第一章 地球創造 


4



 スイレイとペルが並んで大きな荷物を入れた袋を下げて歩いていた。
 スイレイの持った袋には巨大な植物図鑑が数冊。ペルの下げたカバンにはノートパソコンとディスク
が入っていた。
「スイレイ、大丈夫?」
 悪戦苦闘で、時折袋を下ろしては血が通わずに白くなった手を振るスイレイを、ペルは気の毒そうに
見た。
「一度にそんなに持って行かなくてもよかったんじゃない?」
「そうなんだけどさ、あいつのことだからやるからには全部揃わないと気が進まないとか言いそうじゃ
ん。全体像を把握したがるっていうかさ」
「それはスイレイも一緒でしょ? わたしの側にいる二人が完璧主義者なんだからなぁ」
「ジュリアが完璧主義者?」
 スイレイは袋を担いで歩き出しながら顔をしかめる。
「ペルはジュリアの部屋に入ったことあるのか? 汚いぞ。机と言わず床と言わず、あらゆるところに
本が散らばってて、積み重ねられて、なだれを起してたりするし。勉強に使うノートだって見たことあ
るか? キレイにメモするなんて概念がないような殴り書きで、あれで勉強ができるっていうんだから、
ぼくは信じられないね」
 流暢にジュリアの様子を語るスイレイに、ペルは笑い声を上げずにはいられなかった。
「そうそう、よく知ってるね、スイレイ。でもね、完璧主義っていうのは、全てに完璧を目指す人だけ
を指すわけじゃないんだって。スイレイなんかは、本当に凄く厳密に完全な求めてる人だろうけど、ジ
ュリアみたいに自分のこだわっている部分にだけは、絶対的な完璧を求める人も完璧主義なんだって。
完璧にできないくらいだったらやらない。ジュリアがそのいい例だよね。片付けは完璧にやれないから
完全に無視」
 スイレイが納得と頷く。
「性格分析に詳しいな、ペル。ペル自身はどうなんだ?」
「わたし?」
 うなずくスイレイに、ペルはう〜んと唸る。
「自分のことはよく分からないけど、争いとかを徹底して避ける小心者かな。いつも中立。自分に自信
がないから主張とかできないんだよね」
「ふ〜ん」
 否定をしないところを見ると納得する部分があるのだろう。
 ペルはスイレイを見上げながら、客観的に自分を見つめた。そして改めて二人と較べてみたときに
、はっきりとした自己というもののない自分に気付きがっかりした。
 争いに巻き込まれないように、常に遠巻きに物事を眺め、表面的にしか係わろうとしない。意見も言
わないが、意見も求めないでという態度を取り続ける。
 そんな生き方は、傷も負わないだろうが、得るものも希薄でおもしろみのないものに感じた。
 それに較べてスイレイもジュリアも、自分の意思を持って、その意思を松明のように高々と掲げて恐
れなく突き進んでいるように感じる。
 生き輝いていて、ペルの憧れの体現のようだった。
「スイレイやジュリアが、羨ましいな」
「え?」
 図鑑入りの袋を担ぎなおしたスイレイが、ペルを見て首を傾げる。
「ジュリアもスイレイも、わたしの理想像かな?」
「どうして? ジュリアなんてたぶん、ペルに憧れてると思うよ」
「わたしに?」
 信じられないと目を見開くペルに、スイレイが笑う。
「聞いたって、うんとは言わないと思うけど、ああいう気の強い女を演じてる奴はさ、素直に自分の弱
さを認めて受け入れる度量のあるペルみたいなタイプが羨ましいんだと思うよ」
「弱さを受け入れるのも度量なの?」
「弱さを認めないのは、それを真正面から見る勇気がないからだろ? 自分の欠点や弱点を見ない振り
をしちゃうんだよな。注射するときに顔を背けてようなもんかな」
 上を向いて解説するスイレイを、ペルは尊敬の眼差しで見つめていた。
「スイレイって、すごいね」
「いや〜、それほどでもあるけど」
 演技がかって胸を張るスイレイに、ペルが笑い声を上げる。
「ペルにはペルの良さがあるし、ジュリアにはジュリアの良さがある。それぞれの良さを認めて高めあ
っていけばいいんであって、さげすみあわないことだよ」
 スイレイは決め台詞をばかりにカッコつけていったが、次の瞬間には重い荷物に癖癖した顔で大きな
音を立てて袋を床に下ろした。
 バタンという大きな音に、側を通っていく人たちが振り返る。
「あ〜〜!!重い!!」
 病院の廊下でため息をつくスイレイに、ペルが回りを見回しながら笑う。
「あとちょっと、スイレイがんばって」
「あとはエレベーターに乗って、病室まで」
 エレベーターの到着した「チン」という音に、スイレイは袋に手を掛けた。
「もうひと踏ん張りしますか」
 だが、エレベーターに乗っている人も、乗り込む人も自分たち以外にいないことに気付くと、スイレ
イは袋をずるずると引きずってエレベーターに乗り込んだ。
「格好つけなくてもいいでしょう。ペルしかいないからね」
 あ然として見守るペルに、スイレイはウインクすると言った。
「わたしもかっこいいスイレイを見てたいけど」
「今はちょっと勘弁して」
 エレベーターのドアが、二人の会話を遮断して閉じた。


