第一章 地球創造 




 いつの間にか空は茜色に染まり、東の空から紫色の闇が優しく太陽の残していった赤い色素を侵食し
て色を変えていく。
 そのグラデーションが美しく、疲れた体をテラスの白い金属製のテーブルにもたれさせながら眺める。
「ねえ、ペル」
 ジュリアは同じく休憩中のペルの声をかけた。
 そのペルは、ジュリアのいいつけで夕飯を買いに行ったスイレイの手伝いに行くべきかを迷いながら
イスの上で後ろを振り返っていた。
「さっきさあ」
 声にトゲが出ないように軽い口調を心がけながら、言った。
「スイレイと何の話してたの?」
「さっき?」
「あのジェットコースターの下で」
 笑顔が強張るのを感じ、ジュリアは空を見上げて続けた。
 黒いシルエットになった鳥が、高い上空を滑空していた。
「ああ。あのとき」
 ペルの声のトーンも幾分下がる。
 ペルが自分の気持ちに感づいているのは分かっていた。
 それでも、素直にその気持ちをペルに話す気にはなれなかった。
 ペルのことは誰よりも信頼しているし、大好きだった。
 きっと恋愛の相談をすれば、真剣になって相談にのってくれるのもわかっていた。女同士だからこそ
できる、よくクラスメイトたちがしている秘密の会話というものにも、関心がないわけではなかった。
 あの真剣な話をしているようで、二人だけの秘密を共有する優越と安心感に満ちた世界が、ジュリア
には未体験なものだった。
 ペルとなら、そんな秘密を共有してもいいという気がする。
 だが、ことスイレイのこととなると、その思いが二の足を踏むものだった。
 時折感じるペルへの嫉妬。
 自分には踏み込めない領域で、スイレイと結びついているような気がしてならないのであった。
「別にたいした話じゃないよ。ジュリアが元気そうでよかったって」
「ふ〜ん。それから?」
 簡単にはこの会話から解放しないぞという意思を示してテーブルの上に身を乗り出し、ジュリアはペ
ルに顔を寄せた。
 そんなジュリアに、ペルは苦笑しつつも嫌だとは言わなかった。
「あとね、花の話かな」
「花?」
「うん。わたしは花に例えるとたんぽぽの綿毛なんだって。それで、ジュリアは大輪の赤い薔薇。なん
か差がつき過ぎだよね」
 えへへと笑うペルに、ジュリアはイスの上に体を戻す。
 目の前を、何組ものカップルが手を繋いで歩いていく。
 夜が更けてきたせいで、家族連れが減り、明らかに昼間より空気が濃厚で甘いものになりつつあった。
 暗くなり始めた遊園地を照らすライトさえも、色を変えて照らしているような気がした。
「ジュリア?」
 沈黙するジュリアに、ペルが声をかける。
「わたしは、綿毛の方がいい」
 急に駄々をこねる子どものように口を尖らせて言うジュリアに、ペルが絶句する。
「どうして? 綿毛なんてちょっと風が吹けば剥げチョビンだよ」
「綿毛に乗れば、空だって飛べる。それに、綿毛の下にはかわいい妖精がくっ付いてるもん」
「妖精?」
 決め付けの言い切りで言って、ジュリアはテーブルの上に突っ伏した。
「バラなんて魔女が毟って、邪悪な呪文を唱えながら鍋に投げ込むもんじゃん」
「……すごい想像力だね」
 ペルは酷く感心した様子で呟いた。
「わたしは絶対薔薇のがかっこいいと思うけどな」
 ペルはそう言って、ジュリアの長い髪をつまんだ。
