エピソード  3



  
 揺れる橋を渡り、今しがたまで自分たちの命を運んでくれていた橋に火を放つ。
 その火に呑まれて殺人鬼と化した村人が火達磨になり、橋から深い川底へと落ちていく。
 その断末魔と燃えさかる炎の音に意識がかき乱される。
 ジュリは呆然と立つアリッサの手を引いて走りだした。
 炎に照られて美しく浮かび上がるのは、真っ赤な花を咲き乱れさせた花畑。
 その花畑の中にも、狂ったようにその花に食いつく村人の姿があった。
 だが花を食べることに陶酔しきり、燃える橋にも走る二人にも意識を向けるものはなかった。
「井戸はどこにあるの?」
 猛る風の音に負けないようにジュリが叫ぶ。
「畑のために引いた井戸は4箇所あるの。でも枯れてるのは、昔の井戸だと思う」
 アリッサがジュリの手を引いて走り出す。
 足を引きずりながらも、ジュリは必死に走った。
 そうしながら、花畑を見渡した。
 乱れ飛ぶ火の粉とともに、無数の蝶が舞っていた。
 これが幻覚だというのなら、禍々しいまでに美しい幻覚だった。
 赤い火の粉と共に舞う蝶は闇の中でも浮かび上がるような漆黒の蝶だった。
 その蝶が集まっている場所が何箇所かあった。
 緑色に塗られて目立たなくされているが、明らかに畑には異質なタンクが至るところに置かれていた。
 しかも夜目にわずかに見える限りで、そのタンクが導線で繋がれている様子だった。
「ジュリ、ここ」
 アリッサが示した井戸は、たしかに古ぼけて草と苔で覆われていた。
 ジュリは転がっていた大きめの石を井戸の中に落とす。
 しばらくして返ってきた音は、乾いた地面を打つ音だった。
「枯れ井戸ね」
 ビンゴだ。
 だがどうやってこの中に降りるというのだ。
 ジュリは井戸の周りを覆う草を掻き分けた。
 絶対に何かがあるはずだ。地下へと降りるためのヒントが。
 そうしているうちに、不自然に腐葉土が積み上げられている囲いを見つけた。
 腐葉土特有のすえた匂いはするのだが、にじみ出たよう腐汁がない。
「アリッサ。これは前からずっとあるものなの?」
「わからない。でも、見覚えがない気もする」
 人は匂いや形で本能的に忌避するものがある。
 腐ったもの。排泄物。
 当たり前すぎて意識せずに、目をそむけてしまうもの。
 ジュリは腐葉土の堆積した囲いの裏に回ると、調べ出した。
 ベニアの安く脆いつくりの板の上に指を這わせる。
 虫がともにその板の上を蠢いていた。
 黒い甲殻を波打たせて這って行く。
 その姿を目で追っていく。
 そして不意にその姿が消えた地点に手を掛けた。
 まわりのベニアの板と見た目は変わらないが、手を触れれば一枚板ではない継ぎ目が指の先に感じら
れる。虫が消えた地点に指をやれば、僅かな隙間が爪先にあたる。
 板を外す。
 その下から出てきたのは、農地には相応しくない、無機質な操作盤だった。
 その操作盤に並んでいるテンキーとクリスタルの差込口を眺める。
 ジュリはポケットから先ほどの日記帳から破いてきたページを取り出した。
 これを入力してクリスタルの照合さえできれば、おそらくワクチンと生存者がいる研究棟に入ること
ができる。
 その先にまだ危険があるのか、それとも安全が約束されているのかは分からない。
 それでも、この狂った前時代的な村から抜け出せるなら、それだけで嬉しかった。
「アリッサ。クリスタルを持ってきて」
 手招きして呼び寄せるジュリに、アリッサが歩み寄って首からクリスタルを外した。
 そのクリスタルを操作盤に差しこみ、暗証コードを打ち込んでいく。
 そして最後のキーを入れた瞬間。ゴトンという機械が動き出す音と地面が揺れる振動が起こった。