「だからそんなことは無理だと言っているだろう!」
 エレベーターを降りて並んで歩いてきたスイレイとペルは、病室からもれるジャスティスの大きな声
に顔を見合わせた。
 温厚で声を荒げたことのないジャスティスが、いらついた声で訴えている。
「いいじゃない。手術は1週間先で、その間の検査はちゃんと受けるって言ってるんだから。一日外出
したくらいで死ぬわけないでしょ。お父さんは心配しすぎるのよ」
 ジャスティスの声に反して、余裕たっぷりのジュリアの声が反論していた。
「おまえは事の重大さが分かってない」
「分かってるわよ。子どもがもう産めませんっていうんでしょ」
 あっけらかんとしたその物言いに、ジャスティスが絶句している様子が伝わってくる。
 隣に立つペルに見上げられ、スイレイも笑っていいのやら、悲観したらいいのやら、複雑な表情で苦
笑を浮かべた。
「ジュリア、子どもが産めなくなるの?」
 深刻そうに顔をしかめるペルに、スイレイが頷く。
「卵巣を摘出する手術を受けるそうだ。母さんの話だと、片方の卵巣に膿と血がたまっていて、そちら
を摘出するらしい。もう片方は残るには残るらしいけど、発達不良で卵子をまったく排出するまでには
至っていないらしい。だから、おそらくはもう産めないという結論になるって」
「…そんなことって」
 ペルは深刻な表情をさらに険しくし、病室の方を見やった。
 そんなペルをスイレイは見ていて、ふと質問したくなった。
 ペルは子どもが産みたいと思うのか?
 ジュリアは子どもなんて産みたいなんて思ったことがないから、もう子どもが埋めませんなんて言わ
れても、実感がないと言っていたけれど、同じ女の子でもペルはどう感じるのだろうか?
「ペルはさ」
 言い出したスイレイに、ペルが顔を上げる。
「もう子どもが産めないって言われたら、どんな気持ちになると思う?」
 その質問をしただけで、ペルの顔は泣きそうなほどに歪んだ。
「想像できないくらいにショックだと思う。だって、自分の産んだ、愛する人との間にできた赤ちゃん
を抱っこしている自分を想像しただけで、幸せな気分になれるんだよ。きっと他のものなんて目に入ら
なくなるくらい、大切な宝物になるはずだよ。小さな手で自分を求めてくれる、最高の宝物。それが一
生手に入らないなんて……」
 ペルの目が潤み始めたのを見てとって、スイレイはあわててハンカチを差し出した。
「ジュリアはその、あんまり子どもが産めないってこと事態にはショックはないらしいんだ。だから、
ペルも、泣かないで」
 ペルは慌てて涙を拭くと、俯いたまま頷いた。
 そのとき、ひときわ大きいジュリアの声がした。
「お父さんがなんて言ったて、わたしはスイレイとペルと三人で遊園地へ行くの!!」
 スイレイとペルは顔を見合わせると、病室へと足を進めた。
 今も言い争いの続く病室のドアをノックする。
 一瞬シーンと静まり返った病室のドアが開き、いつもは見たことのなき仏頂面のジャスティスが顔を
出す。
「ああ、スイレイにペル。お見舞いかい。ありがとう」
 笑顔を作るが、どこか引きつっている。
 スイレイとペルが病室に入れば、ベットの上で腕組みして顔をしかめたジュリアがいた。
「本当にお父さんって、頭が硬いというか、子離れできてないっていうか!」
 その悪態に、ジャスティスが笑顔の額に怒りの筋を浮かせる。
 それを見てとったスイレイが、二人の間に割って入ると、口を開く。
「まあまあ、廊下まで言い合いが聞こえてましたけど、どうしたっていうんですか?」
 スイレイは落ち着けとジュリアを宥めながら、ジャスティスに尋ねた。
「この分からず屋の娘が、一時退院して遊園地に遊びに行きたいと言い出してるんだ」
「遊園地へ?」
「そんなものは手術が成功して退院したら、お祝いで連れて行ってやるって言ってるのに」
「誰がお父さんと行きたいなんて言った? わたしはスイレイとペルと3人で行きたいって言ったはず
だけど?」
 憎まれ口を叩くジュリアは絶好調という様子だった。
 ジュリアの皮肉は全回復しているし、ジャスティスは心配でならない娘が言うことを聞かずに怒りに
達しているし、ペルはおろおろと両者を見て立ち尽くしている。
 スイレイはため息をつきたい気分で、ジャスティスを見た。
「あの、ジュリアと話をさせてもらえますか?」
「……ああ」
 ジャスティスは、娘が自分よりもスイレイに懐いてしまっている事実に、瞳に寂しさを映したが、ジ
ュリアの頑固そうな顔を睨みつけてから、ペルに声をかけた。
「あんな頑固な娘よりも、かわいいペルを連れて散歩でもしてくるからいいさ」
「ちょっと、ペル。嫌ならちゃんと断わっていいわよ。お父さんも親族だからっていい気になってわた
しの大事なペルちゃんを連れ回さないでよね」
 再び火が付きそうな言い争いに、ペルは慌てて口を開く。
「わ、わたし、ジャスティスさんと散歩に行ってきます」
 そう言って、自分からジャスティスの手を取ると、前のめりになりながら病室を出て行く。
 その慌てっぷりと、そのペルに手を引かれて、転げるように歩きだしたジャスティスに、スイレイと
ジュリアが声を上げて笑った。



