第五章   激流の翻弄される力なき一振りの枝



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 ジュリアが家からMOディスクを持ち出すのを、スイレイは見張りに立ちながら待っていた。
 街から研究所の敷地に入ることも、一筋縄ではいかなかった。
 通常の道路は全て軍の車両と鉄条網で封鎖され、ライフルを構えた兵士によって監視されていた。
 だが勝手知ったる我が家だけに、子どもの頃に遊んでいて知っていた森からの侵入で家までたどり着
いたのだった。
 だがすっかり松の葉や泥で汚れた服に、人目につけばもろに不審者という出で立ちになっていた。
 ひとまず頭についた枯葉を払い落とし、一緒にくっついていた虫の乾いた死体にため息をつく。
 その時にポケットの中でした振動に、スイレイは携帯を取り出した。
 メールの着信を告げる青い光に、慌てて開いてみる。
 だがそこにあった名前はペルではなく、フェイだった。
 あれから何通メールを出しても、ペルからの返事はなかった。
 〈エデン〉の異変に怯えた文面から、想像だけが最悪の方向に向かい不安を煽っていた。
 もしかしたら、ペルが研究所で発生したのと同じ奇病にかかって苦しんでいるのではないか?
 とにかく紅い花にだけは近づくなと警告は送ってはみたものの、もしかしたもうどこかで接触してい
るのではないか?
 そして何よりもスイレイを不安にさせたのは、イサドラとも連絡がつかなくなっていることだった。
いまだかつて一度としてイサドラとの連絡が途絶えたことなどなかった。これは、〈エデン〉を構築す
るシステム自体にエラーが生じているとしか思えなかった。
 下手をしたら、〈エデン〉という地そのものの存続に関わる不具合が生じている可能性があった。
 そうなった場合、ペルの身がどうなるのかが分からなかった。
 もちろん現実の体には支障があるとは思えない。だが、いきなり自分の意思とは異なる方法で強制切
断が起こった場合、どんな精神的ダメージを被るのだろう?
 なんとしても早く〈エデン〉の実情を調べなければならなかった。
 携帯を握り締めて考え込んでいたスイレイだったが、フェイの送ってきたメールを開いて読もうと思
い直す。
 そこには、フェイがすでに研究所の側にスタンバイしたという報告が入っていた。
「あの人はいったいどうやってここまで来たんだ?」
 自分たちのように秘密の経路でも見つけて侵入したのだろうか?
「スイレイ、あった」
 家の中からジュリアがささやき声でMOディスクを振りながら出てくる。
 なぜか真っ黒な服に着替えて現れたジュリアが、スイレイに駆け寄ると手にしていたものを手渡した。
「何これ?」
「え? 武器」
 ジュリアは手にフォークを掲げてみせる。
 そしてスイレイが手渡されたもの。それはなぜかドライバーだった。
「武器ならもっと役に立ちそうなものがあるでしょう。包丁とか、ナイフとか」
「ナイフなんてうちにないし、包丁は怖いじゃん。下手したら死んじゃうんだよ」
 勇ましくフォークを掲げて見せたわりに、包丁が人の体に刺さったところを想像したのか、身震いし
てみせる。
 それを苦笑で見下ろしたスイレイだったが、自分の中にもあるどこか楽観視した感覚が、もしかした
ら命取りになるのではないのかという焦燥も同時に感じる。
「ぼくたちは戦うことを知らない。ただ平和に守られて生きてきたから。でも、この先は………。何が
待っているんだろう」
 研究所のある方向の夜空を見上げ、スイレイが呟いた。
 今も研究所の中では、死を振りまく病原体との戦いが続いていることだろう。そして、〈エデン〉で
はペルが何かに怯えて自分たちの救出を待っているのかもしれない。
 病原体を物理的に封鎖しようと派遣された軍隊の出方も、予想がつかなかった。
 自分たちを守るためにある軍隊。だがそれに歯向かうとき、どんな制裁があるのか。
「こんなものじゃ立ち向かえる相手じゃないのよね」
 ジュリアがスイレイの思いを読み取ったように、一緒に夜空を見上げるとフォークを見つめ、パンツ
のポケットにしまった。
 安穏と生きてきた自分たちに、この事態を乗り切れることができるのか?
 その答えは誰にもわからなかった。



