第三章 交わらぬ軌跡



3
 
 腕の中の花束を見つめて、ジュリアは笑顔を浮かべた。
 色とりどりのジニアに花は、ジュリアが種から育てた花たちだった。
 ペルのお見舞いにと持って来た花束だった。
 人が入り乱れる病院の廊下を歩き、病室へ向かう。
 そして目指す病室が視界に入ってきたとき、その病室から一人の人が出てきた。
「あ、スイレイ!」
 いつもは見せない疲れた顔で病室から出てきたスイレイに、ジュリアが声をかけた。
 だが駆け寄ろうとして、スイレイの後ろから出てきたもう一人の人物に足を止めた。
「あら、ジュリア」
 ジュリアの存在に気付いたローズマリーが言った。
 ジュリアの顔の上で笑顔が凍りつき、奇妙な強張りをのせた無表情が生まれる。
 その表情の変化さえおもしろそうに観察したローズマリーが、スイレイの耳元で何かをささやく。
 まるでジュリアが嫌がることが分かっていながらする嫌がらせのように、笑みを浮かべたローズマリ
ーがスイレイの肩に手を置く。
 ジュリアのところからは何を話しているのは全く聞こえなかったが、その赤い唇がスイレイに近づく
だけで、苛立つほどの嫌悪感がジュリアの体の中を突き上げた。
 非常に卑猥な場面を見せられた気分で目を反らそうとしたジュリアだったが、スイレイがローズマリ
ーに何かを言って頷き、歩き出す。
 ローズマリーはただ黙って笑顔のまま、病室の入り口に立ち続けていた。
「一緒に帰ろう」
 スイレイがジュリアの目の前まで来ると、笑顔で言った。
 病室の方を見ると、壁に寄りかかって立つローズマリーが、目のあったジュリアには追い払うように
見える気がする仕方で手を振っていた。
 その姿に軽蔑の色を乗せた目を向けてから、そらす。
 スイレイがジュリアの腕をとる。
 その手を見ながら、ジュリアは花を見つめた。
「これ、ペルのお見舞いに持って来たんだけど」
 その言葉に、スイレイが立ち止まる。
「ああ。そうか。でも、ほら……」
 見上げたジュリアの視線の先でスイレイが言いよどむ。
 そのスイレイの視線がローズマリーに動く。
 その視線の先で、ローズマリーが演技がかった仕草で肩をすくめる。
「何? ペルに会えないの?」
「いや、そうじゃないんだけど。面会謝絶は謝絶だし、ほら」
 その時だった。ちょうど病院の放送が頭上から聞こえた。
― 当院の面会時刻は午後4時までとなっております
 ジュリアは自分の腕時計を見下ろした。
 針は午後4時30分を指していた。
「ああ、面会時間が過ぎちゃったのか。しょうがないね。でもお花どうしようかな?」
「……マリーおばさんに渡せば」
 先ほど以上に歯切れの悪いスイレイに、ジュリアが苦笑を浮かべた。
 スイレイも、ローズマリーとジュリアの相性の悪さは知っていた。
「ぼくが渡そうか?」
「ううん。わたしが渡してくる」
 ジュリアは足音高く歩き出すと、ローズマリーの目の前に立った。
「これ、お見舞いのお花なんです。ペルの病室に飾ってください」
 ローズマリーはそれを何も言わずに受け取ると、了解しましたと眉を上げて見せた。
 その人を馬鹿に仕切った仕草に、ジュリアの嫌悪感が高まる。
「……あなたが……」
 言わなくてもいい言葉が腹の奥底からわいて来て、口をついて出た。
「何?」
 下を向いたまま言うジュリアを、ローズマリーがおかしな映画を見るような顔で見下ろしていた。
「……あなたがペルの世話をしてくれるとは、想像もできなかった」
 下からきつい目つきで見上げてくる姪に、ローズマリーは嫌味なほど笑顔を見せる。
「ペルはわたしのかわいい娘なんだから、当然よ」
 いい母には決して見えないのを理解していながら言うその言葉に、ジュリアは我慢ならずに背を向け
た。
 その背にローズマリーの声がかけられる。
「ありがとう。ペルに代わってお礼を言うわ」
 あなたにお礼なんて言われたくない。
 振り返らずにスイレイの元まで歩いていくと、ジュリアはその腕を取って逃げるように早足で歩き始
めた。
 背中に感じるローズマリーの視線から一秒でも早く逃れたいとでもいうように。



