第四章  掛け違えたボタンは永遠に…… 






「あのね、おもしろいゲームみつけたんだけど、スイレイ一緒にやらない?」
 ジュリアはベットに転がったまま、だるそうな気の抜けた顔でいるスイレイに笑顔で声を掛けた。
 いくら元気に振舞ってもチラリとも目も向けてくれないスイレイに、心の中でため息が漏れる。スイ
レイが苦しんでいるのは分かる。それを支えたいと思って自分がここに通っているのも事実だ。
 だが同時に大好きな人の側にいて、少しでも自分を見て欲しいと思っているのも本当のところなのだ。
 それが当の想い人は自分ではない別の人、ペルの事を思って心ここにあらずで、声をかけても反応さえ
してくれない。
 いつもなら怒るところだったが、怒りよりも悲しさの方が強く、ジュリアはスイレイに背中を向ける
とパソコンに歩み寄った。
「いいよだ。わたし一人でゲームやっちゃうもん」
 そう言ってチラっと目をやっても、スイレイの目は自分には向いてはいなかった。
 そうか、わたしの存在は邪魔なのかよ? でも出てってなんかあげないもんね。
 ジュリアがパソコンの電源を入れて、家からダウンロードしてきたディスクをセットした。
「変なウイルスなんか取っ付けてきてないだろうな?」
 不意にしたスイレイの声に、ディスプレイの陰から顔を覗かせれば、天井を見上げたままのスイレイ
が言った。
「そのパソコンには〈エデン〉の情報も入ってるんだ。ウイルスなんかに感染させるなよ」
「大丈夫。ちゃんとチェックしてあるもん」
 たったそれだけ声を掛けられただけで、自然と笑みが浮かび上がる。
 その笑顔にスイレイが目を向け、つられた様にほんの少し表情を和らげた。
「何のゲーム?」
 相変わらずベットに横になったままだがスイレイが尋ねてくる。
「お父さんのパソコンにあったのをコピーしてきたの」
「ジャスティスさんの?」
「メールでね、届いてたんだ。お父さんもああ見えてゲームマニアだからどっかのゲーム配給会社とか
に登録してるんじゃない? 〈新作ゲーム〉をお届けしますって書いてあったし。えっとね、名前は
「裁きの天秤」だって」
「ふーん」
 少しは興味を持った様子だが、まだスイレイをベットから起き上がらせるほどの力はないようだった。
 ジュリアはスイレイの気配を気にしながら、ゲームを始めるボタンをクリックした。
 その途端はじまった映像に、ジュリアは魅入られたように見入った。
 始まったゲームのオープニングは、どこか不気味な森を背景にした雑草の生い茂る草原だった。
 ヒューヒューと女の悲鳴のような鋭い音を立てながら、風が森の木々と枯れた草に吹き付けていた。
 陰鬱な音楽が流れ出し、誰一人いない草原を周りながら映し出す。
 その草原に渡る風の中に、草を踏み分けるゆっくりとした足音が混じり始める。
 ターンした映像の中に捕らえられたのは、垢染みの浮いた服を着てよろけるようにして歩く男の後ろ
姿であった。
 左右に体も揺らしながら、一心に森へと歩いていく。
 引き上げられていく映像の先に見えてくるのは、真っ赤な色に染まった大地だった。
 夜の森の僅かな月明りの中で、禍々しいほどに輝きを放つ赤い花。
 その一面の花の中を、何人もの大人が蠢いていた。
 夜にする花摘み?
