§ エピローグ 



 カルロスの手によって、ジャスティスの腕にワクチンが接種されていく。
 ジャスティスの手を握るジュリアは、どうか目を開けてと祈る気持ちで父を見つめていた。
 ジャスティスは眼球こそ破裂してはいなかったが、閉じられたまぶたからは血が滲み、それを抑える
ようにガーゼで両目が覆われていた。
 土気色に変色した肌は乾燥し、唇も黒くみえるほどだった。
 ジュリアがその唇に、濡れたガーゼを押し当てる。
 ガーゼからしみ出した水がジャスティスの口の中に流れ込む。
 今まではされるがままだったジャスティスの口が、その水を飲み込むように動く。
「お父さん?」
 ジュリアはジャスティスの顔を覗き込む。
 土気色だった顔色が、幾分変化をはじめたように見える。
「ジュリア、ちょっと下がって」
 カルロスはジュリアを後ろに下げると、ジャスティスの目を覆っていたガーゼを外し、血に汚れた目
の周りを拭う。
 血は溢れてこなかった。
 ジュリアが一緒に部屋にいたスイレイの手を握り、ジャスティスの呼吸一つでも見逃してはならない
と、じっと目を見開く。
 ジャスティスの瞼が震え、ゆっくりと開けられていく。
「……ジュリア……」
 真っ赤に充血した目とかすれた声で、ジャスティスが娘の名を呼ぶ。
「お父さん!」
 ジュリアの目から、ポロポロと涙の雫が零れ落ちる。
 そのジュリアを、スイレイがジャスティスの枕もとに立たせる。
「ああ、……スイレイも。……わたしのために、辛い思いをさせたね……」
 ゆっくりと語られるその言葉に、スイレイが目を見開く。
「え? ……」
「姉さんがね、……今まで側にいてくれたんだ。……それで何もかも教えてくれたよ。……ペルにもお
礼を言わないと」
「マリーおばさんが……」
 ジュリアは目覚めたときに見た光景を思い返して俯いた。
 コンピューター管理室の中で、ローズマリーを抱きしめたフェイが声を殺して泣いていた。
 ぐったりとその腕の中で揺られるローズマリーの体には、すでに命はなかった。
「〈エデン〉のジャスティスねぇ」
 ワクチンを打ち終わった注射器を見つめながら、カルロスがつぶやく。
「まあ、これでバイオハザードは終焉を迎えられるんだから、良しとするか」
 納得できない顔のままに、カルロスがジャスティスの病室を出て行く。
 その間にも、ジャスティスの病状は劇的に変化を遂げて回復を見せていく。
「……よかった! 本当によかった!」
 ジュリアが父の手を握り、泣き顔のままに微笑む。
 その顔に微笑み返し、ジャスティスが頷く。
「本当にありがとう。君たちは命の恩人だ」
 穏かにうつジャスティスの胸の鼓動に耳をあて、ジュリアは湧き上がる幸福感に涙を零した。




 軍隊が退却をはじめた研究所の外へと足を踏み出したスイレイとジュリアは、もう随分見ていなかっ
たような気がする、強い太陽の陽射しに目を細めた。
 たくさんの人や報道陣などの入り乱れた群集が、研究所の外を取り囲んでいた。
 父カルロスは、このあとこの報道陣の処理に追われることだろう。気の毒に。
 少しの意地悪な思いに苦笑を浮かべつつ、研究所の玄関を下りていく。
「スイレイ!」
 そのスイレイに声がかけられる。
 そして隣りにいたジュリアがいち早く声の人物を探し当て、指さした。
「ほら、ペルだ」
 人垣の前で車椅子に乗ったペルが、二人に向かって手を振っていた。
 長くなった髪が肩を覆い、やせ細った体は、ついさっきまで共に〈エデン〉にいたペルとは思えなか
った。だが共に〈エデン〉で戦ってきたものだけに分かる空気感が、その体から漂っていた。
 駆け寄った二人にペルが開口一番に言う。
「ジャスティスさんは?」
「大丈夫。助かったよ」
 スイレイの言葉にペルは胸に手をついて息を吐き出し、笑顔でいるジュリアの手を握った。
「良かったね、ジュリア」
「うん。……ありがとう」
 その三人の様子に、ペルをここまで連れてきてくれたのだろう医師も、スイレイと目を合わせると頷
いてみせる。
 ジュリアは自分の手を握ってくれているペルの手を見下ろすと、輝き出しそうな笑顔でペルの前にし
ゃがみ込む。
そしてペルの手に自分のもう一方の手を重ね、ジュリアが言う。
「ペル。わたしたちいろいろあったけど、こうして一緒に笑っていられる。……わたしたちはずっと友
達だよね」
「……ジュリア……」
 涙を浮かべたペルが、俯いて笑顔を作るとジュリアの手を握り返した。
「うん。わたしたち三人は、スイレイもわたしもジュリアも、しわくちゃのおじいちゃん、おばあちゃ
んになるまで、ずっと一緒にいるの」
 ペルのほのぼのとした笑顔に、ジュリアがほほえむ。
 ペルはスイレイにも笑顔を見せると言った。
「これからも妹としてよろしくお願いします」
 ペルの言葉にジュリアがスイレイを見上げる。
 その目にある、無理なんじゃないの? という揶揄の視線に、スイレイが肩をすくめて見せる。
「なんとかがんばってみるよ」
「プラトニックラブなら、続けられるじゃない?」
 問われたペルが、言葉につまって顔を赤くする。
「子どもまで作っておいて、今さら照れないでよね」
 ジュリアはからかうようにペルの頬をツンツンとつつくと、立ち上がる。
「ああ、今日は天気が良さそう。ペルが元気になったらピクニックでも行こうよ」
「またジャリジャリ玉ねぎのハンバーガー持ってか?」
「なあに? そのジャリジャリ玉ねぎハンバーガーって?」
「何、そのネーミング! 二人して人のこと馬鹿にして!!」
 ジュリアが拳を振り上げてみせる。
 その姿にスイレイとペルが笑い声を上げる。
 その笑い声が、風に乗って晴れ渡った空の上へと舞い上がっていく。
 暖かな陽射しに温められた風が穏かに人々の間を吹き抜けていく。
 その風に揺られながら、研究所の片隅で咲く花があった。
 燃えるように咲く、真っ赤な花だった。




                               第二部 裁きの天秤 <了>



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