第三章 交わらぬ軌跡



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「ねえ、魔法使いごっこしよう!」
 イサドラが野原の中を駆けよりながら言った。
「魔法使いごっこ? ってなに?」
 草の上に広げたブランケットの上で縫い物をしていたペルは、イサドラの無邪気に遊ぼうとする姿に
微笑みを浮かべた。
「あのね。指の先からボーって火をだしたりね、竜巻を起したりね、空中に水の塊を出現させたりね」
「何かのゲームみたいね」
 ペルはスイレイが昔よくやっていたゲームを思い浮かべていた。
 ペルはスイレイの後ろから飽きもせずにずっと見守っていたものだった。
 何度もスイレイに、ペルもやる? って聞かれたが、そのたびにペルは首を横に振った。
 とてもコントローラーを見もせずに操るスイレイのように出来るとは思わなかった。
 でも、どこか知らない国を旅して、お姫様を助け、宝物をみつけて成長するお話は、見ているだけで
も十分楽しかったのだ。何度かそのゲームのお話に感動して泣いているのを、スイレイがおもしろがっ
て見ていることがあった。
 大好きだったキャラクターが死んでは、本気で落ち込み、恋が実れば、何日もそれだけのことでウキ
ウキして過ごせるのだった。
 そんなゲームの中で、モンスターに出会ったゲームの主人公たちが秘密のパワーを帯びた石を手にす
ることで、魔法を使ってみせるゲームがあった。
「スイレイが教えてくれたゲームのマネっこだもん」
 まねすることが恥ずかしいのか、ちょっと口をすぼめたイサドラが、ペルの横に座った。
 そして指先を目の前にかざすと、ポッと小さな青い火を灯した。
「熱くないの?」
「うん。青い火だからね」
 ペルは器用に話ながらも針を動かし続けていた。
「なに縫ってるの? ぞうきん?」
 ぞうきん発言に笑い声を上げたペルは、縫っている白い生地をイサドラに広げて見せた。
「レースがいっぱいでかわいい〜!」
「これはね、生まれてくる赤ちゃんを包む産着なんだよ」
「へ〜。赤ちゃんがこれを着るのか」
 イサドラが大切なものを扱う手付きで産着を手に取ると、自分の頭上に掲げて見せた。
「こんな風にもうすぐ抱っこできるんだね。早く会いたいな」
 イサドラは妹か弟ができる姉のように目を輝かせ、ペルの横にひざまずくとその腹に向かって声をか
けた。
「イサドラだよ。早く出ておいで。待ってるからね」
 イサドラの仕草に笑みを浮かべた瞬間、ペルは痛みで顔をゆがめた。
「あたたたた」
「え? どうしたの?」
 急に腹をさすって痛がるペルに、イサドアが飛び上がる。
「赤ちゃんが、おなか蹴った。すっごく痛い。ぜったいおなかに足型ついたよ、今の」
 痛みに顔が歪むのに、その下には笑顔があった。
「元気な赤ちゃんみたい」
「わたしが話しかけたから返事してくれたのかな?」
「そうかもね」
 ペルの笑顔に、イサドラも満面の笑みを浮かべて再びペルの腹に話かけた。
「イサドラお姉ちゃんが、君たちにいいお話をしてあげるね。水はね、触ると濡れるし、凍ると氷にな
ったり水蒸気っていう見えないものに変化したりするんだけど、みんな水素と酸素でできてるんだよ」
 イサドラが魔法使いの続きで、手の平に丸い水の塊を出現させる。その水がゆらゆら揺らめいていた
かと思うと、ガチっと凍り、次の瞬間、熱湯をかけたかのように解けて湯気となって蒸発した。
「水素はね、陽子っていうプラスの電気を帯びたものと、マイナスの電気を帯びた電子1個でできてい
るの。でもね、水素原子の最外殻は電子が2個ないと安定しないから、手をつないでくれるお友だちを
捜しているの。酸素はね、二人のお友だちと手を繋ぎたいなって思っているの。だからね、酸素一人に
水素二人で手を繋いで安心すると、水っていうものになるんだよ」
 イサドラの化学の胎教を聞きながら、ペルは静まり返っている腹を見下ろした。
 さすがにちょっと難しいようで、胎児二人が困惑の表情で考えている姿を思い浮かべて思わず笑って
しまう。
「ちょっと、ペルも真面目に聞いてよ!」
 ペルのゆれている体に気付いて、イサドラが注意する。
「はいはい。ごめんね」
 ペルはまだまだ続くイサドラの胎教を見守りながら、目の前に広がる草原の景色にホッと息をついた。
 たくさん白い花をつけたカモマイルが、風にのせて甘いリンゴに似た香りを運んでくれる。白い花と
オレンジ色の花菱草を見つめる。
 ペルは縫い物の道具を入れてきたカゴの中から、スケッチブックを取り出した。
 スケッチブックを開けば、そこには今まで描いてきた〈エデン〉の様々な景色や花、イサドラの顔な
どがあった。
 たしかこの草原を、2ヶ月前にも描いたはず。
 ペルはそのページを開いて、今の景色と較べた。
 数ヶ月の違いでも、その景色は季節感を大きく変えた姿が克明に描かれていた。
 緑の色は濃くなり、丈が高くなり、花の色合いもピンクから白や濃い色に変わっていた。
 そして、ふと絵と今目の前にある景色との違いに気付いて何度も絵と景色を見比べた。
「あれ?」
 ペルの出した声に、イサドラがまた聞いてないと顔をしかめたが、スケッチを見せると野原の先を指
差した。
「ねえ、この絵では、あそこに大きな岩があったように描いてあるの。ほらここ」
 そこには、ペルの腰くらいまであった大きな岩が描かれていた。
 だが今目の前にある景色には、それがなかった。彼方まで広がる草原があるだけ。
「ねえ。おかしくない?」
 イサドラは絵と景色を見比べたが、特に気にした風もなくスケッチブックをペルに返した。
「ペルが描き間違えたんじゃない? だってこんな大きな石が動かされたなら、わたしが知らないはず
ないし、今過去のデーターみてみたけど、そこに石があった記録がないもの」
「本当?」
 ペルは首を捻りながらも、納得するしかなかった。
 イサドラはこの〈エデン〉のスーパーバイザなのだ。そのイサドラがそういうのならそうなのだ。
「どこか別の場所と間違えてるのかな? わたし」
 ペルは釈然としないものを感じながら、スケッチブックを閉じた。
 あの岩は子どもたちが遊ぶには危ないなと思った記憶もあるのだが。
 だが大したことではない。岩がないならないほうが安全でいいのだから。
 ペルはそう思うと、それでこの件について考えることはなかった。
 再びした大きな胎動に、いたたたと声を上げ、腹をさすりながら〈エデン〉の景色を楽しんでいた。
 
 ペルが岩が消えたと思う地点で、カモマイルの草がゆれていた。
 その花が、風に揺られて傾いた次の瞬間、白い花が消え失せていた。
 そしてその消えた花の変わりに、茶色い動物の毛が辺りに舞い散っていた。


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