らぶりーデートになればいいな?

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〈絵美編〉
 こういうのを、きっと狼の吠え声で安全な柵の中から飛び出してしまった愚かな羊ってい うんだろうな。  絵美はドラキュラ城の巨大な居間の暖炉の中で身を縮こませて蹲っていた。  もうここがどこなのか分からない。  ただただ怖くて、黴臭くて、そこらじゅうでする軋む物音や風に心臓だけがビクビクと反 応する。  ああ、どうして慎ちゃんのところから離れちゃったんだろう。もう、どうやって戻ったら いいのかも分からないよぉ。  ちょっとでも動けば、どこからともなくドラキュラ伯爵が現れて、すでに真赤な血で濡れ る牙を見せながら追いかけてくる気がする。  というか、もうすぐそこに尖った黒い皮靴をはいた足が迫っていて、そっと絵美の首筋に 手を伸ばそうとしている気配がする気がする。  ヤダヤダ。もう耐えられないよぉ。早く慎ちゃん、助けに来てよぉ。  涙が流れて嗚咽が漏れそうになるが、その声もドラキュラに聞かれては慎ちゃんが助けに 来る前に襲われてしまうと、タオルで口を覆って耐える。  とそのとき、不意に今までの淀んで暑い空気とは違う、冷たい空気が絵美の頬を撫でた。  風の流れが変わっている。  ヤダ。誰かがこの部屋に入ってきてる。  ガチガチと震えて鳴る歯を必至に堪えながら、絵美はぎゅっと目を瞑った。  慣れないゆっくりな足取りで辺りをはばかる様に、足音が絵美のいる暖炉の方へと近づい てくる。  ガチャンと音を立て、テーブルの上の蜀台が倒れる。 「うあ、壊しちゃったかな?」  その聞き覚えのある声に目を開けた絵美は、そっと暖炉の中から顔を覗かせた。 「おーーーい、絵美。ここにいるか? 俺だぞ。ドラキュラじゃないぞ。いたら返事しろ」  手に何故か蝋燭の明かり、そして黒いマントをはおった慎ちゃんが部屋の中を見回してい る。  な、なんで慎ちゃん、黒いマントなんてしてるの?  絵美は蝋燭の明かりを下から受けて、濃厚な陰影を顔にまとった慎の顔を震える息をこら えながら凝視した。  き、牙は生えてない……。けど、マントに下になっている首筋には、もしかしてすでにド ラキュラに血を吸われた痕が隠されているんじゃないの? そんな、ドラキュラに血を吸わ れたら、その人もドラキュラになっちゃうって言うじゃんかぁ。………そしたら慎ちゃんは。  ううっと、今までとは違う泣き声が絵美の口からもれた。  し、慎ちゃんが人間じゃなくなっちゃった。……これも絵美のせいだぁ。絵美が勝手にド ラキュラ城に入り込んだから、慎ちゃん、どっかでドラキュラ伯爵と闘って、でも負けちゃ って。でも、それでも絵美は慎ちゃんのこと大好きだから、慎ちゃんに絵美の血も吸っても らって。………でも痛いのヤダぁ!!  そんな葛藤をする絵美に、闇に目をこらした慎が気付く。 「あ、絵美。そんなところに」  慎が途端に笑みを浮かべて駆け寄ってくる。  うあ、ドラキュラになっちゃった慎ちゃんが近づいてくる。  怖がってはいけないと思いながらも、暖炉の中で後退さる絵美に、慎が一瞬キョトンとし た顔をしたが、すぐに気づいて絵美の目線でしゃがみ込む。 「俺だって、分かってる? おまえの愛しの慎ちゃん。探しに来たぞ」  声はいつもの慎ちゃんだ。  絵美は恐る恐る笑顔を浮かべて頷くと、じっと慎の黒いマントを眺めた。  新人ドラキュラだっていうのに、結構汚れてボロイマントだった。 「絵美のためにドラキュラ伯爵と闘ってくれたの? それでドラキュラにされちゃったの?」  涙声で問いかければ、再び目を点にした慎が「ああ」と頷いてマントを止めていた首の リボンを解く。 「やられてねぇよ。ほら」  グッと開いて見せてくれた慎の首筋に、ドラキュラ伯爵の牙の痕はなかった。 「だったら慎ちゃんは、ちゃんと今も人間?」 「うん。人間。絵美の血を飲んだりしないって」  少しあきれ顔で笑っている慎に、絵美は「ええっぐ」と泣きしゃっくりを上げると抱きつ いた。 「うわーーーーーん。怖かったよぉ。絵美、ドラキュラ伯爵に襲われちゃうと思って、すっ ごく怖かったよぉぉぉぉ」  ママに甘える子供のように抱きついて胸で泣く絵美に、慎はよしよしと頭を撫でてやる。 「大丈夫。ちゃんと俺が迎えに来ただろう。いつだって絵美を守ってやるから。な?」  本当に絵美のために、どこからでも助けに来てくれる王子様のような優しい慎の言葉に、 絵美が涙声で震えながら「うん」と頷く。  が、次の瞬間、慎の鼓膜を直撃で凄まじい悲鳴を上げる。 「し、慎ちゃん、ドラキュラ伯爵がぁぁぁぁぁぁ!!!」  その強烈な恐怖を孕んだ悲鳴に、ともに一瞬のパニックへと引きずられた慎は、振り返る と同時に思わず拳を振るってしまった。  その拳に吹っ飛ばされ、伯爵邸の巨大ダイニングテーブルの足に頭をぶつけ、白目を剥い て倒れた、真のドラキュラ伯爵。  その頭から、オイルてらてらのオールバックカツラが落ち、バーコード禿のおじさん頭が 現れる。  白塗り、派手派手メイク。ドラキュラのゴシックなフォーマルウエアに黒いマント。でも 頭は汗を浮かべたバーコード。 「あ、やべ」  拳を握ったままに慎が言う。  その横で悲鳴を上げた口のまま、声だけを途切れさせた絵美がはげ頭のドラキュラ伯爵を 見降ろす。 「え? この人がドラキュラ伯爵?」  急に現実に立ち戻ったらしい絵美が、失神しているドラキュラ伯爵に近づく。  その半開きの口から、尖った犬歯を偽装した入れ歯が垂れ下がっていた。
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