第一章 地球創造 




3

 ジュリアは自分の部屋に戻ると、ベットの上に寝転んだ。
 このところ、いつも以上に疲れる気がした。
 体調が思わしくない。時々表情が歪むほど腹部に痛みが走ることがあった。
「なんだろう? 」
 不安はあったが誰に相談したものかわからなかった。
 ペルでは大騒ぎしそうだし、お父さんなんてもっとオロオロして救急車を呼びかねない。
 やっぱりここはレイリおばさんしかいないな。
 ジュリアは部屋着に着替えると、勉強机にカバンの中身を出した。
 教科書に挟まってでてきたのは、昼間ジュリアをプラムに誘った男子生徒に渡された手紙だった。
 ジュリアはじっとその手紙を見つめていたが、勢いよくそれをゴミ箱に捨てる。
 目に入るのも嫌だという態度で捨てられた手紙が、ゴミ箱の中でゴミになる。
 ジュリアは先ほど渡されたMOディスクを、ベットの上に広げたパソコンにセットする。
―― パスワードを設定してください
 画面に並んだ文字にジュリアはキーをたたく。
 S・U
 だが打ちかけて消したジュリアは、自問自答を繰り返しながらじっと虚空を見つめた。
 Infinite(無限の空間)
―― パスワード登録完了 … 〈エデン〉にジャックインしますか?
 ジュリアはYESを押す。
――声紋確認をします。名前を声に出して言ってください。
「ジュリア」
―― 確認しました
 画面にイサドラが現れる。
「こんにちは、ジュリア。お元気ですが?」
「そうでもない」
 ジュリアはイサドラを見ているようで、どこか遠くを見つめていた。
「イサドラ」
 ジュリアは遠くを見つめる目のまま、イサドラに声をかけた。
「はい、なんでしょうか?」
「スイレイは、わたしのことをなんて登録したの? 登録したこと全てを文字で表記して」
「了解しました」
 イサドラが消え、画面に文字が並び始める。
 それはスイレイとイサドラが交わした会話の一部だった。
  ジュリアも覚えておいてくれ
 美人なぼくの友人なんだ
 性格はね、気の強いお姫様タイプ 
 でも意外なほど感受性は高く、人の弱さを気遣うところがある
 それを表に現せないので時々勘違いされてしまうこともある
 ぼくはちゃんとそんなことは見抜いてるから、悪態つかれても気にしないけどね
 悪態つかれたってぼくは好きだよ。
 そう、ジュリアのことが好きだってこと
「何を話してるのよ、全く」
 だがそう言ったジュリアの頬を、一筋涙が零れて行った。
 ジュリアの目が、最後の一行を何度も追う。
 ジュリアのことが好き。
「どんな意味で言ったのよ、スイレイ」
 いつも妹扱いしかしないスイレイ。
 自分もいつも可愛げのない態度ばかりを取るのがいけないのは分かっていた。
 それでも、どうかスイレイに気付いて欲しかった。
 自分のことを、足元に跪かせてみたい女としてしか見ない学校の男たちの好奇の目に晒される度に、
スイレイへの思いが強くなる。
 わたしが求めているのはスイレイだけ。
 ―― 性格はね、気の強いお姫様タイプ 
 でも意外なほど感受性は高く、人の弱さを気遣うところがある
 それを表に現せないので時々勘違いされてしまうこともある
 ぼくはちゃんとそんなことは見抜いてるから、悪態つかれても気にしないけどね
 悪態つかれたってぼくは好きだよ。
 そう、ジュリアのことが好きだってこと
「そんなにわたしのことが分かっているなら、気持ちにも気付いてよ!」
 声に出して言ったときだった。
 強烈な痛みが腹部を走った。
 何?この痛みはなに?
 腹を抱えてうずくまったジュリアは、痛みでうまく吸えない空気を求めるように激しく息をついた。
「どうしましたか? ジュリア?」
 喉を突いてでる唸り声に、イサドラが尋ねる。
―― 緊急警報発令
 イサドラが告げる。
 そんなことまで分かるのか。
 痛みと格闘しながら、ジュリアは思った。



