エピソード  3


ゲーム「裁きの天秤」 DEAD OR ALIVE
  
 ジュリもアリッサも、頭から浴びた返り血で濡れていた。
 井戸の中から見つけた鍵を手に、村長の家に入ったまではよかった。
 だがそこでデニスが発狂した。
 家の中に入ってすぐに、悲鳴を上げたのだ。
「怪物が!! おい、ジュリ、逃げろ。ここは化け物の巣だったんだ」
 ジュリにもアリッサにも見えない怪物に向かって、デニスはライフルを構え、発砲した。
 その散弾に、ドアが弾け、机が砕かれ、食器棚が悲鳴に似た破砕音を立てて崩れ去った。
「くそ! こいつら死なねえ。どうなってやがる」
 ジュリはアリッサを抱えて銃口の先から逃げ回るしかなかった。
「デニス! しっかりしろ。化け物なんてどこにもいない」
 だがどんなに叫んでも、デニスにジュリの声は届かなかった。
 ライフルの弾を撃ちつくし、どんなに引き金を引いてもカチンという音以外にしなくなると、デニス
は後退りながら悲鳴を上げた。
「ああ、止めてくれ〜。来るな!! ぎゃぁぁぁぁ!!」
 絶叫を上げてデニスが頭を腕で庇った。
 デニスの目の前には何もいない。
 だが頭を庇って掲げた腕が、喰いちぎられたように弾けて血を吹きだした。
「やめろ! 俺を食うんじゃない! 」
 絶叫の中で、デニスが腰から手榴弾をとった。
「デニス!!」
 ジュリはアリッサを抱え上げると、デニスが弾き飛ばしたとドアの向こうへと走った。
 デニスが咥えたピンを引き抜く。
「これでも喰らえ!!」
 デニスが手榴弾のレバーから手を離した。
 ジュリはアリッサごと隣の部屋のベットの向こうに飛び込んだ。
 直後に起こった爆発で、視界が白く染まる。
 頭を抱えて一瞬の爆風を過ぎ行かせる。
「ジュリ!」
 叫ばれ上げた顔に、強烈な痛みがジュリを襲った。
 ふくらはぎを、砕けた木の破片が貫いていた。
 痛みよりも、見た目の凄惨さに息を飲んだ。
 同時に、デニスのうめき声が聞こえた。
「……死ななかったのか……」
 だがその事実はもう嬉しくもなかった。
 生きていたとしても、連れて行く余裕はもうなかった。大体において、心臓が動いているだけで、も
うまともに人間の形をしているかはわからない。
 ジュリは恐怖に引きつった蒼白な顔のアリッサの頬を撫でると、言った。
「アリッサ。ちょっと手伝って」
「うん」
「ベットのシーツを剥いでくれる?」
「わかった」
 アリッサは埃に覆われてしまった白いシーツをベットから剥ぐと、ジュリの側に引いて行った。
 ジュリはそのシーツを腰のサバイバルナイフで裂くと、折りたたんで膝の上で縛った。
「何するの?」
 アリッサがジュリの動きを目で追いながら、半分は分かっている答えに声を震わせた。
「この木を抜く。わたしが抜くから、アリッサは残りのシーツで上から体重をかけて止血して。5分よ。
絶対にその間はどんなに血が出ようが、押さえ続けて]
「……」
 引きつった口元でジュリを懇願するように見たアリッサだったが、ジュリの冷や汗の浮いた顔にシー
ツを両手に抱えて頷いた。
 ジュリは砕けた木の破片に手をかけた。
 ギザギザに砕けている木の上に蝋を流して少しでもトゲが内部に残らないように細工する。
 それでも子どもの手首ほどの木の破片は、握るだけで力が萎えそうなほどしっかりと肉の中に埋没し
ていた。
 蝋が乾いたのを確認し、ジュリがアリッサに目を向けて頷いた。
「いくよ」
 ジュリは深く息を吐くと、息を止めた。
 引き抜く右腕に力を込める。
 肉を穿っていた木の棒が、ずずずと音を立てて動き出す。
「ぐぅぅぅ、ああぁっぁ」
 どこかまだ麻痺して鈍いが、底から突き上げてくるような痛みが足先から脳天へと突き抜ける。
 額から途端に汗が噴出す。
 半分ほどを抜いたところで、棒から手を離し、荒い息をついた。
「ジュリ!」
 喘鳴のような息をつくジュリの足を、アリッサが摩った。
「がんばって。ジュリ」
 ジュリは萎えそうな意識を奮い起すと、アリッサの頭を撫でた。
「だ、大丈夫……だから……」
 汗を滴らせながらも、ジュリは笑みを浮かべた。
「あと…ちょっとだから」
 ジュリはもう一度木の棒を掴むと、一気に引き抜くために力を込めた。
 ベットの足に痛みに逃げそうになる足を引っ掛け、力の限りに抜ききると手の棒を投げ捨てた。
 アリッサが溢れ出した血をシーツで覆って、止血をはじめてくれる。
 ジュリは悲鳴に似た息をつきながら、床に倒れた。
「ああぁぁぁ……はぁ、…んん……」
 どんなに声を殺そうとしても、息とともに苦痛の声がもれた。
 床に広がり、シーツに広がっていく血に怯えながらも、アリッサは懸命に傷口を覆ったシーツを握り、
体重をかけ続けた。
 だがそのアリッサの顔に恐怖が走り、痛みに耐えていたジュリの耳にも何かの音が聞こえた。
 床を這う、ずるずるずるという音が、次第に近づいてくる。
 男のうめく低い声と、床を重いものが這う音。
「ジュ、ジュリ……ど、どう…どうしよう」
 アリッサは止血を続けたまま、後ろを見つめていた。
 ジュリは悲鳴を漏らしながら身を起すと、ベットの向こうにいるものに目を向けた。
 デニスだった。
 酷いありさまだった。
 下半身は爆発で吹き飛ばされ、腕も片腕が肩からもげかけていた。
 顔には無数のガラス片が突き刺さり、焼け焦げて黒く変色し、赤黒い血の中から白い目玉だけが、必
死に何かを訴えて手を伸ばしていた。
「ジュリ……その子だ…その子を殺せ」
 デニスの声に、アリッサがヒっと悲鳴を上げる。
 ジュリはアリッサを頭ごと抱きしめると、デニスを見た。
「デニス、生きたいか? それとも楽にして欲しいか?」
 すでに生ける屍と化したデニスが、見開いた目でジュリを見る。
 その顔が、一瞬弛緩した。
 そして言った。
「楽にしてくれ」
「わかった」
 ジュリは腰のベレッタを抜くと、銃口をデニスの額に定めた。
「デニス。お前のことが結構好きだったよ」
「俺は愛していたさ」
 銃口が火を吹き、デニスが床に倒れた。
 ジュリの手から銃が床に落ち、ゴトリと音を立てた。
「何で、なんでこんなことに」
 ジュリはアリッサを抱えて泣き声を上げた。
 デニスの返り血が、二人を濡らしていた。
 だが悲しみにくれている暇はなかった。
 家の外で、物音が聞こえていた。
 ドンドンとドアを無思慮に叩く音が始まる。
「行かなきゃ」
 ジュリは涙を拭うと、デニスのバックパックから包帯を取り出し、足に巻いた。
 抗生剤の注射も打ち込む。
 この足でどこまで逃げられるかも分からなかった。
 だが、アリッサを連れて諦めるわけにはいかなかった。