 ウェーブのかかった長い髪を、ニョロニョロとヘビ遣いが操るように振り回して遊んでいる。
「顔だってペルのがかわいい」
 ジュリアの駄々っ子はまだ続いていた。
 ペルはそんなジュリアを笑うと、その頭を撫でた。
「スイレイが、わたしのことは妹だって」
 ペルの一言に、ジュリアが顔を上げた。
「本当?」
 片頬だけをテーブルから離し、ペルを見上げる。
 ペルがそんなジュリアを、お姉さんの視線で見下ろしてうなずいた。
 これではスイレイへの気持ちがバレバレだ。
 それでも、ジュリアは湧き上がってくる笑みを抑えることができなかった。
 ペルはジュリアの頬をつつきながら、何の詮索もしてこなかった。
 ジュリアはそんなペルの気遣いに感謝しながら、微笑んだ。
「お嬢様方。ちょっと手伝って頂こうか」
 スイレイが、両手に夕食のパスタを持って立っていた。
「執事! 遅いぞ!!」
 ジュリアはがばっと顔を上げると、すかさずに言った。
「執事?」
 スイレイが眉間に皺を寄せる。
「そうよ、心してお嬢様二人に仕えなさい!」
 いつもの調子でスイレイに吹っ掛けてしまうジュリアを、ペルはやれやれと苦笑して見ていた。
 そしてスイレイは、そんな女二人の間に流れる微妙な空気には気付かずに、パスタをお嬢様方の前に
並べているのであった。



 遊園地という夢の空間を、金色に光る電飾に彩られたメリーゴーランドが回っていた。
 それをぼんやりと眺めるペルは、鉄の柵に体をもたれさせていた。
 なんだか大きなオルゴールが回ってるみたいだな。
 きらびやかな装飾の馬が、空虚な目で上下に動きながら駆けていく。
 少し調子の外れた音楽も、なんだか少しくたびれたオルゴールにはお似合いだった。
 そのオルゴールの上で、きれいなお姫様と王子様が手を取り合って回っていく。
「ペル〜」
 そのお姫様が手を振る。
 ジュリアに手を振り返しながら、ペルはその隣りのスイレイに目を向けた。
 はしゃぐジュリアとは反対に、恥ずかしそうに眉間に皺をよせ、馬の上で身の置き場に困って居心地
悪気にしていた。
 手を振るペルに気付いても、手を上げかけて苦笑を滲ませて前を向いていまう。
 ジュリアとスイレイが通り過ぎた瞬間、ペルは笑顔を消した。
 疲れていた。
 一日中遊園地で遊び倒したからかもしれないが、それ以上に心が疲れていた。
 病気を抱えているジュリアに気を遣ったからではない。
 自分の目が、スイレイにまとわりつくジュリアを見て苛立っているのが分かった。
 そんな自分の狭量さにも、ほとほと嫌気がさしていた。
 ジュリアは、ずっとスイレイに片思いをしてきたのだ。そして、今日、女の子として心行くまでスイ
レイとのデートを楽しみたいという健気な夢を叶えようとしているのだ。
 それが分かるからこそ、ペルはそんなジュリアに協力しようと心に決めていたのだ。
 それなに、どうしてこんなに心が波立つような不快感を感じてしまうのだろう。
 もしかしたら、自分には恋愛を見下すような奢った心があるのかもしれない。どこか、そんなことに
夢中になる人間を低俗だとみなすような。
 あるいは、いつまでも子どものままでいたいという、大人になることへの拒否感があるのかもしれな
い。ピーターパンのように。
 だから男と女に見える今日のジュリアとスイレイに嫌悪を感じるのか?
