エピソード 6    永遠の別れ


「ワクチンができたみたいだぞ!」
 その一声に、精神的疲労の只中にいた研究員たちの陰鬱だった顔が、にわかに活気づく。
「本当に?」
「これでこの地獄からも解放か!」
 口々に言い合い、手を取り合って喜び合う。
 感染への恐れ、感染した後の恐ろしい病状への畏怖、軍隊に取り囲まれた重圧。
 その全てからの解放が、研究員たちの心を、羽が与えたられたかのように軽くする。
 その浮かれた研究員たちの間を、一人の男が歩いていた。
 その一見して部外者と分かる男の異様さに、笑いあって手を取り合っていた研究員たちが、次第に声
を落としていく。
 無表情の顔に、声もなく涙を流す。
 そしてその腕に子どものように体を丸めて抱かれているのが、ローズマリーだった。
 今まで見たこともないほど平安な笑みに縁取られた顔で、男の胸に頭を預けていた。
 穏かな眠り。
 いや、穏か過ぎる沈黙の眠り。
 ローズマリーの片腕が男の腕の中から落ちる。
 まるで人形のように力なく揺れる様子が、研究員たちにローズマリーの現状を痛いほどに教えていた。
 揺れる左の手の平には、痛々しい突き通された傷があった。
 男がローズマリーを個室の中へと連れて行く。
 ガラス張りの壁ゆえに、皆の衆目に晒されながら、男がローズマリーをソファーに横たえる。そして
その両手を胸の上で組ませた。
 跪きじっとローズマリーを見つめる男の背中が、いつしか震えだしていた。
 ローズマリーの組まれた手に自分の手を重ね、額を当てて泣き声を殺す。
 その男の手は紫色に変色して変形し、固まった血で覆われていた。
 男、フェイは顔を上げると、ローズマリーの顔を愛しそうにゆっくりと撫でる。
「よく……がんばったな……」
 フェイは何度も呟きながら、ローズマリーの顔を撫でる。
 その手の下のローズマリーの顔は、満足感に満ちた幸せな笑みを浮かべていた。




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