第二章 息づく世界へ 




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 スイレイとカイルは真剣な表情で顔を見合わせると、頷いた。
 カイルがネズミの頭に、注射針を刺す。
 尻尾を握られたネズミは、何の抵抗もせずに針を刺されていた。
「うまくいけば、脳内ネットワークの完成だ」
 カイルは呟くと、ねずみの様子を見守った。
 チューチューと鳴きながら歩き回るねずみに、特に変化はなかった。
「死ぬようなことはないみたいだな」
 スイレイの言葉に、カイルが笑いながら反論する。
「一応ちゃんと計算してDNAを組んでるんだから。信用してよ」
「でもDNAなんて分かっているようで分かってない分野だろ? 神経網の発現だけの役割しかないと
思っていたDNAに別の役割があった、なんて話はよくあるじゃないか」
「まあね。だから遺伝子の研究はおもしろい」
 大丈夫大丈夫とスイレイの肩を叩き、カイルがねずみを手に別の装置へと歩いていく。神経活動画像
計測システムと呼ばれる装置だ。
 その装置にネズミをセットし、カイルはスイレイに画面を示した。
 その画像の中で、脳の活動が蛍光の色で示されていた。
「このネズミにはかわいそうだけど協力をねがって、脳内の視覚と聴覚に関する領域の脳に死滅しても
らった。だから今は目も見えなければ耳も聞こえていない。だけど、もしこの幹細胞がちゃんと働いて
くれれば、脳内のネットワークが再構築される。しかも、外部からの刺激に反応するネットワークにも
なっているはず」
 カイルの話を聞きながら、スイレイはじっと画面を見つめた。最初の小さな変化でも見逃すものかとい
う真剣な目で。
 そのときだった。
「ねえ、ココ」
 画面の中で、無活動を示して白くなっていた脳の活動領域が、ほんの少し色づき始める。
「ここは視覚野だな」
 薄いピンク色の領域が、次第に赤へと変わっていく。
「聴覚野も活動開始。ひとまず第一段階はクリア」
 カイルの笑顔に、スイレイも頷く。
 装置から連れ出されたネズミは、突然広がった見える世界と聞こえる音に、盛んに首を動かし辺りを
うかがっていた。
「おどろかしちゃったかい? でも目が見えるようになってよかっただろ?」
 カイルがネズミの頭を撫でながら話し掛ける。
 感謝してくれよとねずみに説教しているカイルに、スイレイが口を挟む。
「一度奪ったものを返しただけだろ? 感謝するのはこっちのほう」
「まあ、そうだな」
 スイレイの言葉に思い直したカイルが、ねずみに向かってありがとうと頭を下げる。
 それからスイレイに振り返ると言った。
「で、次はスイレイの出番だな」
 カイルはネズミの頭へ小さな電極の繋がる装置をのせる。
「それがジャック・インへと導く装置?」
 かなり不恰好でグロテスクな電極の集まりに、スイレイが顔をしかめる。
「まだ試作だよ。機能はちゃんとしてるから。商業レベルのものだって、最初から外身がスタイリッシ
ュなんてことはないんだから」
 不信げなスイレイの表情に、カイルが「失礼しちゃうわ」とおかしなしなを作って反論する。
 そんなカイルに苦笑しながら、スイレイはラボのモニターにパソコンを繋いだ。
 電源を入れた画面に、緑の草がさわさわと風に揺れる草原と、一匹のネズミの姿が映っていた。
「そのネズミは?」
「彼の恋人候補ってやつ? まあ、本物ではなくて、バーチャルの世界にだけ存在するキャラクターだ
けど。本物そっくりに餌も食べれば走り回りもする」
「ほう。この子がお見合い相手を気に入るといいけど」
 カイルは、頭の電極が重そうにじっとしているネズミの体をさすった。
「じゃあ、始めますよ」
 スイレイが合図と同時にキーを叩いた。
 途端にネズミがその場にパタリと倒れた。
 カイルがそのネズミの心臓に手を当て、OKと指で示す。
 それを確認して、スイレイはコンピューターの操作を続けた。
「イサドラ、ネズミをジャック・インさせて」
「了解」
 真っ白な部屋の中に立ったイサドラが、手の平にネズミを乗せて立っていた。
 次の瞬間、そのネズミが草原の中にいた。
 その様子をスイレイの後ろから見守っていたカイルが、興奮の声を上げる。
「おおお!! 本当に画面の中に現れた!」
 ネズミは突然の変化にビックリして動かずにジッとしていた。盛んに鼻だけをヒクヒクと動かして様
子をうかがっていた。
 だが側に寄ってきたバーチャルの世界の先住民に出会い、ヒクっと体を動かした。
「やあ、こんにちは」
 カイルがネズミの声を代弁する。
「ココはどこだい?」
「さあ? でもとてもいいところよ。あっちにおいしい食べ物があるの。一緒にどう?」
「そうかい? じゃあ、お言葉に甘えて」
 一人芝居を続けるカイルの言葉通りであったのかごとく、ねずみが動き出した。
 走り出したバーチャルねずみの後を、ジャック・インしたねずみが追いかけていく。
「お見合い成功」
 満足げにうなずくカイルに、スイレイが違うでしょっとその腕を叩く。
「実験成功!」
 バーチャルの世界への侵入に成功に、スイレイとカイルが握手を交わした。
「これって大発明?」
「たぶんね。あとで副所長に報告だ」
 スイレイはねずみのジャック・インを解くと、倒れていたねずみを手に取った。
 手の上で目を覚ましたねずみが、再び変わってしまった景色に、キューと声を上げる。
「あっちの世界の彼女が気に入ったかい? そしたらまた連れて行ってあげるからね。遠距離恋愛にし
てしまってごめんな」
 カイルにそのねずみを手渡しながら、スイレイはゴツイ装置を指さした。
「では今度はその装置をスタイリッシュに改造お願いします」
「ええ? また俺?」
「始めたことは最後までね」
 スイレイがカイルの肩を叩く。
「人使い荒いよな」
 カイルはねずみに話し掛けると、まるで話を聞いていたかのごとく、ねずみが首を傾げるのであった。

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