第四章  掛け違えたボタンは永遠に…… 





 目を覚ましたペルは、強張っている体に顔をしかめながら身を起した。
 自分が寝ていた床を見つめ、昨日の記憶を思い返す。
 重い瞼が、自分が泣きながら寝たことを教えてくれていた。
 立ち上がろうとして、背中から滑り落ちた布団に目を向けた。
 子供の頃にローズマリーの家にいたときに使っていた布団だった。黄色いウサギの絵の掛け布団。今
では少し小さい子ども用の布団が床の上で丸まっていた。
 ペルはその布団を床の上できれいに畳むとソファーの上に置いた。
 そしてソファーの前の机の上に用意されていた朝食に、思わず苦笑した。
 まるで体だけがいきなり大きくなってしまっただけで、何年も前の小学生のときにタイムスリップし
てしまったような感じだった。
 あのときと同じ、お皿の上のサラダと二個の目玉の並んだ目玉焼き。トースターの前に置かれた食パ
ンとバター。透明なグラス。
 ペルは勝手知ったる昔の我が家の中で、洗面所に行くと鏡の中の自分の顔を見つめた。
「目が腫れてる」
 見事に腫れあがった瞼に、思わず笑ってしまう。
 こんな顔になってしまったなんて。
 顔を洗って台所に入ると氷を出して目を冷やしながらソファーの上に寝転がった。
 ドロリとした毒を溜め込んでいた瞼に、冷たい氷は気持ちがよかった。
 タオルの下の顔を両手で覆って、ペルは昨日一日のことを思い返した。
 朝はとても幸せに満ちた始まりだった。
 スイレイの大学を見学するという名目でのデートに、心は浮かれっぱなしだった。
 とっておき用にと大事にしていたワンピースを着込み、ジュリアに分けてもらった化粧品で何度も直
しながら化粧をしたぐらいだった。
 大学生のスイレイと並んで歩くだけでも幸せだった。
 誰にも気兼ねなく恋人の気分を味わえるのも、どんなものよりも至上の喜びを与えてくれるものだっ
た。
 だがそんな極上のハチミツの中に浸っているような気分は、ものの数分しか続かなかった。
 まるで欲しくてたまらなかった宝物を手に入れた矢先に、霞め取られ壊されてしまった気分だった。
 どんなに手を伸ばしても、もう手には入らない、この世に一つだけの宝物。
 スイレイ。
 名前を心の中で唱えるだけで再び涙が溢れそうになって、強張り緊張した心を緩めた。
「わたしはスイレイの妹」
 切っても切れない永遠のつながりが出来たのではないか。
 自分にそう偽って聞かせても、効き目はありそうになかった。
 欲していたのは、スイレイの妹なんて立場ではなかったのだ。
 愛される、何よりも大切にされる恋人として、その横にいたかったのだ。
 でもその位置は、もう永遠に手に入らない。手に入れてはならないものになったのだ。
 理性はそれを受け入れていたが、全身の魂が拒否していた。
 スイレイが手に入らないのなら、もう生きている意味さえも見出せない。
 そんな考えに慌てて目をそらす。
 こんなスイレイだけに縋って生きるような、重たい女になりたかったわけではないのだ。
 永遠に逃げ続けているわけにはいかないのだ。
 一日も早く、わたしはスイレイの妹にならなければならないのだ。
 でも今は、とてもなれそうになかった。
 甦るのはスイレイの手の暖かさと唇の柔らかさ。耳元でささやかれた声の甘さだけだった。


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