 病院のゲートを出てようやくジュリアは足を止めた。
 そのジュリアに引きずられるように歩いてきたスイレイが、大きなため息をつくジュリアを気の毒そ
うに見守っていた。
「どうしてあんなに顔見てるだけでむかつくのかしら?」
 前を向いたまま言うジュリアに、スイレイは黙ってついて来るだけだった。
 だが思い直したように口を開く。
「ジュリア、何か用があったんじゃないの?」
 スイレイのその言葉に、再び嫌なことを思い出したように顔をしかめたジュリアが、歩みをとめてス
イレイを振り返った。
「実は……スイレイにお願いがある」
「ぼくに?」
 ジュリアは手にしていたハンドバックから一通の封筒を取り出した。
 白い上等な紙の上に金の文字が並んでいる。
 インビテーション。
 招待状がその手の上にあった。
「これは?」
 その招待状を手の取りながら、スイレイが聞いた。
 スイレイはその招待状を裏返して、差出人を確かめてははんと笑った。
「このパーティーへのエスコートですか?」
 招待状に書かれた名前は、ジュリアの大学で有名な富豪の娘だった。
「彼女は確か学部違うだろう?」
「うん。わたしは医学部で彼女は文学部」
 スイレイはジュリアに招待状を返しながら頷いた。
 それも気に入らない一因だろう。
 大学のヒロインを決めるミスコンが学祭で催されるのが1ヵ月後だ。
 そのミスに選ばれる最有力候補ジュリアが気に入らないのだろう。しかもその美女が顔だけでなく、
医学部在籍の才媛。
 文系の人間がもつ理系人間へのコンプレックスというものも加味され、ジュリアへの風当たりはかな
り強いのだろうと予想がつく。
「無視しちゃおうかなって思ったけどね、なんか尻尾巻いて逃げてるみたいで嫌かなって思って。でも
出席にはどうしてもパートナーが必要でしょ? しかもあの子に負けないようなね」
 少し媚びた目で微笑むジュリアに、スイレイが笑う。
「そんなに気を使わなくても行ってやるよ。母さんのお供でエスコートは任せておけってくらい慣れて
るから」
「ありがとう」
 ジュリアは笑顔で招待状をバックにしまうと、スイレイの腕を取った。
「ついでに言うとね、ちょっと頭にきてあの子に言っちゃったのよ」
 ジュリアは照れたように鼻の頭を掻く。
「何を?」
「だって『きっとステキな彼と来てくれるんでしょうね?』 なんて、さも勉強ばかりの医学部の娘に
は彼氏なんていないでしょ? なんて顔して再三のお誘いに来てくれたからさ。『ええ、彼と行かせて
貰うわ。もう、彼、わたしにメロメロで一人でパーティーなんて心配で送り出せないんですって』って
ね」
 身振り手振りで面白おかしく語るジュリアに、スイレイは腕を取られたまま笑い声をあげた。
「負けず嫌いのジュリアらしいじゃないか。じゃあ、ぼくはジュリアにメロメロの彼氏役を仰せつかる
わけで?」
「うん」
 ジュリアは照れとお願いできるかな? という懇願の表情でスイレイを見た。
 だがその心中を一つの言葉が引っかかりリフレインしていた。
 彼氏の役。
 スイレイにとって、それはただの演技のお遊びでしかないのだ。
 それでも構わない。
 ジュリアはスイレイを見つめた。
「じゃあ、こんな腕の繋ぎ方はおかしいんじゃないか?」
 スイレイはそういうと、ジュリアと指を絡めるようにして手を握った。
「な、ベタベタの長い時間付き合ってきた恋人同士っているよりも、新鮮でいいだろう?」
 二人の隙間を残すことさえ許せないというように、ぎゅっと密着した手の平が、ジュリアには嬉しく
も緊張に耐えられなくなりそうだった。
 腕を組む方が、よっぽど体は密着してるのに、なんでだろう?
 頬が赤くなるのを気にしながら、ジュリアはスイレイを上目遣いで見上げた。
「うわ、ジュリアが赤くなってる」
 そんなジュリアを茶化して、スイレイが指さす。
「う、うるさい!」
「そんなんじゃ、富豪の娘さまに見抜かれちゃうぞ」
「何を?」
「この子、彼氏が自分にメロメロなんだとか言っていながら、自分の方がほれてるんじゃないって」
 その一言に、思わずジュリアが硬直する。
 え? もしかして、スイレイは分かってるの?
 だがそんなジュリアの心配など簡単に否定する勢いで、スイレイがルンルンで歩き出す。繋いだ手が
前後に大きく振られる。
「結構おもしろいな。女王さまみたいなジュリアにメロメロにほれてる男の役」
 はしゃいだスイレイの背中を見ながら、ジュリアは苦笑した。
 鈍感なスイレイが気付くはずもない。それはこの二年の間に実証済みだ。
「そうよ。スイレイ、わたしには逆らえないわよ」
「こんなかんじ?」
 手を離したスイレイがジュリアの腰を抱き寄せると、大切な宝物のようにそっと抱きよせた。
「やだ、調子に乗りすぎ!」
 ジュリアは笑い声を上げてスイレイを圧し戻した。
「違う違う! ちょっと、調子に乗るんじゃないわよ。で、ドンと」
 押し飛ばす動作まで見せてくれるスイレイに、ジュリアが呆れた顔を見せた。
「そんなに演技しなくてもいいよ。いつもスイレイで。カッコイイ、スイレイと、美しいわたしで、会
場を占拠してやろう」
「いいねぇ」
 手を差し出してくれたスイレイの手を握り、ジュリアは歩き出した。
 いつも隣を歩いてきた。
 でもスイレイから差し出された手を握ったのは、今日が初めてかもしれないと思った。
 もう、この手を二度と離したくはなかった。



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