 だがそう思った瞬間にアップになった一人の男が荒々しく花を毟った。
 赤い花を口に入れて咀嚼し、血のような真っ赤な液を口の端から垂れ流す。
 男が月に向かって咆哮を上げ、持っていた物を振り上げた。
 キラリと光る鎌の刃。
 それが勢いよく振り下ろされ。
 甲高い悲鳴とともに勢いよく始まった音楽に、場面が素早く展開していく。
 爆音を上げて夜空を旋回するヘリと降下する兵士。
 掃射されるマシンガンにライフル。
 陰鬱な白い顔で見上げてくる、ネグリジェ姿の少女。
 その子を胸に抱えて業火の中を走りぬける女の姿。
 女の流した涙が雫となって滴り落ち。
 最後に静まった音楽とともに流れたのは、最初の赤い花畑の中に佇む女とその頭上を無数に飛び回る
蝶の乱舞だった。
 幻想的な映像を残し、タイトルコール「裁きの天秤」。
「ふーん。結構すごいCGじゃん」
 突然真横でした声に、ジュリアは声を上げるほどにビクつき、横を見た。
 そしてその反応にびっくりしたらしい顔のスイレイと目が合う。
「おまえ、怖かったんだろ」
「……そんなこと……」
 だが実際マウスを握る手は汗をかき、すでに硬直してうまく動かなかった。
 そのぎこちない動きで画面を動くカーソルに、スイレイが笑った。
「ぼくがやろうか?」
 ムッと顔をしかめ口を尖らせたジュリアだったが、スイレイが笑顔を見せてくれていることで本来の
目的を遂げたことを思いだし、おとなしく席を譲った。
 さっきまでの面倒そうだった態度はどこへやら、いそいそとイスに座ると、ゲームを始めるスイレイ
。
 その横顔を見ながら、ジュリアは少なからず今は重い悩みから解放されたスイレイに安堵の笑みを浮
かべた。
 ゲームの中の暗い映像とは異なり、スイレイの顔は穏かだった。
「おまえ、知ってるんだろ?」
 穏かな横顔のまま、スイレイが言った。
「え? 知ってるって?」
「……ぼくとペルのこと」
「……」
 突然に振られた核心に、ジュリアは閉口した。
「……ぼくとペルが兄妹だってこと」
「……うん」
「本当みたいだよ。自分で調べたんだ」
 パソコンの白光を受けて目だけは映像を追うスイレイが言った。
「調べたって?」
「DNA。ぼくのとペルの」
「……結果は?」
「間違いようが無いほどに、兄妹だった」
「……そう」
 ジュリアはどう反応したいいのか分からないまま、言葉が見つからずに俯いた。
「なんで兄妹だって分かって落ち込むんだよな。そう思うだろ?」
 空元気な笑みを浮かべて見つめられ、ジュリアは悲愴な顔で見つめ返すことしかできなかった。
「兄妹だってことはさ、もうどうやったて切れない絆ができたってことだろ。嫌だっていったて同じ血
が流れてるんだ。いつでもペルが戻ってこれる場所になってやれればいいだけなのに。それなのに」
 スイレイは泣きはしなかったが、胸の内で涙を流しているのは明らかだった。
 そんなスイレイを、ジュリアは黙って見守ることしかできなかった。
「何で何も言わないんだよ」
 スイレイは俯いたまま、搾り出すようにして言った。
「いつものジュリアなら、こんなぼくを笑い飛ばして元気にしてくれるだろ?」
 初めて聞く重く傷ついた声に、膝の上で強く握られていたスイレイの手に自分の手を重ねた。
「スイレイは、ペルが好きだったんでしょ?」
 滲みそうになる涙を堪え、ジュリアはスイレイの横顔を見つめた。
「妹なんかじゃなく、女の子として一緒にいたかったんだね。兄妹の縁は深いものだけれど、恋人と築
く精神的つながりの深さには届かないもの」
 スイレイが唇を噛みしめる。
 ジュリアはスイレイの頭を抱きしめると、その髪を撫でた。
「つらいよね、スイレイもペルも」
 わたしも。
 ジュリアは震える息を恐れるかのように吐き出した。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 なにがあろうと、この三人だけはおじいちゃん、おばあちゃんになっても一緒に笑っていられる間柄
だと思っていたのに。
 何事にも永遠はないということか。
 全ては変化しながら時の中を彷徨っている。
 停滞は死。
 きしくもプレイヤーがいなくなったゲームも、ゲームオーバーを告げていた。
 わたしたちにゲームオーバーが訪れることは、どうしても防がねばならない。
「今日は優しいな」
 スイレイが囁いた。
「いつも優しいでしょ。大好きなスイレイには」
 そう、大好きなスイレイ。
 でもこの意味が伝わっているとは思えなかった。

 
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