 自分の横に座って熱心に説明してくれているスイレイの顔を見る。
 よく見ればすごくキレイな顔してるな。
 ジュリアはスイレイに勉強を教えてもらいながら、そんなことを考えていた。
「おい、聞いてるのか?」
 スイレイの怒った声に我に返ると、ジュリアは意識を入れ替えて教科書を集中しようとしてみた。
 だが、やっぱり勉強する気持ちにはなれなかった。
「自分から受験勉強を見てくれって言ったわりに、やる気なしだな」
 スイレイもジュリアに勉強させるのを諦めた様子でソファーの背もたれに寝そべる。
「どうした? 進学すべき高校に迷いでもあるのか? あそこはいい高校だぞ。ぼくが通ってるから薦
めているわけじゃないけど」
「別に高校は悩んでないよ。苦労しなくても入れるし」
「ほぅ。その割にお勉強はしっかりしようとしてるんだ?」
「やることはきちんとしておきたい性格なの」
「でも、今日はやる気がしない? 何かあったのか?」
 スイレイの投げやりながら、ジュリアを気遣う言葉が嬉しかった。
 ジュリアが周囲から向けられる目は、常にキレイで強くてしっかりした女の子だった。
 同性ならそれが嫉妬として表われて毛嫌いされるか、完璧な存在として崇拝するか。
 異性なら、自分のものにしようとして纏わりつくか、はじめから手には入らないゆえに手に入れる価
値もないあばずれのように見なすか。
 いずれにしても、どちらもジュリアの本心などは必要としていなかった。
 見ているのはただのキレイな外見と、内面を隠すために外部を拒絶しようと身につけたジュリアの鎧
のような性格だけだった。
 自分が人を跳ね除ける態度をとっておきながら、自分の内面を分かろうとしないとなじるのは公平で
はないが。
 ジュリアは気の抜けた目で自分を見ているスイレイに言った。
「わたしって、どんな人間に見える?」
「ジュリアが? キレイだけどお高くとまった生意気な女」
 周囲と変わらないスイレイの解答に、ジュリアは内心で失望を感じずにはいられなかった。スイレイ
も同じか。
 だが、次の瞬間、天井を見上げながら、スイレイが言葉を続けた。
「でもお高く止まってるのは、お馬鹿な人間と価値ある人間を選別するために使ってるんだろ? 確か
に毒舌で可愛げはあんまりないけど、本当は優しいもんな」
「優しい?」
 そんな言葉が出てくるとは思っていなかったジュリアは、驚いて大きな声でスイレイの言葉を繰り返
した。
「よく子どもが転んで泣いてたりすると助けてやるじゃん。まあ、優しいお姉さんの助け方ってよりは、
怖いお母さんみたいな助け方だけどさ。弱い人間や動物が困ってるのを見ると放ってはおけない性格な
んだろうな」
 スイレイが一人、考えを完結させて頷く。
 ジュリアはそんなスイレイを不思議な思いで見つめていた。
 スイレイはちゃんと見ていてくれたのだ。誰にも話したことのない内心を、しっかり理解してくれて
いた。
 ジュリアはスイレイの横で、自分もソファーに寝そべると並んで天井を見上げた。
「わたしに寄って来る人間ってさ、同等の立場で友達になりたいと思ってくれないんだよね。気の強い
女を従えてやるって息まいたサドタイプか、真逆のお姫様に仕えたいですっていうマゾタイプ。女の子
でも同じようなもんよ。わたしを利用しようと近づいてくるか、お姉さまって〜ってレズってる子」
「それは難儀だな」
 他人事のように呟くスイレイに、ジュリアが笑った。
「そうよ、難儀でしょ。むかしはさ、そんなこと気付かなかったから、いっぱい側に人が寄ってきてく
れるのは、純粋にわたしのことが好きだからだと思ってたのよ。でもね、いい顔してたらつけこまれる
って分かった。女友達に誘われてパーティーに行ったら、パーティー会場にいたのは男だけ。後で分か
ったんだけど、その友達ね、わたしを連れてきたら付き合ってやるとか言われて、わたしを売ったのよ」
 思わぬ告白に、スイレイがソファーから飛び起きた。
「おまえ何笑ってるんだよ。大丈夫だったのかよ」
「大丈夫だからここにいるんだって。偶然その場に居合わせた男の中に友達が混ざってて、そいつが止
めてくれた」
 ジュリアは尚も笑っていた。
 だがその顔を見下ろすスイレイの顔には、一片の笑みさえ浮んではいなかった。
 心配とも怒りとも憎悪ともとれる表情で、ジュリアを見ていた。
「結果的に何もなかったからって、いいってもんじゃないだろ。おまえを本当に好きなら、絶対にそん
なことはしないよ。男でも女でも」
 スイレイは目を反らすと、ソファーの上でうな垂れた。
「信じられない。どうしてジュリアにそんなことするのか。ジュリアがキレイに生まれたのは、ジュリ
アの責任じゃないだろ。魂のない人形じゃないんだ。思い通りに操ろうなんて、絶対に許せない」
 スイレイの吐露される心情が、ジュリアの思いを強く揺さぶった。
 ジュリアはスイレイの背中に頭をもたげる。
「誰もわたしのことを、心から心配してくれる人なんていないと思ってた。でも、ここにいたんだ。そ
れだけで、わたしは嬉しい」
 スイレイは顔を起すと、ジュリアを胸の中に抱きしめた。
 ジュリアはその腕の中で目を閉じた。
 あのパーティーで押し倒され、興奮して獰猛さを剥き出しにした男の目を間近に見て以来、男という
存在が怖かった。
 想像していた以上に恐ろしかった。
 男なんて嫌なら追い払える、突き飛ばせると思っていた。
 でも実際は恐怖に声一つ上げられず、いくら抵抗して両手の拳を振り回しても、男の手一つでさえも
払いのけることができなかった。
 だから助け出してくれた男友達の差し伸べてくれた手も、払いのけて震えているしかなかった。
 学校でも男の子が側を通る度にびくつく。
 でもスイレイにはそんな嫌悪感は沸かなかった。
 スイレイはわたしのことを分かってくれる。大事にしてくれる。
 ジュリアはスイレイの胸を掴むと、声を殺して泣いた。
 わたしには、スイレイしかいない。