 怯えるアリッサを抱き寄せながら、何が起こるのかを注意深く見守る。
 腐葉土を入れていた囲いが回転を始めていた。
 数十センチ上昇して止まると、右へと旋回を始める。
 そしてその下から、地下へと下る階段が現れる。
 黒々とした口をあけたコンクリートの階段を見下ろし、ジュリは下から吹き上げてくる冷たい風を感
じていた。
「行くよ」
 足元から這い上がる冷気を身に纏いながら、ジュリとアリッサは地下への階段を下りていった。



 アリッサの手を引いて、階段を下りていく。
 懐中電灯を灯し、ゆっくりと周囲の様子を伺いながら歩いていく。
 湿気ったカビの匂いと地下ゆえの冷えた空気が肌を撫でていく。
 聞こえるのは自分たちの反響する足音と、息を吐く音。
 階段を降り切ったところで、ドアを開ける。
 拳銃を構えて入った先は、管理室のような様相を呈したモニターとコンソールが並ぶ部屋だった。
 だが人がいる形跡はなく、すでに人が途絶えて何日かが経った退廃した空気が漂っていた。
「ここは何なんだ?」
 死んだ男のメモには研究セクトとあったはずだが。
「これ何?」
 アリッサがコンソールの一部を指さしていた。
 そこには赤いランプが点滅していた。
 近づいて見たジュリは、カウントダウンを続けているそれを見た。
 爆発までのカウントダウン。
「爆弾?」
 カウントダウンの残り時間は僅か5分を切っていた。
 ジュリは背後の机の上に広げられた地図を見やった。
 そこに記されている研究棟の地図と村との相関図の中で、赤いバツ印を数えていく。
「あの畑にあったタンク。あれは全部爆弾だったのよ。ここで起こったことの証拠を隠滅する気よ」
 何か大きな悪意の坩堝の中にいる自覚の中で、ジュリは戦慄を覚えた。
 最初は、ただ単なる連絡の途絶えた村の偵察のはずだった。
 それがどうだ。ここにあったのは地獄絵図だった。
 人々は麻薬の栽培を始めて、その麻薬の悪魔に自らとり憑かれてしまったのだ。自らを傷つけ死んで
いく幻覚。その果てに人を襲う殺人鬼となり、狂ったように花を喰らう。
 だがこの全てが自然発生的に起こったことではありえないのだ。
 誰かが意図してこれを起こし、実験の終わりに全てをキレイさっぱりと片付けてしまおうとしている。 
 ジュリは必死に地図に目を走らせ、逃げ道を探った。
 真上に仕掛けられた爆弾がどれほどの威力かは分からない。
 だがより遠くに逃げることだけが生存の確率が上がる。
「アリッサ。逃げるよ。できるだけ遠くに」
 恐怖心と死んでたまるかという闘争心が湧きあがる。
 ジュリは隣に立つアリッサの手を取ろうとした。
 だがその手にあるつめが、不意にジュリの顔に向かって伸ばされた。
 辛うじて避けるが、頬を掠めた爪に痛みとともに血が噴出す。
 体を床に転がしながら、アリッサの顔を見上げた。
 そこにあったのは、さっきまでの可愛らしい女の子の顔ではなかった。
 大きく裂けた口から尖った牙を覗かせる、血走った目の少女だった。
 異常に伸びた爪は刃物のように尖り、ジュリを威嚇するように掲げられる。
「ジュリ、どうしたの?」
 その化け物と化したアリッサが喋る。
 ジュリは後退りしながら、走馬灯のように脳裏をよぎっていく言葉を反復していた。
 デニスのその子どもを殺せという言葉。
 そしてアリッサの母親の怖いことにあったら、目を閉じて楽しいことを考えるようにという言葉。
 ジュリはゆっくりと近づいてくるアリッサを見上げてつばを飲み込んだ。
 どっちが正解なのかわからなかった。
 これは幻覚なのか? それとも化け物が現実に目の前に現れたのか?
