「銀色の一瞬の宝石」


 キラリと光る。
 銀色の雫が大きく成長し、ポタリと顔の上に落ちる。
 目にかかった涙の膜の向こうに見えるのは、わたしの上で揺れ動くあなたの首と汗に
濡れた襟足。
 その首に腕をまわしているだけで、大きな愛情が体の中で溢れ、泣きそうになる。歓
びで。
 でも……。



 目が開く。
 だがそこにあったのは、愛しい彼の姿ではなく無機質な白い天井だった。
 小さくため息を漏らす。だがその息さえか細く、消え行くろうそくの僅かな抵抗の光
にも似た危うさを秘めていた。
「どうした?」
 真夜中だというのにそのため息を聞きつけ、隣りに寝ていた彼が顔を覗かせる。
 そこにあるのは、生きる気力と輝きに溢れていた表情ではなかった。心配することに
精神すり減らした、疲れた顔だった。
 わたしは口元だけに笑みをのせる。
「ごめんね」
「何が?」
「わたしがこんなんで」
「馬鹿いうな。俺は喜んでるんだ。俺の側にいることを選んでくれたことを。最期まで
一緒にいられることを」
 彼は最期という言葉を苦しげに呟いた。
 そう、わたしは死につつある体だった。
 痛みと戦い、意識が朦朧とする時期を越え、神様の最後のプレゼントともいうべき安
定期に入ったのだ。だが、本当にこれが最後。次に悪化したときには、もうこの人の顔
を網膜に映す事もできないのだ。
 病院で苦しみながら死ぬことよりも、わたしは消えてしまうのかも知れないけれど、
大切な思い出という記憶をたくさん自分の中に刻むチャンスを選んだ。
 そして彼は、そんなわたしが側にいることを許してくれた。
 いつ何が起こるのか分からず、精神的にも不安定になるわたしを支え、たくさんの時
間と愛情をわたしに注いでくれた。
 目を瞑れば今までの思い出がたくさん溢れてくる。
「わたしね」
「ん?」
 隣りで横になった彼の声を聞きながら、初めての告白をする。
「ずっと好きだったけど秘密にしていたことがあるんだ」
「何?」
「あのね、わたしずっと大好きだった光景があるんだ。銀色の一瞬の宝石」
「……? 俺、詩人じゃないから、そんなこと言われてもわからんけど」
「……あなたの汗。わたしを抱いてるときに、襟足から零れる汗が本当にキレイだっ
た」
 言いながら、照れよりもなぜか胸を締め付ける悲しみで涙が零れた。
 嗚咽だけは漏らすまいと唇をかみしめ、両手で顔を覆う。
「ごめんね。わたしはもう、あなたに貰うばかりで、なにもあげられない」
 顔を覆う手はすでに柔らかさを失い、骨と皮ばかりで、それが目に入るだけでも自
分を打ちのめした。
 どうして、わたしにこんな病気が降りかかったの? どうしてもっとこの人と一緒に
いる時間を与えてくれないの? どうしてわたしは死なないとならないの?
 ただただ冷たく苦い毒ばかりを吐き出すわたしの体を、彼は温かい腕で抱きしめた。
「俺は十分おまえに大切なものをもらったって。この時を一緒に過ごせるのも、おま
えが俺のために選んでくれたプレゼントだろ?」
 わたしの顔を覆った手を彼が下ろさせると、泣き顔のわたしを見て微笑んだ。
 そして頬に零れた涙を啄ばむようにキスをした。
「俺はおまえの涙が好き。テレビの子どものおつかい見て泣いてる姿は何度もキュンと
させてもらった」
 おもしろいことを思い出したように笑う彼に、「ヤダ」と笑い返す。
 唇に感じる彼の柔らかさと温かさ。
「ずっとわたしを好きでいて……なんて言わない。でも、時々は思い返してね」
 ほんの数ミリの距離で言われた言葉に、彼の体が強張る。
「言うな」
 窒息しそうなほどに強く抱きしめてくる彼に、でも言わなければならない。
 もうそのときが迫っているのが分かっているから。
「あなたは本当に世界中で一番ステキな人。だからずっと悲しみ続けたりしないで。
わたしは十分愛してもらったから、あなたのステキさを埋もれさせないでね」
「俺はずっとおまえだけを好きでいる」
 彼の声が震えていた。
「ありがとう」
 顔を上げた彼の顔から、涙がキラリとひかり零れた。
 その涙がわたしの頬を叩く。
「また見れた」
 わたしは彼の頬に手を伸ばし、涙を指ですくった。
「銀色の宝石」
 世界で一番キレイな宝石をありがとう。
 そっと目を閉じる。
 きっと、もう見ることはないだろう。
 息が間遠になっていく。
 感覚も薄れ、意識がかすみの彼方へと漂いだす。
 でも、いいの。指先に、目の裏に、彼の存在を感じられるから。
 だがら、最後にもう一度、ありがとう。
 そして、さようなら。




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