちらっと横目で見ながら礼を言う。
 その顔に、絵美が満面の笑みを返す。
「うん」
 あの妄想が、将来現実になったとしても、それはそれですごく幸せなのかもしれないな、
俺。
 慎は隣の絵美の膝の上に頭を横たえながら、そんなことを思うのだった。


                                <了>

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