 ぼんやりとした光の中で目を覚ましたジュリアは、頬を流れていった涙に自分が夢を見て泣いていた
ことを知った。
 昔の夢だ。まだペルとも親しくなかった頃だ。
 でもこれを契機にスイレイはペルとジュリアを引き合わせ、友だちとして行動をともにできるように
助けてくれたのだ。
 そしてこのときにはっきりと、スイレイへの恋心に気付いたのであった。あれから2年以上、素直に
なれない片思いを続けてきたのだ。
 ジュリアはぼんやりした頭で天井を見上げた。
 ここはどこだろう? 白い天井。視界の隅には点滴の管が映っていた。
 病院か。
「ジュリア、起きた?」
 声と同時に、スイレイの母レイリが顔を覗かせた。
「大丈夫? ここは病院。倒れてたあなたをスイレイが見つけて、救急車で運ばれたのよ」
 穏かなレイリの声に、ジュリアは自分の身に起きたことを思いだし、頷いた。
 あの緊急警報に気付いて駆けつけてくれたスイレイが、救急車を呼んだのだ。
「わたしどうしたんですか?」
 自分でもびっくりするほど、気の抜けた声が喉から出てくる。
 レイリは笑みを浮かべたままベットサイドのイスに座ると、ジュリアの手を取った。
「詳しいことは、今ジャスティスが先生に伺ってるわ。でもね、あまり状況はいいとはいえないと思う
わ」
 ジュリアはあの強烈な腹部の痛みを思い返して頷いた。
「なんの病気なんですか?」
「……。スイレイに呼ばれてあなたの部屋に入ったら、蒼白な顔のあなたが倒れていた。ねえ、毎月の
生理に異常はなかった?」
 その問いにジュリアは自分の病気の部位が何であるかを知った。
「痛みはあったけど、そんなの誰でも一緒だと思って鎮痛剤を飲んでました」
「そう。わたしがもっと気を配ってあげればよかったのよ」
「おばさんのせいじゃないわ」
 顔に影を落とすレイリに、ジュリアが言う。
「わたし、この後どうなるの?」
 特に深い考えがあって聞いた質問ではなかった。他も聞くべきことが見つからなかったというだけの
ことだった。
 だがその質問に、レイリがギュッとジュリアの手を握った。
 ジュリアはレイリの顔を見つめた。
 スイレイと同じ柔らかな面差しで、かわいらしい母親であるレイリ。
 そのレイリが緊張に震える白い顔で、ジュリアを見つめていた。
「ジュリア。手術することになるの」
「手術? 大変な手術なの?」
 レイリはそれは否定して首を横に振る。
「手術自体はそれほど難しいものではないって」
「だったら、どうしてそんな大変そうな顔をして…」
「ジュリア、卵巣を摘出することになるの」
「卵巣を?」
 ジュリアの頭の中を、ただ言葉が駆け巡るだけで、意味をなすことはなかった。
 レイリが言葉を続けた。
「子どもが、産めなくなるかもしれない」
 それは大変だ。
 本当に言葉としての理解でしかなかった。
 子どもが産めない? それは女として致命的なんじゃないの?
 知識だけが頭を巡る。
 だが実感がなかった。
 レイリが涙を浮かべて自分を見ていた。
 きっと将来、この事実を呪う日がくるのだろう。でも、今はなんの感慨もなかった。
 まだ17歳のジュリアには、その本当のところの意味はわからなかった。 

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