 見つけた村長の家の地下室へと、足を引きずりながら入っていく。
 構えた銃の先に人影を見つけたが、それはもう生きた人間ではなかった。
 白衣を着た男はすでに絶命しており、机の上に突っ伏した姿は、自ら命を絶った様子を示していた。
「あのひと、たぶん村長の弟。この村でたった一人のお医者さん」
 支えてくれているアリッサに頷き、ジュリはクスリの仕舞われている棚に近づき開けた。
 様々なクスリが並ぶ中から問題の感染に対するワクチンを捜す。だが、それらしきものはどこにもな
い。
 冷蔵庫の中にも、あるのは黴たビーカに入った異様な色の液体や動物の体の一部ばかり。
 ジュリは拳で壁を殴った。
「くそ! どこにあるんだ」
 叩いた壁から無数の小さな虫が飛び立つように見える。幻覚だ。
 そしてふと壁を殴った腕を目にして、喉から引きつった音が漏れた。
 腕の中から、緑色の触手が生え出ていた。まるで腕にイソギンチャクが生え出て蠢いているようだっ
た。
 ジュリは目を瞑ると、その恐ろしい幻覚から意識をそらした。
 幸い、幻覚の恐ろしさよりも、足の痛みの方が強い。
 足に巻いた包帯には血が滲み、怪我をした足に心臓があるのかと思うほど、ドクンドクンと痛みの波
がそこから溢れた。
 幻覚になど殺されてたまるか。
 ジュリは、アリッサを連れて村を脱出することを想像した。絶対できるはずだ。
 目を開けたジュリの目に、緑の触手は見えなかった。
「ワクチンは、本当にあったの?」
 アリッサが泣き出しそうな顔を上げる。
「本当にあったよ。だって村長がお父さんに、内緒だっていって打ってたのを見たもの」
「で、そのお父さんはどうしたの?」
 ついきつくなる口調に、ジュリは額を押さえた。
 アリッサに当たっても仕方がない。何か策を練らなければ。
「お父さんとお母さんはいなくなった。村長に何かを頼まれて。家を出たきり」
「……お父さんとお母さんは死んだわけじゃないのね」
「……わからない。でもお父さんは村の中でも最初におかしくなりだした方で、村長にお母さんが相談
に行ったら二人にだけはって打ってくれた」
 ワクチンを打ったらしい人たちがここにはいない。どこかに退避したのか? それならなぜアリッサ
を連れて行かないのか?
 ジュリは答えを求めて男の倒れている机に近づいた。
 机の上は男の流した血が固まって黒く変色していたが、何かを書き付けていたノートは残っていた。
――ワクチンはホルムの森の向こう、研究セクト1の地下室に隠した。
  もうこれ以上は病気の蔓延を許すわけには行かない。
  だが残ったワクチン2本は、今後の研究のために残さなければならない。
  やつらにはこうなることが分かっていたのか?
  だからこんなにも厳重なセキュリティーを要した研究室をこんな山奥に作ったのか?
  暗証コードに共鳴クリスタル。そして



