第二章 息づく世界へ 


1

 ボウルの上でリンゴの皮を剥きながら、ペルは目の前の光景を唖然と眺めていた。
「イサドラ、ご挨拶は?」
「ハーイ! ペル。ご機嫌いかが? 今日のイサドラは超ご機嫌! 」
 ベットに横になったジュリアの枕もとに置かれたパソコンの画面の中から、おちゃめな喋りが聞えて
くる。
「どうしたの、イサドラ?」
 皮を剥く手が止まったまま、ペルは自分の方に向けられたディスプレイを見つめた。
 ヒラヒラのメイドの格好をしたイサドラが、腰に手を当てて偉そうに立っている。
「ちょっとペル。わたしが挨拶してるんだから、ペルも挨拶を返すのが礼儀でしょ」
「ああ、ごめんね。こんにちは、イサドラ。随分可愛い格好してるね」
「いや〜ん。ジュリア。やっぱりわたし、かわいいって」
「わたしの次にだけどね」
 すかさず言ったジュリアが、ペルを見上げてウインクを送る。
「今までの堅物のイサドラよりかわいいでしょ?」
「ちょっとびっくりだけど」
 ペルは答えながら、これを聞いたスイレイの顔を思い浮かべて苦笑した。絶対怒るに違いない。
「どうやって衣装チェンジしたの?」
「イサドラが勝手にやったのよ。わたしは、イサドラにファッションの楽しみかたとか、ネットのウイ
ンドショッピングを一緒に楽しんだだけだよ」
「とすると、あのメイドの格好はイサドラの趣味なんだ」
「というかスイレイの趣味なんじゃないの?」
 ルンルンとディスプレイの中で鼻歌を歌いながら体を揺らすイサドラを見やってから、ペルとジュリ
アが顔を見合わせて笑った。
「あたたたた」
 笑った拍子に手術の傷の痛みに顔をしかめる。
「よかったね。無事に手術終わって」
 ペルはうさぎさんの形に剥いたリンゴにフォークを刺してジュリアに手渡す。
「うん。でもさぁ、お父さんが手術に立ち会ったって言うんだからちょっと恥ずかしいよね。娘の腹の
中見てどうするんだよね」
「心配で、じっと待ってるなんてできなかったんだよ」
「それにしても、医者でも家族の手術はできないって言うじゃん。感情が邪魔して。何かあったとした
ら、最も取り乱すのはお父さんなんだから、居ても役になんてたたないのにね」
 ペルはクスクスと笑いながら、頭の中で必死に見守るジャスティスの姿が脳裏にありありと描けてし
まう。
 きっとメスが入った瞬間は、手術室の誰よりも手に汗を握って拳を握り締めていたに違いない。
「傷もそんなに大きくないんでしょ?」
「っていうけどね。わたしはまだ見てないんだ。だって怖いじゃん。この傷が裂けたら、もうその下か
ら内蔵が出てきちゃうんだよ」
「ヤダ、怖いこと言わないでよ」
 ジュリアは布団をめくると、パジャマの裾をめくってカーゼに覆われた患部を覗き込む。
「あ〜、やっぱ怖い。見れないわ」
「もうちょっとキレイになってから見ればいいよ」
 ペルも今にもガーゼをめくりそうなジュリアに腰が引けていた。
 その二人の間に、不意にイサドラが口を挟んだ。
「ジュリア、パンジーの種が芽を出したよ」
「え? うそうそ!」
 ジュリアはパッと顔を輝かせると、ディスプレイを自分の方に向けた。
 ペルもベットの上に身を乗り出して、横から覗き込む。 
 ディスプレイの上で、イサドラが「さあ、見てよ」と身をひるがえして背後を指し示す。
 そこには、キレイに耕されたチョコレート色の大地と、その上に無数にはえ出た緑の小さな葉の鮮や
かさがあった。
 それも数え切れないほど、広大な台地に一面に広がっている。
 アメリカの大農場のような、牧場のような広がりのなかに、小さな芽がそよいでいる。
「うわ〜。すごい規模だね」
「これは咲いたら見事だわ」
 二人は口々に感想を言うと、その花畑の中を歩き回るイサドラを見つめた。
 柔らかい土の上に足跡を残して歩くイサドラが、風を受けて清々しそうな顔で微笑んでいた。
「わたしもあそこを歩いてみたいな」
 ペルのつぶやきに、ジュリアがうなずく。
「わたしはさ、ただ種に遺伝子を組んでイサドラに託すだけじゃなくて、ちゃんと手で植えて育てたい
んだよね」
「うん。わかるわかる」
「それもおもしろいな」
 不意に二人の間に、もう一人口を挟む人物が現れた。
 スイレイがペルの後ろから顔をのぞかせていた。
「スイレイ! 足音ぐらい立てなよ。っていうか、女の子の病室に入るのにノックなし?」
「廊下にでかい話し声が聞こえてたから、楽しい話し合いを中断させては悪いかと思ってね」
 ベットサイドに歩いてきたスイレイは、ジュリアにお見舞いの花を手渡すと、ディスプレイを覗いた。
「おおー! ちゃんと植物が生えはじめてるじゃん」
 近頃見たこともないほど、無邪気に喜んで破顔するスイレイを、ジュリアは得意げな顔で見上げてい
た。
 そしてもう一人、スイレイを見つめている人物がいた。
「あー、スイレイだ。ねえ、かわいいでしょ、わたし? ペルとどっちがかわいい?」
 ディスプレイの中からするイサドラの声。
 そしてメイドのヒラヒラと揺れるスカートを手に、イサドラが回ってみせる。
 その姿を、スイレイは何かありえないものを見てしまったように、凝視していた。
 体が硬直。
 瞬きが繰り返され、不意にその目がジュリアに向けられる。
 その目に、ジュリアはいたずらを完成させた子どものように笑った。
「かわいいでしょ? イサドラちゃん」
 スイレイのこめかみに、血管が浮き上がってくるのが見える気がしたペルだった。




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