 スイレイとジュリアがフェイに指示されたポイントに近づいたとき、先の木々の隙間に見えたのは、
明らかに米軍の兵士二名の姿だった。
 ジープに乗って地図を広げて密談するように、わずかなペンライトの光のもとで顔を寄せ合って話し
合っている。
「どうしよう? スイレイ」
 一緒になって草むらの中にしゃがみ込んだジュリアが言った。
 だが、まさか聞こえるはずのない小声で言ったその声に反応して、兵士の一人が自分たちのいる方向
へと顔を向けてきた。
 そして隣りにいる男に肘で合図を送って草むらを指差している。
 ジュリアがスイレイの服の裾を引いて逃げようとするが、ここで動いてはもろに相手に自分たちの存
在を知らせるだけだった。
 ジープの上の男が懐中電灯を草むらに向ける。
 スイレイはジュリアの頭を草の中に押し付けると、自分も草の中に腹ばいに蹲った。
 その耳に、ジープから人が降りる足音が聞こえる。
 草を踏み分け進む足音が、確実に自分たちの方へと向かっていた。
 どうする? 逃げるか? それとも戦うか?
 そのとき、スイレイの手を跳ね除けてジュリアが立ち上がった。
 すぐに戦闘体制に入ってフォークを構え、身構えるでもなく立っていた兵士の頭に目掛けて蹴りを入
れる。
「おー、怖。さすがフェイの彼女」
 ジュリアの蹴りをこめかみにヒットする寸でで拳で受け止めた兵士が言う。
「全くもって喧嘩っ早いお嬢さんだことだ」
 そしておもしろそうに感想を述べたフェイは、米軍の軍服姿で腕を組んで立っていた。
「え? フェイおじさん?」
 見事にヒットさせた蹴りの体勢のままにジュリアが呟く。
 それを草むらの中から見上げながら、スイレイは出るタイミングを失って大きくため息をつくのであ
った。



「ローズマリーに振られて自棄になって軍隊に入隊してたときのお友達」
 フェイにお友達と紹介された男が、「友達か?」と肩をすくめながらジュリアとスイレイに握手を求
めて手を差し出した。
「フェイにいいように使われているジャックです」
 とても鍛え上げた軍隊の男には見えない小柄な男だった。
 そのスイレイの視線に気付いたように、ジャックは笑みを向ける。
「ご名答。俺は前線にはでない情報将校。今回のバイオハザードの封鎖部隊とは違う部署なんでお休み
していたのに、このおじさんが無理を言い出したので、やってまいりました」
「とか言いながら、ノリノリで作戦立ててたくせに」
「まあね。だって自分の属する軍隊に対しての突破計画なんて、手の内知っているだけにいろいろ仕掛
けてどうなるのか見てみたいなんて好奇心にかられないか?」
 男は喋りながら、ジープに乗り込んだスイレイとジュリアに、持ってきたお茶だ、パンだと世話を焼
く。なんだか深夜のピクニックにでも出掛ける気分になってしまう。
「こんなこと手を貸していていいんですか?」
 思わずそのお気楽ぶりに質問したスイレイに、男は肩をすくめて見せる。
「いいことはないな。でもこれで見つかって首になったら、フェイに責任とってもらって結婚してもら
うからいいんだよ」
「「え?」」
 おもわず声をそろえて聞き返したスイレイとジュリアに、フェイが車を走らせながら答える。
「ゲイなんだ、こいつ」
「まさかおじさんも?」
「俺はストレートだって。ローズマリーと婚約してたの知ってるでしょう」
 車のバックミラーの中で変な誤解すんなよと顔をしかめるフェイだった。
「本当に憎らしい男だ、おまえも。そのくせ俺の気持ち知っててこうやって利用すんだから、フェアじ
ゃねえよな」
「なんだよ。ちゃんとお願いしただろ」
「キス一つでできる協力は越えてるけど?」
「いいじゃんか、相棒」
「ダメ。もしものときは本当に責任とってもらうからな」
 その会話を聞きながら、スイレイとジュリアは別の意味でも決して失敗のできない作戦であることを
思い知るのであった。






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