 あとは血に汚れて判読することは不可能だった。
 ノートには花を持ち込んだのがこの男であること。村長がそれをアリッサの父に一任して任せていた
こと。
 人々がおかしくなり始めてすぐに会社がワクチンを送ってよこしたこと。
 あらゆることが書きとめられていた。
 最後のページにあった数字とアルファベットの羅列を破ってポケットに入れる。
「ジュリ、これ」
 アリッサが机の下から首に掛けるように紐の通されたクリスタルを見つける。
 水道で血糊を洗い流せば、酷く複雑な刻まれた紋様が浮かび上がる。
「アリッサ。ホルムの森の向こうには何があるの?」
「大きいつり橋があって、その向こうに赤い花の最初に畑が広がってる」
「その辺りに、何か地下施設がありそうなところは?」
 アリッサは首を横に振る。
「知らない。でも……」
「でも?」
「お父さんとお母さんが何度もわたしに言ったことがあるの」
 ジュリは痛みを堪えてアリッサの目線までしゃがみ込むと、言った。
「何を言って聞かせたの?」
「お母さんは、怖いことがあったら、じっと目を閉じて楽しいことを考えなさいって。お父さんは畑
には絶対に来てはいけないけれど、もしもどうしてものときは、水の枯れた井戸を探しなさいって」
「枯れた井戸」
 ジュリは立ち上がると言った。
「そのホルムの森まで案内して」


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