 現に自分の頬は今あの爪に切り裂かれて血を流しているではないか。
 でも、今までもどこにも化け物はいなかった。
 むしろ化け物のような大きな意思を感じただけだ。
 村人など、ただの実験の使い捨ての道具として抹殺しようとしている、大きな悪意を。
「ジュリ?」
 化け物の上げる咆哮のような息の合間に聞こえるアリッサの声に、ジュリは目を閉じた。
 閉じた目の中にあるのは、かわいらしい金髪をした女の子の姿だった。
 汚れた白いパジャマを纏っただけの幼い女の子。きっと着飾らせることができれば、どんなに美しく
なることだろう。
 リボンをつけて、ワンピースを着せて一緒に街に買い物に連れて行ってあげたい。
 ジュリは心の底からそう思った。
「アリッサ、おいで」
 目を閉じたまま、ジュリは両手を開いた。
 すぐ側に立っている気配のあるアリッサから戸惑う気配が漂う。
「何もしないよ。ほら」
 ジュリは身につけていた銃とナイフを遠くに投げ捨てた。
「今、すぐにあなたを抱きしめさせて」
 投げ出した自分の足を跨ぐ子どもの足の気配。
 そして首の回される細い腕。
 まぶたの裏に再生されそうな長い爪を押しやり、柔らかい白い手を思い描く。
 その手が、ジュリの後ろ髪を掴み、首筋に顔を埋めてくる。
 ジュリはアリッサの髪を撫でた。
 柔らかくて日向の匂いがする髪だった。
 そっと目をあける、そこにいるのは、化け物ではなく、ただ事件に巻き込まれて震えている小さな子
どもに過ぎなかった。
「こんな病気に負けて溜まるか」
 ジュリはアリッサを抱えて走り出した。
 ドアを蹴破り、階段を下り、走り続けた。
 人の消えた研究所の中を、転がる試験管やビーカーを踏み潰して、かなぐり落としながら。
 爆弾のカウントダウンが0になるその時まで。
 頭上ですざまじい爆音が鳴り響き、研究棟が激しく揺れた。
 明かりが明滅して、闇に落ちる。
 崩れる天井と舞い上がる土埃。
「アリッサ!!」
 腕の中に小さな命を感じながら、ジュリは動けずに蹲った。
 その上を覆っていく崩れた壁に天井。土砂に鉄筋。
 ジュリとアリッサの姿はあっという間に消えていった。



「おい! 生存者!!」
 耳に届いた声に目をあけたジュリを、明るい太陽の光が照らしていた。
 腕を掴まれ、引きずり出されながら、ジュリは痛みにうめいた。
「怪我をしているぞ、救護班、早く!」
 男たちがジュリを抱えて走り出す。
「アリッサ」
 ジュリは声を上げると、男たちの足を止めさせた。
「アリッサがいる。一緒に逃げてきた女の子が」
 ジュリの声に、男たちが捜索を始める。
「おい、女の子がいるそうだ。捜せ」
 ジュリを担架にのせたレスキュー隊が、もう大丈夫とジュリの手を握る。
「よく生きていましたね。合衆国の空軍が謝って爆弾を投下してしまった村にいたのに」
「誤爆?」
 ジュリは掠れる声で聞き返した。
「ええ。村は残念ながら全滅。生存者がいるとは、思っていませんでした」
「女の子は見当たりません」
「もっとよく捜せ!」
 その応酬を聞きながら、ジュリはあまりに夜明けまでが長かった一晩を思った。
 まるで悪夢に呑まれていたようだ。
 でもこれは夢ではないのだ。現実に自分を、そして世界を襲った出来事なのだ。
「女の子の名前は?」
 レスキュー隊の呼びかけに、ジュリが答える。
「アリッサ」
 名簿を見ながら、救急隊員が指で名前をたどって行く。
「そんな名前はない。村人の出生届の中にアリッサという名前はないが」
「……そんな。でも一緒にいて、最後までわたしが抱きしめて」
 だが、レスキュー隊員は、首を横に振るだけだった。
 まさか、アリッサ自体が幻覚だったとでもいうのか?
 呆然とするアリッサの腕に青く発光するクスリが注射される。
「これは?」
 ジュリの問いに、マスクを目深にした男が目も上げずにいった。
「生き残りたければ、見たことを誰にも喋るな。そして、俺たちのために働け」
「拒否権は?」
 ジュリは打ちのめされた気分で空を見上げた。
 その顔を、男が見下ろしていた。
「賢い選択ではないがな」
 男が立ち去っていく。
 騒然とした煙の立ち上る空を、大きな鳥が舞っていた。
 事の真相は闇の中。
 でもいつか暴いて見せる。
 そしていつか、アリッサをもう一度、この手に取り戻してみせる。



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