第三章   スパイス オブ ラブ 





 チキンの骨をしゃぶっていたジュリアは、立ち上がるとはしゃいだ声で言った。
「おかわりしよう!」
 まるで踊るようにキッチンへと歩いていくジュリアを、スイレイがあきれた顔で見ていた。
「おまえもう3杯目だけど」
「こんなにおいしいって言ってもらえて作りがいがあるってもんでしょ?」
「まあ、うれしいけど」
「だったら問題ナシ」
 ジュリアが鍋のふたを開けながらペルを指さす。
「ペルももっと食べないと大きくなれないぞ」
 急に話しをふられ、ペルは水を噴出しそうになった。
「もう大きくならないと思うけど」
「背はね。もっとこう、グラマラスにさ」
 ジュリアがスイレイがいることなど意に介した様子もなく、大きな胸を描く。
「わたしの場合は食べても、きっと別のところにつく肉になっちゃうよ」
「そうかな?」
 ジュリアは再び大盛りのカレーの皿を手に戻ってくる。
 だが体にフィットしたTシャツの下のジーンズのボタンが外されていた。
「ジュリア、ボタン外してまで食べるの?」
「だって外さないと入らない」
 平然と言って席につくと、スプーンをカレーに投入。
「スイレイだってさ、もっとペルの胸があったほうが魅力的だと思わない?」
 そして今度はスイレイが微妙な顔で口に運んでいたスプーンを止めた。
「え? ペルの胸?」
「何よ、スイレイもペルの前ではいつまでもカッコつけてないでよ。胸よ胸。あったほうがいいでしょ」
「ああ、胸ね。そりゃあったに越したことはないのかもしれないけど。でもペルはペルのままでいいん
じゃない?」
 変にしどろもどろになるスイレイに、ジュリアが眉をしかめる。
 そしてカレーを黙々と口に運びつつ、ショックな顔をしているペルに、ますます深い皺をつくる。
「あんたたち、今日おかしいよ」
「そ、そんなことないって」
 スイレイはすかさず言い返し、ペルはまだ口の中に食べ物がある状態で立ち上がった。
「もちそうさま」
 口に手を当ててモグモグと言いながら、台所へと走って行ってしまう。
 その後姿を見送りつつ、ジュリアがつぶやく。
「スイレイ、ペルにおっぱい小さいなんて言ったの?」
「そんなこと言うかよ」
「そうよね」
 どうも腑に落ちないという顔で言ったジュリアだったが、スイレイに顔をむけると、笑顔で言った。
「おいしい。また作ってね」
 特上の笑顔で言われ、スイレイは引きつった笑顔のまま頷いた。



 ジュリアが持ってきたDVDはベタベタの恋愛ものだった。
 ソファーにスイレイ、ペル、ジュリアと並んで座り、微妙な空気の中で映画を見ていた。
 途中から飽きていたジュリアは、映画よりもペルの観察に余念がなかった。
 キスシーンが展開されるたびに体をビクッとさせて自分の両隣を気にし始める。
 自分ひとりがキスシーンにドギマギしているのを気取られるのも恥ずかしいような、かといって平然
としてもいられなく。
 ペルのそんな表情を見ているほうが、遥かにおもしろかった。
 関係のないところで思わず笑いそうになり、ジュリアは何度か咳払いでごまかした。
 そんなペルがキスシーンでもないところで動きを見せた。
 画面の中で展開されているのは、普通に女友達どおしがカフェで恋の悩みを語り合っているだけのシ
ーンだ。
 どっちかといえば、話の中でも気を緩めるクッション的な話の部分なのだが。
 変に緊張した背中が、ジュリアには見てとれた。
 ちらりとペルの顔を見る。
 だがその顔は恥ずかしげにしながらも、どこか満足したはにかんだ笑顔だった。
 こんなペルの顔は見たことがなかった。
 ブラウン管の白い光を受けて、桃色の頬を輝かせた横顔が、今までに見たことがないほどに可愛らし
かった。
 甘い桃の香りでも立ち上りそうなペルの様子を、ジュリアはうっとりと見つめた。
 だがそのペルの顔が明らかに動揺すると、立ち上がった。
「えっと、飲み物もって来るね」
 画面ではいよいよベットシーンが始まり、ペルは耐え切れずに立ち上がったのだった。
「わたし紅茶!」
 手をあげて言ったジュリアは、立ち去ろうとしていたペルの姿を見つめていて、一瞬目に入った光景
に頭を起した。
 ペルの手からスイレイの手が離れたように見えたのだ。
 手を繋いでいた?
 平然と画面に目を向けたスイレイの横顔を見る。
「何?」
 スイレイが前を向いたまま言う。
「別に。あんまおもしろくなかったね、これ」
「まあな。恋愛ものなんてこんなもんだろ」
「途中だけど止める?」
「お好きに」
 スイレイも飽きた様子で伸びをする。
「じゃあ、切っちゃうよ」
 ジュリアはテレビの電源を落とすと、落としていた部屋の照明を上げた。
「あれ、終わったの?」
 そこへお茶を持って現れたペルが言った。
「おもしろくないから止めたの」
「そうか」
 ペルはテーブルにマグカップを下ろす。
「ペルはもっと恋のお勉強したかったかな?」
 からかって言うジュリアに、ペルは笑って首を横に振った。
 もう平常心か。
 ジュリアはなぜか心の内でした舌打ちに、自ら愕然とした。
 スイレイにお茶を手渡している笑顔が、なぜか自分の心を苛立たせた。
 ジュリアは自分からマグカップを掴むと、グイっと飲んだ。
「アチッ」
 喉を焼く熱さに胸を押さえたジュリアに、ペルが駆け寄る。
「今沸かしたところだったから、熱いよって言えばよかったね」
 心配そうに覗き込むペルに、ジュリアは胸を押さえたまま笑えなかった。
 熱いお茶が通ったところだけでなく、もっと奥にある胸が痛かった。
 こんなところに、絶対に敵にしたくなかった恋敵がいたとは。
 もっとも望んでいなかったことなのに。
 ジュリアは悔しさで涙が出そうになるのを押さえると、笑顔を作って顔を上げた。
「食い地が張った報いってやつ?」
 ペルの顔を見ずにそう言って笑うと、マグカップを机に置いた。
「もうこんな時間か。お父さんに怒られるから帰るかな」
「え? もう帰るの?」
 上着を着てハンドバックを掴んだジュリアに、ペルが背後から言う。
「うん。手術した後で、お父さん煩いんだわ」
「そっか」
 心底がっかりして言うペルが、本当は愛しかった。
 今までと変わらずにペルが好きだった。
 でも自分の中で消化し切れない思いが、今ペルの手を取ることを拒否していた。
 このまま二人きりでこの家にスイレイとペルを残すことに抵抗がないわけではなかった。
 だがそれ以上に、その二人の周りにできつつある空気を吸っていたくなかったのだ。
「ごめんね」
 ジュリアは振り返らずにスイレイにも手をあげて帰る挨拶を送る。
「カレーおいしかったよ。ありがとう」
「おう」
 スイレイの声を後ろに聞きながら、ジュリアは玄関に急いだ。
 ペルの気配を振り切るようにドアを出て外に踏み出したところで、ジュリアは呟いた。
「ペルの裏切り者」
 そんなことを思う自分が、ジュリアには痛かった。




 
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