 いずれにしてもこんな 嫌な感情をジュリアに感知されるわけにはいかなかった。
 ペルは頬に手を当てると、笑顔を作る。
「笑顔はみんなを幸せな気持ちにするから」
 もし鏡があれば、きっと今の笑みは不自然でぎこちないものに見えるに違いない。
 そのとき、誰かがペルの肩をポンと叩いた。
 ペルは後ろを振り返り、そこに立っていた大きなうさぎを見た。
 ピンクの着ぐるみのうさぎが、笑顔でペルに風船を差し出していた。
「…くれるの?」
 うさぎが大きくうなずく。
「ありがとう」
 赤い大きな風船が、ふわりふわりと揺れながら、ペルの手に手渡される。
 大切なものを受け取るように両手で風船の紐を握ったペルは、久しぶりの空へ登ろうとする風船の感
触に笑顔を浮かべた。
 そんなペルを、うさぎが大きな手で頭を撫でてくれる。
 そして手を振ると立ち去っていった。
 ペルはそのうさぎに手を振って別れを告げると、夜空に映えて光る赤い風船を見上げた。
「いつ以来かな? 風船なんて」
 そう考えていたペルの脳裏に、青い空と風船の映像が甦った。
 涙が浮いた低い視点で見上げた風船を、泣きしゃっくりをしながら見上げていた。
 その自分と手を繋いでいるのは、……長い髪で背の高い女の人。
 あれは……。
「ペル、何してるの?」
 過去の記憶に沈んでいたペルは横に立っているジュリアにビクッと体をすくめた。
「あれ? もう終わったの?」
 振り返れば、メリーゴーランドはその動きをとめ、虚ろな目の白い子馬がペルを見つめ返していた。
「ペル、風船なんてどうしたの?」
「これ? さっきうさぎさんがくれた」
「うさぎさん?」
 ペルとジュリアが回りを見回した。
 だがうさぎの姿も、ペルのほかに風船を持っている人もいなかった。
「うさぎの幽霊に遭遇」
 ジュリアが不吉なものを見る目で風船を見上げた。
 そんなジュリアを後ろからスイレイが小突く。
「こんなカップルだらけのところで、いきなり風船渡せないだろ? かわいいペルが一人ぼっちで立っ
てたからうさぎがペルだけにくれたんだよ」
 スイレイの言葉に、ペルは微笑んで風船を見上げ、ジュリアも羨ましそうに風船を見た。
「ジュリア、風船欲しいんでしょ」
 ペルは上目遣いでジュリアを見れば、ジュリアが「え?」ととぼけてみせる。
「ダメ、上げない」
 クイっと風船の紐を引いて背中に隠したぺルに、ジュリアが「ケチー」と口を尖らせる。
 そんな様子に笑顔を浮かべ合うと、ペルは風船を見上げた。
 昔、ペルに風船を買ってくれた人物。
 それはおそらくローズマリーだ。
 どんな場面で買ってくれたのかは覚えていない。というより、さっき初めて思い出したのだ。そんな
ことがあったことすら、記憶の底に沈んで見えなかったのだ。
 自分に対して愛情が全くないように見えるローズマリー。
 ただ嫌いでいた彼女に、ほんの少し関心が出た気がした。
「あ〜あ、疲れた、疲れた。ぼくはもうお嬢様方につきあう体力はありません」
 スイレイがあくびをしながら言う。
「もう、スイレイはおじさんなんだから」
 不満げなジュリアの横で、ペルもあくびをして涙を拭った。
「ちょっとペルまで! 夜はこれからなのに」
「ジュリアって元気だね」
「本当に、あなたたち二人とも若者なの?」
 腕組みして呆れた顔で言うジュリアに、ペルとスイレイが別の意味で呆れた顔を向ける。
 スイレイが腕時計を見る。
「もう夜の9時だけど」
「いい子はもう寝る時間だよ」
 ペルに促され、ジュリアはがっくりと肩を落とした。
「別にわたしはいい子じゃなくていいのに」
 ペルはジュリアの腕をとると歩き出した。
「ジュリアはいい子だよ」
 ペルを見下ろしながら、ジュリアがつぶやく。
「だったらペルの綿毛にのせて、空までわたしを運んでくれる?」
 実はすでに疲れた目をしてどこかを見ているジュリアに、ペルはうなずいた。
「妖精ジュリアを雲の上まで、連れて行ってあげる」
 ジュリアはペルの耳元で笑った。
 夢の遊園地を後にする。
 ジュリアはペルとスイレイを両手に引き寄せると、その頬にキスをした。
「ありがとう」
 ジュリアの目が輝いていた。





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