「女王さまは、すっかりお元気になられたようで」
「そうよ。だから、こんな辛気臭いところにはいられないって言ってるのよ」
「ふーん」
 スイレイはベットの横のイスに座ると、とりあえず持ってきたパソコンと、ディスク、そして大量の
植物図鑑をベットの上に並べた。
「ちょっと、重いんですけど。何大量に持ち込んでるのよ」
「昨日、頼みたいことがあるって言っただろ」
 ジュリアは植物図鑑の一冊を手に取ると、ペラペラとめくり始める。
「こういうの嫌いじゃないだろ」
「そうね。花は好きだし、育てる楽しみがあるわよね。写真じゃない、リアルな花は本当に美しいもの
。絶滅した植物とかも、どんなだったのか知りたいわね。」
「それを〈エデン〉でぜひ試してくれ」
 満面の笑みで言うスイレイを、ジュリアは意味が分からないと片眉を上げて問う。
「〈エデン〉の環境的に、もうそろそろ植物が発生できる環境になってきた。そこで、〈エデン〉への
植物の植付けをジュリアにやってもらいたいなと」
「植付けを? どうやって?」
 スイレイは新たにディスクを2枚ポケットから出すと、ジュリアに手渡した。
「こっちはジュリアが選定した植物を種の状態にして加工するためのプログラムが組んである。それか
ら、こっちが、植物のDNAを組むためのソフト」
 その説明に、ジュリアは心底面倒臭そうに顔をしかめる。
「DNAまで組めってどういうことよ」
「さっきジュリアが言っただろ? 絶滅した植物も復活させてみたいって」
「そうは言ってないけど」
「まあ、とにかく、〈エデン〉を自分のためだけのでっかい花園だと思って頼むよ」
 あとは任せたとばかりに手の中に押し付けられ、ジュリアがあ然としてスイレイを見た。
 だがその顔が次の瞬間、ニマっと笑った。
「OK。そのお願いとやらは聞いてあげましょう。でも、世の中、ギブ&テイクよね」
 ジュリアの顎をそらした女王様の顔に、スイレイは嫌な予感を感じて目を背けた。
「条件は?」
「お父さんを説得して」
 ジュリアが、これだけは譲れないという表情で、スイレイを見ていた。
「あの遊園地に行くってやつか」
「そう」
「どうしても行きたいんだな?」
「そう。今じゃないと、わたしには意味がないから」
 真剣なまっすぐな目に、スイレイは仕方ないと頷いた。
「分かったよ。説得してみるよ」
「サンキュー」
 心底嬉しそうに笑ったジュリアは、鼻歌を歌いながら、重い図鑑を眺め始めた。 




back / 第一部〈エデン〉top / next
inserted by FC2 system