「鳴り響く鈴の音は」


「お願い、別れるなんて言わないで!」
 涙の叫びで追いすがる女に、貴志はうんざりした目を向けた。
「・・・泣かれても、俺の気持ちは変わらないから。もう、おまえとはやってけない」
 女の悲しみの表情が、怒りの顔へと一変する。
「新しい女がいるんでしょ! 今もいるの?」
 マスカラを隈のように目のまわりにまとった鬼の形相で、アパートの中に入ろう
とする。
「おまえのそういうところが、もうついていけないんだよ!」
 貴志は女の肩を掴むと、ドアの外にドンと押した。
 その拍子に、女の手から、転がり落ちたものがあった。
 チリンチリンと澄んだ甲高い音を立てて落ちたのは、黄色に塗られた鈴だった。
 そのあまりに今の雰囲気と相容れない澄んだ音に、貴志の動きも女の動きも止ま
った。
 だが、貴志はそのままアパートのドアを閉めた。
 あの鈴は、はじめて一緒に旅行に行った時に買ったものだった。
「あの頃は、あんなに疑り深い女じゃなかったのにな」
 女が帰ったあと、何をするでもなく床に座り込んでいた貴志がつぶやいた。
 時間はあれから3時間経っていた。
 精神的ショックをよそに、腹はグーと音を立てる。
「……しょうがねえ、コンビニでも行くか」



 コンビニの店員の元気のいい「ありがとうございました」を背に家路につく。
 田舎の夜道は、所々にある街灯だけで、家の窓からかすかに漏れる明かりしかな
かった。
 静かでのんびりしている土地だが、それだけに夜はしんみりとした寂しさがあっ
た。
 明るい月に、影が濃くなる。
 そのときだった。耳についた音があった。
 チリンチリン。
 鈴の音。
 貴志は後ろを振り返った。
 だが誰もいない。あとに続く道に人の気配はない。
「気のせいか」
 無理に声を出して沸いてくる恐怖をぬぐうと、貴志は歩き出した。
 だが、やはり聞こえるチリンチリン。
 こころもち、音は近くなる。
 あの竹やぶの中から聞こえる気もする。
 あいつか? それとも。
 鈴の音が背後にせまる。
 その瞬間、貴志が見たのは、自分の横を通しすぎていく犬の姿だった。
「……なんだよ!! 犬かよ。 犬に普通鈴なんてつけるか?!」
 一気に緩んだ緊張に、貴志は思わず笑い声を上げた。



 犬は角を曲がると、電柱の影に身を潜めていた人に、尻尾を振って喜んだ。
「よくやったわね」
 そこには、黒い涙を流した痕を残したままの女が立っていた。
「苦しめてやるからね。……ふ、ふ、ふ」




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